負を糧にする

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先日、バッタリ街角で、友人のRちゃんと遭った。Rちゃんとは、不思議なことに、買い物中に遭遇することが多いのだ。狭い街であるが、遭わない人には何年も遭わないままだったりすることを考えると、この偶然の頻度は必然を思わせる。

Rちゃんは、仕事熱心で素敵な女性であったが、ふとしたことから仕事で失敗をした、と思い込んでしまい、それから何年も体調が優れない日を送っていた。

病院へ通い、民間療法、パワーストーンにも頼って色々と試したが、快方に向かわず、何年かを過ごしている。

その間 手相見としての私は必要とされなかった。

私も「見ようか」とは言わなかったし。Rちゃんも、どんなに辛いときでも私の手相見で人生を見ようとはしなかった。

頼ってくるときは友人として、メールでたまに愚痴をこぼしたりするだけだ。

だからこそ何年も友人の関係を続けてこられたのかもしれない。

久しぶりに会ったRちゃんは、長い間の闘病生活を微塵にも感じさせないくらい、元気そうに見えた。

実母の介護もあり、「なにかと大変だよ~~」と笑っていた。

確かに大変そうではあるけれど、自分で自分の立ち位置を固めているような、そんな強さを感じた。

聞くと、介護で忙しいけど、資格取得に勉強中とのことで、私も感心しきりだ。

Rちゃんに比べると、私はマダマダ未熟者だと思っている。

辛いことも、苦しい環境も、そのただなかにいるときは、気がつかないけれど、後から思うに必要な転機だったのだと、Rちゃんや、その他多くの依頼主の姿を見ていると思える。

突然、大好きな仕事を解雇されたとき、愛する人を亡くしたとき、どうしようもないほどの絶望感や喪失感を、沈んだ気持ちから、糧として立ち上がったとき、その人の人生は、思いもかけないところに転がっていて、「今から思うと」ということに。

よく「煉さんに手相を見ていただいて、転機が始まりました」

「最初、全然いいことないじゃん、って思っていたんですが…今気がついてみたら、言われたとおりの展開になっていて、思い出してメールします」なんていうことを言われると、

それは私の力ではなくて、そういう時期にめぐり合わせてくれる、不思議な縁を感じる。

何年かすぎても、縁のあるひとにはある。

消えた縁の人には、全く持って接点がなくなるというのが、加速している気がする今日この頃。



ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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