手を合わせて願う

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花文字
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ローズクォーツを購入したのはもう、十数年も昔です。転職したばかりで、職場の上司とはソリが合わず、仕事を覚えるのも辛くて、心が疲れていました。疲れている心を癒したくて、見て、イメージに使いやすい、ローズクォーツを買い求めてました。以来、人生の転機に石は増えていきました。

石オタクになってから、大切な友人や知人には天然石を贈ってきました。現在は、自分で作ったアイテムが多くなりました。

贈った相手とは疎遠になった場合もあります。そのとき、相手のことを思うとともに、手元に在る石たちはどうしているかと想いを馳せます。

スピリチュアルな話では、魂は進化する過程で、石は石として修行をしているのですというではありませんか。

私自身の魂も悠久の昔は、石だったのでしょうか。

手相見のときに、石のアイテムをおまけとしてお渡ししていたのは、自分自身がどん底のとき石で救われたからです。若い頃、バイトで人工水晶のチップを磨いていたからです。

電気製品の中に使われている水晶。人間の念にも反応するでしょう。

石の上に通った悠久の時間を思えば、自分自身の悩みも小さく思える。自然の芸術、地球の分身である石を目にすれば、考え方にも少しは余裕が出てくるというもの。

普通は自分が幸せでないと、他人の幸せは願えません。

自分が不幸でも、他人の幸せを願える人は、それは徳となるのでしょう。

私は、他人から見れば不幸な人間かもしれないけれど、自分自身はまぁまぁ幸福だと思っています。すっごく幸福!と思っていないのは不幸ですか?

でもまぁまぁ、ってところがいいんじゃないでしょうか。少なくとも不幸ではないので。

そこで他人がどう思っていようと関係ありません。

自分の持っていないものを嘆いてもしかたない。手にしているものを喜んでみる。

喜んでいると、別の喜びが、引き寄せられてくる、そんなものなのでは。

マイナスのスパイラルにはまった、はまっているなと思ったら、はじめは嘘でも偽善でも

いいじゃないですか。

自分のために、他人の幸せを願ってみては。



ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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