友だちの手相

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ちょっと、更新が滞ってしまった。なのに、アクセス数が過去最高になっていたり、またその反動で、翌日は数が落ち込んでいたりする。これって人間の気分や運気の波にも似た印象を受ける。

写真は私の愛用しているピアス。

大事に使っていたのに、ある日突然行方知れずになり、1年以上経ったときに、自宅の浴室で見つかった。お風呂で落としていたのに1年以上も排水溝に流れていってしまわなかったことに驚き。

しばらくすると、また行方不明になった。気になっていたまま、先日、お隣の駐車場前の路上で見つけた。

知らない間に落としていたらしい。偶然見つかったことにも驚きだが、縁のある石というとは失くしても戻ってくるんだなぁと実感する。逆に合わない石は手元から消えていくもの…と再度認識した次第。

 

最近、手相見をしていて、考えることがある。

「友人の手相を見る」のと「手相を見ているうちに友人になる」というのは、同じようで違うものだ。

前者はありえるが、後者はないと思っている。また、友人の手相を見料をいただいて見るのは、「1度だけ」と決めてもいる。

手相見に限らず、霊感リーディングでも、タロットでも、近すぎれば、近すぎるほど私情が入り込み、運気の流れを正確に読み取れないことがある。お付き合いの中で生まれた、「相手に対する先入観」が肝心なことを見えなくする場合も少なからずある。また手相は、時間をかけて変化するものなので、1ヶ月前に見た人の、その後すぐにどうか?という質問にも弱いと思っている。

私はあくまでも手相見。手相を見ているだけであって、運気を上げるも下げるも、個人の行動にかかっている。流れに身を任せているだけ、にしても、物事に対する視点を変えたり、考え方を変えたりするだけでも展開が違ってくる。

「また、メールしてもいいですか」とよく問われる。

「今回の占いの延長ではないこと、開運行動に関することであればどうぞ」と答える。

それゆえ、私の手相見にはリピーターは少ない。またリピーターの場合、拝見時期の間は半年以上から1年以上開いている。

手相見のあと、メールで「恋愛運について」「金運について」と聴いてくるお客さまもいる。

正直、見ているときは、手相を通して、判断しているので答えられるが、手相が目の前にないと

正確には答えられない。一人一人の手相を詳細に記憶もしていない。

「友人の延長」で色々尋ねられる場合も多いが、関係が近ければ近いほどあまりアドバイスが身になっていないことも多いかもと思う。友人に対する軽いアドバイスの領域を出ていないだろう。

見料は「ありがとう」という気持ちと、わたしの「開運して欲しい」と願うエネルギーの交換だと思う。エネルギーのカタチがお金である。

お金は大事だ。だからこそ、私に見料を支払っても見てもらいたい、と思ってくれた人には、それに見合ったエネルギーを渡せるように真剣に見る。

聞く体勢ができている人には、有益な開運情報を示しやすい。

待ち、の気持ちを進む気持ちに変えたい、いい流れを作りたい人と「手相見」のタイミングは合うものだ。

 

ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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