本当の理由は

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若い頃、バイトしていた職場に持病がありながら、働いているA君という男性がいた。彼は言葉の端々に「自分は持病があるから不幸だ」、「持病があるから誰にも大事されない」と言う。その持病があると確かに不利で、健康な人と比べたら、就ける仕事も限定されるだろう。だが第三者の私から見て、彼が「不幸(と自分で思っている)なのは」 病を患っているからではなくて、本人の性格に難アリだったからである。とにかく他人の会話に割って入って、相手をバカにする。マイナス思考な言葉ばかり浴びせる。そのくせ自分が非難されると、「こんな病気を持っている俺の気持ちなんて誰もわからない」と嘆く。A君は自分で自分を不幸にしているような、負のスパイラルにはまっている若者だった。傍にいて、いい気持ちでいられないから、友人も少なく、職場でも孤立していたようだ。

自分で自分を哀れんでいるのは、ある意味、傲慢であると思う。他者に「そんなことないよ」と慰められることを暗に望んでいるからだ。

人に優しくされたいのなら、待っているだけでは、なかなか叶わない。優しい人に、いっとき、慰められることがあっても、続かない。 けれども、自分が周囲に優しく接する、とかなにかを与える存在になるのが、本当は一番手っ取り早いのだ。求めるならばまず与える。「情けは人のためならず」そう、優しさは自分のためだ。

気がつきそうで、まず相手に求めてしまう。人間はそういうモノなのかもしれない。だから苦しむ。

私は、自分が負のスパイラルに陥りそうになると、A君のことを思い出す。A君には不快な思いも残念な思いもたくさんしたが、今となれば、人生の教訓を示してくれた人である。

本当はギブandテイクが理想だけれど、「優しくしてクレ」「理解してクレ」「クレ、クレ」という黒い思考が脳内に満ちてくると、自分は「クレ」という前に「シタ」か?と問うてみる。

他人様になにかをしていないのなら、自分がしてもらえなくてもしかたない。人生に、灯りをともされたいなら、灯しに行かねば。

そのとき、自分はこれだけしたのに!という速攻な見返りを要求しないこと。大きな運は放たれた後、大きな放物線を描いて戻ってくる。目に見える手ごたえになるのには、時間がかかるのだ。

私の年になると、戻ってくるのは来世になるかもであるが、しないよりは、シタほうが良い と思う。

私の現世は病ばかりの、危機一髪ばかりだが、最悪の状態を免れているのは、前世に積んだ「徳」が効いているんだそうで。

「徳」 貯金、使い果たしそうで少し不安ではある。



ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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