占い師ではなく手相見

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手相を見る、と言うと、相手の反応は大概ふたつに分かれる。「手相を見て」という人と「あ、そういうのは嫌いなの。何か言われると怖いじゃない」という人だ。

昨今、テレビで話題の「占い師」であるが、私は自分のことを占い師と思ったことは無い。始まりが「手相の本に書いてある内容に、自分の手相が当てはまらない。みんなの手相はどうなっているんだろうか」だったので、色々と見ているうちに、相手が「当たる」と言ってくれたから、ずっと見てきた。そういうことから自称「手相研究家」「手相オタク」に分類されると思う。では、なぜ見料を頂戴しているかというと、依頼主が払っても良い、と言ってくださるからである。

イベントのある年齢も、流れも読み取ってはいるが、手相は本人の深層心理が表れていると思っているから、当たるも八卦、当たらぬも八卦。

ところが先日、「急を要する、ぜひとも」と依頼されて、2度目の手相見となったが、正直に申し上げて手相は見なかった。

私は手相は急激に変化しないと思っていたので、前回から半年経過しないと、手相は拝見できません、とお断りしてお会いした。

前回の手相見に対する意見なら、きちんと伺おうとも思っていたのだが、手相を見ながら伝えた内容が、

「当たっていたので、次の展開を読んで欲しい」と言われたのだった。

運の切り替わりのタイミングなどは、数字として、浮かんできたものを直接申し上げるのであるが、あとは私の脳裏のところに、現れる「ひらめきだけ」があればお答えする。

思うに、座って見るだけで、答えを導き出すことはできない。

私には手相を見ることが 占い師の水晶玉 のようなツールであり、手段といえる。

でも、私の答えが絶対であるわけではない。

依頼者の価値観と私の価値観が違えば誤差もでるし、私が「良いのでは」という解決方法が依頼者にとっては納得がいかないこともあるだろう。それを判断するのは、依頼主の自由だ。

自分で試して良かった知識はお勧めするが、

昨今のワイドショーで有名な自称占い師のような「神様がああしろ、こうしろと言っている」なんていうお告げ系ではない。

神様は人間になにかを要求することはないと思っている。

人間がお供えする、努力するのを見守っていて、努力を認めて少し応援してくれる、そんな存在ではないだろうか。

目の前にある存在を、神と思うのも人間、悪魔と思うのも人間。

人間だけが自分の中に、神も悪魔も宿すことができるのだ。

 

 

ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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