忘れるという幸福

最終更新日

140111 ren2
日中の風がとても温かく、春を感じた一日だった。

古いものを整理していて、ふと思ったことがあったので、記しておくことにする。

子供の頃、私を苛めた同級生、私を貶めて叱責した教師、石をぶつけてきた上級生、

嘲笑した同僚、仕事を妨害した同僚…書きだしてみるとしょうもないくらい、色んなことに遭遇してますな。

でも、人間なんて、されたと同じくらい、他人にもしているものだ。。。し(と思っておこう)

お互い様ということで。

若い頃は、覚えていたはずの、相手の名前が思い出せないことに気がついたのは、最近のこと。

顔さえ、いつの間にかボヤけていた。

…加齢による記憶障害かと思ったけれど、もう恨むことも、ないから、自然と忘れ去ったのだと思う。

悔しい、悲しいという感情がぼ~んやり、残っているだけ。

それももう胸に迫ってこないから、事実として、かけらが残っているだけ。

もうどうでもいいことになったワケだ。

 

と、いうことは、ここ数年の、不快なことは、やがてはぼやけて忘れてしまうだろう。

忘れるということは、神様がくれた幸福と思える。

今は辛くて、悲しくて、「一生忘れない」と思ったことも、すべては時が解決してくれる。

もし、「忘れる」ということが存在しなかったとしたら、便利だけど辛いことだろう。

残酷だけど優しい、それが忘れるということ。

忘れてしまおう。

あなたから言われたこと、いろいろあったこと。

忘れて、もう一度昔のようにはなれない。

忘れて、なにもなかったことにする。

あなたがいたから自分があるという、きれいな言葉では隠さない。

以前のような仲にしっくり戻るということでもない。

ただ、あなたがいたことも忘れて、自分は自分であるだけだ。

思い出す時間も、もう必要ない。

それが、忘れるということだ。

 

手帳には、嬉しいことしか書き記さない。

嬉しいことや、ありがたいことだけを、いつまでも覚えていることにした。

ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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