誰かが誰かを

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ある人にお話を聞いた。その人は「誰の世話にもなりたくない。お返しが大変だし。だからプレゼントをもらうのも大嫌い」「私は一人でがんばってきた。誰の世話にもなっていない」

別のひとはこうも言った。

「仕事で、この人がいなければ、成り立たないっていうのはイヤ。だから仕事は自分でなんでもやっている」

この言葉、謙虚に聞こえるかもしれないが、すごく傲慢だと、私は思った。本当に誰の世話にもなっていない、なりたくないと言うのであれば、無人島で自給自足をするしかない。それでさえ、他人様のお世話にはならないが、お天道さま(太陽)と海、川、自然のお世話になる。

以前にブログでも書いたけど、携帯の画面に夢中で、小さい子供を顧みずに歩いていた母親の前で、ドアを開けて待っていたことがある。彼女は携帯画面から目をそらさず、きっと目の前のドアは偶然開いているだけで、私が待っていたことも気づいていないだろう。極端だけど、自分で当たり前だと思っていることが、実は誰かの善意で成り立っているということは、この年齢まで生きていると、誰でも経験していることではないだろうか。

そして、自分の知らないところで、さりげなく、他人さまが道端のゴミを拾ってくれたおかげで、躓かずにすんだ、とか。

買い物籠を、誰かが定位置に戻してくれたから、すぐに籠を手にできるとか。細かいところでキリがないくらい、他人様にお世話になっているのだ。

極端な話、ゴミの回収業者のおかげで、街中は綺麗に保ててる。

浄水場が機能しているから、水洗トイレも使える。

昔、私も他人からのプレゼントが嫌いだった。それは、自分ですぐに「お返し」しなくては!という思ってしまうからだ。そのうち プレゼントをくれる人で、お返しを意識している人は意外に少ないと、経験から知った。贈りたいから贈るんだから。私も贈りたいから贈る。

お返しが速攻でくると、そういう気持ちがなかっただけに、申し訳なく思う。自分は速攻でお返しできない。少し間をおくといいいよ、というアドバイスを受けて、私はあまりお返ししないタイプ。皆様、いつもありがとうございます。お返しができていないと思います。

まぁ、バレンタインのような季節のイベントで、倍返しを下心に潜ませている人もいるけど。

自分で意識、無意識でするに関わらず、どんなことだって、他人様の好意があればこそではないか。

人類が生まれて、太古なら、一生にひとつ知ることができた知識が、先人たちの知恵を蓄えて、いる現代で何十年、何百年分も蓄えた知識を得ることができるの現代でも人間の悩みはほとんど変わっていない。

仕事を自分一人で抱え込む人は、いつも追われていて、余裕がない印象だ。

信頼できる人が自分の周りに居ません、って公言しているのと同じだ。

「プレゼントが嫌い」と言う人は、自分では何も他人に分け与えていない人と思われる。

もらうのだけが好き、ってのも同じかな。

「タダより高いものはない」っていうのは、「タダでくれる気持ちが尊い」という意味だけど、別の意味で「タダでしてもらうとお返しを求められる」というようなニュアンスで使う人も多い。

甘えすぎもおすすめできないが、誰にも頼らない!って頑なのも、もったいない。

生きていくには想像力や妄想力も必要。

あなたも誰かの案ずる気持ち、お祈りで知らない間に助けられているだろうから。



ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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