手相見の悩み

140111 ren2

今年は桜は咲くのも遅かった。通勤道が華やかになったと思ったら散るのも早かった気がする。散った花びらでできた桜の絨毯を見ていると、祭りの後のわびしさに似たようなものを感じる。

このブログでも何度か書いたことがあるが、私は通りすがりの手相見である。尋ねられればアドバイスをするが、どうするかは依頼主の行動にかかっている。

先日、「自分は正しいと周りから観られているか」との質問に「正しい、正しくないというのは個人の主観ですね。他人がどう思っているかは、自分の考えの次にくるかもしれませんが、どうしようもありません」と答えた。この答えも正しいか、正しくないかは読み手によっても違うだろう。

「自分が正しいと思ったらそのまま進む」でも進んだら進んだで、問題が生じたら、そのつど考えることも大切だろう。「引く」と記されたドアをいくら押しても動かないように、無駄な力を注いで疲弊するよりは、「引く」という文字(運気)を読む努力をすると労力を少なくできる、占いはそんな感じだ。

自分の考えを変えるというのは、思想を変えるというのではなくて、取り組み方を変えるということだ。直球勝負をする前に、ワンクッション置く。それは思いやり。想像力が必要なのだ。

人間関係がウマく行かないと嘆いている人が、実は言葉がストレートだったり、自分のことしか考えていなかったりするのも、手相を見ていると透けて見える。

「いらない」と放り投げるように言わないで、「ありがとう、でも必要ないわ」という、言葉の付け足しが、人間関係の潤滑油になり得る。これは一種の技術である。

最近は 真夜中に携帯にメールが届くこともある。

数日前に手相を拝見した依頼主からだ。

「~ですか?~ですよね??」という確認というのもあれば、まったく関係のない人生相談のような内容もある。

3度までは答えたが、それ以上の質問には答えなかった。

「私はメール相談は受け付けていません」と返信した。

私に質問するというのは、答えを求めているからだとはわかるが、一度手相を見た後に、メールでフォローできても2~3度までが限度だ。無制限にするほど時間も記憶力も体力もない。

手相は劇的に変わることもあるが、だいたい3ヶ月で変化する。それは考え方や行動が変わったのが

反映されるからだろう。

友人という立場なら忌憚のないアドバイスはできても、依頼主と手相見の立場では言葉を選ぶ。

お金というエネルギーを間に置いた以上は、一線を引くところは引く。

なんとかそれをわかってもらいたいと思うのは、勝手だろうか。

依頼主は私と一対一で向き合っていると思うだろうが、私からすると一対多数。

名前も文章の中に入れてくれると助かるのだが…。無いこともあるので文面から推察するまで時間がかかったりして。

やはりメール相談は私には無理だと実感した。

これから依頼主と向き合う場合、上手に伝えることができるだろうか。

こんな悩みが出てくるって、それだけ数を見てきたということか。

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