秋に考えること
自分は、正直、こんなに長いこと生きるとは思っていなかった。「1999年、空から恐怖の大王が降ってきて、人類は滅ぶ」とか
「米ソで核戦争が起きて人類は滅ぶ」とか
「石油が枯渇」など
とかく、世の中は滅亡の雰囲気が漂っていた。
自分自身、不登校で自殺を考えたことも数回あるし、生きているのがとことんイヤになったこともある。また、病気での手術前には、自分が死ぬことについてアレコレ思案することもあった。死はいつも身近にあった。スピリチュアルに興味を持ったのもその頃からだったし。
この世に自分ほど無価値な存在はないとも考えた。
秋は実りの季節だが、次世代に命をつなぐ季節。
寂しさを思わせる季節でもある。
輪廻転生といえば、人間は予想以上に多い回数を転生しているという。
私も自分の前世について何度かリーディングをしていただいたが、多種多様な前世を読み取っていただいた。
錬金術師のようなもの、巫女、宇宙人、娼館の女主人、軍人、奴隷。
なんとバラエティに富んでいることか。
死ぬのは初めてではなかった。なんとなくそう安堵した。
生きるということは、天然石の中に虹を見つけるようなものではないか。
完璧な美しさではないが、内面の傷に価値がある。
たくさん、生まれ変わってきているのなら、一度や二度、空虚な人生を体験することに価値があるのかもしれない。
失敗だらけの人生や他人様に誇れない自分でも、それはそれで価値があるのだ。
信じる、信じないは当人の勝手であるが、ないよりはあったほうが、特に私のような人間には救いになるような気がする。そう思っていないと、せつないではないか。
一時、某スピリチュアルウンセラーが芸能人の前世を「貴族ばかり」と霊視する、とメディアで批判されたが、前世が貴族で芸術になじんでいたから、今世は才能溢れているのではないかと思えば納得がいくかもしれない。
なるようにしかならない人生の、辛さ、寂しさや孤独も
こぼれるような喜びも、幸せも。その内に内包する傷が虹となるよい機会であるように。
都合の良いことだけ考える人生も、アリ。
ただ、自分は自分。他人にはなり代われない。
長く思える数十年も、天界から見れば一瞬だろう。
例えるなら、私たちは 人間から見て、細菌のように短命で世代交代が早い存在なのかも。
自分の存在する宇宙そのものが、誰かの夢、なにかの物質の中に存在するのかもしれないと
昔、読んだSF小説を思い出した。
ヘミシンクを初めて二ヶ月すぎました。
あいかわらず「寝オチ」してます。しかし、今日「具現化」のCDを聴いていると脳裏に「美しい箱」がはっきりと見えました。我が家には存在しない豪華な箱です。新鮮な驚きでした。
これからは「箱」をイメージしやすくなったと思います。
とりあえず、半年間、聴くのを目標にしています。
ガイドの姿は自分の好みのイメージをフルに稼動させています。