夢見から思えば

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先日、見た夢の話をば。

訪問者があり、訪問者は私にある飲み物を持ってきていた。私はその飲み物-白酒- を口にするが、知っているようで知らない味だ、と思った。

同じ日、母が見た夢は、裏庭で遊んでいた迷子の幼児を、「人間ではないけど可愛そうだ」と思って抱き上げたという。

この夢はどうだ、と尋ねられれば、赤子、子供の夢は、子供の風体に着目して判断する。また「飲み物」を「訪問者」が持ってくる というのは訪問者はこの世の存在ではないよう思える。

とうとう、数年前から、ある人から言われていたとおりに「私の裏側」が動き出してきたのかとも思っている。

今年も多くの手相見をして天然石のいろいろを作ってきた。

年末なので、今までの依頼主のデータなど整理していて思ったことがある。

私は長いこと、ただの天然石愛好家だった。

それがいつの間にか手相見を通じて人から人へと御紹介いただき、あれやこれやを天然石で作っていることを思うと、不思議に思える。手相見は対面時に見料を頂戴するのであるが、天然石関連は基本的に前払いで頂戴している。

道端で現物を広げているわけでもない、店を持っているわけではない、社会的地位もない、依頼してくださるのは、とてもとても勇気のいることだろう。

その数を見ると、本業とするには及ばないが、広がり方をみると少なくないことに驚いた。

依頼主が、私のような海のもの、山のモノとも知れない人間に口コミとブログを見ただけで、お金を払っていただけるのは、奇跡ではないか。

ひとえに、御紹介してくださった方、その紹介者を信じて御依頼くださった方のおかげだ。

一人でコレクションしていたら、決して出会えなかった数多くの石たち、石は地球(ガイア)の魂のかけら。悠久の時の彼方で人と同じ物質だったかもしれない存在。

石は、そこに存在するだけならば、ただの石であるが、持ち主の意思が石を目覚めさせたときに、発するエネルギー、流れは体験したものにしか、わからない。

 

ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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