愛の行方

最終更新日

140111 ren2

暑い!9月も半ばと言うのに、30度超えている。黒酢を飲んでいるけどバテる寸前。私も手相見となって数年経過しまして、先日、ドメインの更新を済ませました。あと1年くらいは続いていると思います。狭い街で手相見なんてしていると、知り合い同士を、そうと知らずに拝見していたりします。親子や恋人同士、親戚同士、同僚、知人…様々です。手相を拝見するときは、大仰な予言はせずに、依頼者の手相を通じて鏡になるように読み取ります。私個人の主観がが入ると読みがブレます。そのため、そういう問題で、当事者の間に立って、言葉を交わす、見方によっては優柔不断と思われるでしょう。

運気の流れを読んで、それからどうするか、と言うときに、役に立つのが今までの経験値だと思っています。悩みを解決するには、どうするのが一番穏便に済むか、発展性があるかとか、考えます。でも自己主張が強く、特に愛が絡んでくると、どんなアドバイスも依頼主の耳には届きません。結局は自分で「なんとかしよう」と思い切らないとどうにもならないことも多いのです。

ひとつ言えるのは、相手をどうこうすることは、まず不可能なので、自分の見方や考え方、行動を変えるほうが、たやすく効果を期待できるということ。人、ひとりの思考を外から変えるのは、それはそれは大きなエネルギーを要します。効率悪いです。

自分が相手のために、という「愛」について。

「愛」とは相手を思い、相手の意に添う事、相手の幸せを願うことだと思っています。

自分に冷たいのは、許せない、思い通りになってくれない、という類の感情は「自己愛」です。

手相見でお話を伺っていると、時にそういう感情に触れます。

あなたの「愛」は相手への「愛」ですか。

自分への「自己愛」ではありませんか。

それを確認したうえで見ると、手相が示す線の意味も、流れも変わってくるのです。

「愛」は形で明示できません。行動で示すしかないと思っています。

相手のために i  (自分)を滅することができるのか。何千年経っても悩ましい。真実の愛がどこにあって、どうすれば見えるのか。人間の悩みの大部分を占めている。見るほうも言葉を選ぶ、難しい問題です。

ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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