気がついたら桜が満開

最終更新日

思い起こせば、4月は仕事が重なって

忙しい!!と思いつつ過ぎていった。

振り返っても、あまり記憶がない。

複数履いていたわらじも1足脱げて、ちょっと落ち着いた。

窓の外を見たら、隣の庭の桜が満開で、一番好きな季節になっていたことに

やっと実感が湧いてきた。

4月は、自分の精神的に修行が足りないと痛感する場面が何度があり

気弱になって過ごしていた日が多かった。

それは、振り返るに結局、自分の気持ち次第にどうでもなることである。

たとえば

先日、街角でクレーマーの女性が某店の従業員に向かって

「あなたは私を軽蔑したような目で見た!」と抗議している場面に遭遇したが

従業員はただ、相手を「見ただけ」であって

「軽蔑したような」と思ったのは抗議をしている本人である。

つまり、自分の中の別の視点が自分を「軽蔑して」見ているからそういう

印象を受けるのであって、つまり、その状況は、自分が作っているのだ。

 

他人の心が読める人間ならいざしらず、「睨んだ」「軽蔑した眼で見た」なんていうのは

文学的な表現にすぎない。

 

私が昔、大好きだった仕事「書店の店員」を会社の業績悪化でリストラされたとき

覚悟はしていたけれど、精神的に受けたダメージは強かった。

だが、友人は

「いい機会じゃない。次の仕事をする時期が来ているのよ」と言ってくれて

その後、パソコンを習って縁が続いて仕事を得ていることを

思えば、人生なにが転機になるかわからないものだ。

例えて、「仕事、来月までだから」と言われて

「どうしよう、どうしよう」とだけ考えて仕事をして、ミスが続いたりすると

結果「あいつはやはりダメだな」なんて思われるし

「仕事があるうちは、きちんと仕事をしよう」と思ってこなせば

“なかなか、いい仕事をするな”と誰かに認められて、

次の展開が望める場合もある。

「煉ちゃんてさ、能力と収入が反比例しているよねぇ」なんて

ありがたい言葉をいただくことが、たまにあるが

それは、違う。

私には最大の欠点があるのだ。

それは、根気というか、継続力というか、慣れというか

刺激がなくては生きてはいけないというか

不安定さ求めているというか・・・・だから

器用貧乏だね、と言われることもあるが、

器用に見えるかもしれないが不器用だし。

 

先日のバイトで組んだ相手は、私よりもかなり年齢が下のコだった。

初対面のとき「良いお名前ですね」と思ったままを口にしたら

ロコツに嫌な顔をされた(ように見えた)。

 

とにかく会話が続かない。

話しかけてもすぐ途切れて、または無視されるか まぁ相手にされなかった。

1ヶ月間そんな感じだったが、

それは、やはり私がそういう見方をしているから、そう見えるのであって

そのコはちょっと疲れていたのかなぁと、やりすごせば

毎日は平和である。

 

もし、あなたが職場に苦手なヒトが居て、辛いと思っていたら

「かわいそうなヒトなんだな」と心の中でひっそり思って

上っ面だけきちんとやりすごそう。

それは、決してズルイコトではない。

自分の精神を守る、ひとつの技術だからだ。

 

ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

シェアする