自分自身への覚書

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ヘミシンクを初めてから2ヶ月ほど経過。ヘミシンクの体験ブログを読み歩くと、「ヘミシンク」らしい体験ができるよう脳が慣れるまでに2年前後必要らしい。それまで私はヘミシンクを眠りのお供にしようと思っている。

眠りのお供に、「過去世の探求」を聴きながらのとき、夢を見た。衝撃的な夢だった。夢は夢で前世とは言い切れないが、あまりにリアルだったので、私のグループソウルが体験したものかもしれない。

時代は江戸時代くらい。僧侶同士の内紛から、一人は陥れられ、座敷牢に幽閉される。その幽閉される際には、拷問もされて、かなりな目に合うのだ。私は陥れたほうか、陥れられたほうかはわからない。が、夢の内容はリアルで目が覚めたとき、夢でよかったと心底思った。
私の過去世は、覗いてはならない扉の向こうにあるのかもしれない。

先日、ある方からうかがった話だと、厳密にいうと、人間には「罪」は存在しない。
過去世の過ちはリセットされるが、贖罪を望んだときに、魂の大きな成長が期待できる場合のみ、そういう人生設計がされるのだという。

ということは、どんなに悪事を働いても、その魂が氣にもしなければ、ありていに申せば「憎まれっ子世にはばかる」のだろうか。

しかしながら、現世にもまれて、荒んだ悪人でも、人間としては人生の経験値で行動しているとして、その魂は純粋で美しい部分があるとしたら、その部分=魂の美しい部分 が自分の行いを悔いて、自分自身に贖罪を課すのだろうか。

よく、「誰が見ていなくても、お天道様が見ている」という言い方をするが、お天道様、すなわち自分自身の深い部分、魂がすべて見ていることになる。自分自身の善も悪も。自分自身を偽りきれても、魂までは偽れない。

神様はいない、と言われればそうかもしれない。
神様は自分自身の魂のなかに存在するのだ。どこにも逃れられない。
たとえ、この世を去っても。

そう考えると、世の中の不思議な力を感じずにはいられない。

手相の相談の中に、「○○は××をしてくれないんですよね」「△△を■■してほしいのに、氣がきかない」という文言を聴くことがある。
自分自身に対する戒めの言葉として
相手にしてほしいことがあるなら、自分から先にするしかないと思う。

優しくして欲しいのなら、優しくすることから。

信じて欲しいのなら、信じることから。

お金が欲しいのなら、お金を使うことから。

仕事で認められたいのなら、他人の仕事を認めることから。

自分から行動しないとずっと

不満を言っているだけ。くれない族、くれくれ族のまま。

欲しければ、与えることから。

本日、見た夢は

その1

道に迷う夢。目的地に向かって歩いていると、途中、老人に会い現在地を訪ねたら、目的地と違う方向に来ていた。自分としては間違えようのない道を歩いていたはずなのに。ショック。

この夢、私はもしかして違う道に入り込んでいるという警告?

その2

行きつけの道に、新しいお店がオープンしていた。おしゃれ雑貨を取り扱う店。立派なお店の中もリアルに見えた。

新しいお店、これは自分のセールスポイントが増えたということか???

ヘミシンクをしてから、夢はくっきりしているような氣がします。。。



ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。