笑顔は必要

最終更新日

140111 ren2

某日、某所で、断片的に小耳に挟んだ会話から(多少アレンジ有り)。

あるお店のお惣菜は、とても美味しいが、販売者に笑顔がないらしい。

いつも、無表情で、販売しているらしい。ある意味もったいない話である。

販売者はパートさんなら、「たくさん売れたところで、私の時給が上がるわけでもないし」。

オーナーならば、「美味しいだけで充分でしょ」的な考え方か。

某ファストフード店では、メニューの中に「スマイル…0円」とある。

確かに、笑顔のあるなしで、食物の味が変わるわけではないだろうが。

あるなしで買い手の気分は違う。この買い手の気分と言うのが、日本人が培ってきたサービスではないだろうか。ある著名人が、外国で買い物をする時に初めて、日本のサービスの良さ(笑顔)のありがたさがわかると話していた。

以前、バイト先のパートさんが話していた「同じ時給なら、暇のほうが良いに決まってる」 。暇すぎるのは困るが、忙しすぎるのもイヤっていうのが正直なところだろうな。

私が昔、アルバイトしていた百貨店では、忙しすぎると「大入り袋」がバイトに配られた。それはたしか時給1時間分が入っていたし。大入り袋に加えて上司の「おごり」が振舞われた。それは10代のアルバイトにはモチベーションがあがったことを覚えている。

別のバイトで、売り上げが良かったとき、オーナーは別に「食事代」を持たせてくれた。そういう、小さな気配りが、昔は存在した。

それは日本的な良かったことだったのか。ビジネスがアメリカの合理主義、成果主義を謳うようになったが、それはきちんと成果を見ていることが前提で、使う側が、使われる側にちょっとした気配りがあれば、の話だ。

余裕がない今の風潮が、負のスパイラルになっているのか。

つまり、笑顔があるってことは、それだけとてもありがたいことなのだ。

道路工事を誘導してくれる警備員さん、お釣りを渡してくれる店員さんの笑顔が、当たり前ではなくて、「有難い」ことなのだと思い当たる。

自分は、何を相手に渡せるだろう。

笑顔は苦手な人は自分の愛する存在、ペットや我が子をイメージすると、良いらしい。私はいつも愛猫を思い浮かべるところから始めている。

仕事をしていて、無表情、仏頂面をしている自分に気がついたら、気がついたところから愛猫を思い出し表情筋を緩めることにしている。

表情筋を緩めていないと、年を重ねたときに自分の表情が固まってしまうからだ。

笑顔の多い人生としかめっ面の多い人生だったかは、老いた表情に刻まれてしまうのだ。

先日の伯父の葬儀で、久しぶりに会った老いた親類の顔を見て、私は再度認識した次第である。

今、不幸だとか、ツイテイナイと思っているのなら、形から入れば良いのだ。相手の笑顔の無さを責めるのはちょっと待って、自分から笑顔を相手に向ければ良い。その相手はすぐに応えてくれないかもしれないが、廻りまわって、あなたには笑顔の対価が戻ってくるだろう。

笑顔はそれほど、価値がある。

まぁ、時と場所を考えてね、と加えておく。

時と場所を考えないで笑顔でいると、いらぬトラブルの元になるから。

普通の時、普通の場所で、笑顔でいるようにと私も心しておこう。

相手の不遜な態度に腹がたってしかたないときは、自分が不幸というか不運なんだと思う。

幸せな人は、腹立てないし。「しょーがねーなー」くらいで、引きずらないだろうから。

失礼な!と憤った相手には、「貸しを作った」くらいの心で居れば世界は平和だ。

しかし、人間ができていないので、些細なことで腹を立てながら、一歩進んで二歩下がる日が続くだろう。

それでも、まったく意識しない昨日よりは、ちょっとは進んでいると思う。

ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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