今さらながら氣がついた

最終更新日

忙しくて、ブログの更新もままならない。

しかし、それは言い訳である。

本当に更新する氣があるならば、どんなことがあっても、書くことがあるのだ。

ある人が言った「年齢を言い訳にして、覚えられない、できないと言う人がいるけれど、”覚えなければ命が無い”とかいう状況なら、覚えるでしょう。ようは、それほど真剣じゃないってことだよ。何回でも聞けば言いや、という甘えがあるから覚えない」

私は自分にも、それが当てはまると氣がついた。年齢を言い訳にして、他人様に何度も教えを請うのは、なんか違う。真剣さがあれば、メモるし、実践する。しないのは真剣さが無いからだ。

私の周辺の人たちについても思いをめぐらせた。

「何度説明してくれても覚えなくて、ごめんなさい」と言われる。私はそのつど、方法を伝えて、情報の集め方も伝えるが、「煉さんが居てくれないと、○○できないのよ」と言われる。

今までは、それでもいいかなと思っていた。

ある日、氣がついた。私がいないとできないなら、それはその人にとって必要なことではなないのではないかと。

本当に逼迫しているなら、印象深くて覚えるはずなのだ。

記憶は感情に直結している。

またある人は 困ったことがあると、思い出したようにメールをくれる。いつも真摯に考えて返信をする。けれど相変わらず、その人からは「あれがダメ、これがウマクいかない」とのメールが来る。私の答えた内容は役に立っていないらしい。役に立つと言う考え自体が傲慢だろうか。

傲慢と、そしられてもいい。

なんだか疲れてきた。

友情も、恋愛も、我慢して続けるには、私は年をとってしまったことに氣がついた。

別の人は、「こうするといいんじゃない?」と伝えると、すぐに実践する。

そして、以前は「無理」と言っていたことも、自分で試してみて、どんどんクリアしていく。私が手を貸すこともなくなり、私以上に先に行ってしまったようだ。

更年期もあるのかな?いやいや考え方も変わってきたのだ。

背後霊(ガイド)も変わっているかも。

思い立って私は、ヘミシンク本を何冊も出版している「まるの日圭」さんの「ガイド拝見」に申し込むことにした。

前置きが長かったかな?続きは次回。



ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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