平穏が奇跡である

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春分の日、急に背中に重みを感じて、ひどい肩こりを体感した。2日後に痛みは和らいだが、あの「ずしり」と感じた重みは印象深い。

毎日、仕事をして、3食いただいて、布団に眠ることができる。

当たり前だとおもっていたら、今は「当たり前」が奇跡であると思える。この平穏さは、自分の見えないところで、多くの人が尽力してくれているから。「おかげさま」があるから。 写真は18日に撮影した夕空の雲。写りが悪くてはっきり見えないけれど、肉眼で見たときは、細い雲が十字に重なって、不思議な印象を受けた。

十字架という形には、パワーが宿っているらしいとモノの本で読んだことがある。

世界中から震災に遭った日本へ、祈りの光が降り注いでいる。祈ってくれる他者がいるというのは素晴らしいことだ。この世で、あなたの平穏を祈ってくれている他人がいる。これも奇跡である。

世の中には奇跡が満ち溢れている。それを感じる感性があなたに宿っていたら、それも奇跡だ。

私は中学生から高校生の時はSF小説を色々読んだが、読んでみたいと思って、今まで読んでいない一作に巨匠エドモンド・ハミルトンの短編フェッセンデンの宇宙
がある。

今、それをを無性に読んでみたいと思う。

この世界、この日常の存在が奇跡かもしれないから。

 

このところ、お店の経営者や統括責任者から、相談を受ける。

上に立つものは孤独だ。トップであると言うだけで、部下から色々と言われる。

人より上に立つということは、悪く言われるのも標準装備と思える場合もある。

よく言われるほうが難しい。

だから、上に立つ人間には、下のものを思う思いやり、想像力が、必要以上に求められる。必要以上にして、やっと普通。俗に言う、徳のあるトップになるには、腐心することが必要だ。

求められるのは、繊細な感性。

鈍感な人間がトップでいることは難しい。

それは、さりげない気配りであったり、声かけもある。

私の深いところでは、その人が上に立つ人間かどうかも、判断しているようだと思う。

 

 



 

ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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