なにもの

先日、業務変更のお知らせを掲載した。
なぜにそうなったかというと、

天然石で物を作るのと、手相見と分けて考えていたけれど、もともとは運気をよくするために、天然石を手にしたし、手相は、今の運気を知るために見始めた。
見始めた時は、本と照らし合わせる実践も兼ねた気軽なコミュニケーションツールだった。
いつの間にか、口コミで見るようになった。
天然石のアイテムも気軽なお守り程度に本人は思っていた。

どちらも、各々、頼まれることが増えて、口頭で説明するのも、追いつかなくなったので、別々にブログを開設した。
 予想に反して、依頼が続いて忙しくなってきて、まとめてしまおう!と思い立ちまとめてしまった。

そんな中、自分がどちらを軸にしているか境界線がなくなっていると感じたので、ブログもまとめたことだし、どちらも開運がテーマなので、ブログ名も変更しよう、てか 業務内容も手相見と天然石をまとめてもいいんじゃない?なんて思うに至った。
手相見だけじゃ、もったいない。せっかくだから
天然石(地球の魂のかけら)の力も借りてしまおう!

正直、お気軽すぎる依頼も減ってくれるだろうと思っていた。

そういうときにタイミングよく手相見の依頼が続いたりするのは、なぜだろう。

試されているのだろうか。

依頼主の相談内容が、最後の最後で本主題が登場という場面も多い。

私は自分のしていることは、「鑑定」ではなくて「手相見」であると思っているので、上から物申すことはできない。結局は本人が決めることだから、しかたない。

ただひとつ言えること。「今ままでじゃダメだ」と思っているから「見てもらおう」と思ったのではないのか?

運気を良い方向にしたい!と思っているのに、自分は、変わらない、変えたくない!周りが変わって!!と思っているなら、それがあなたの本当の、深い部分の望みであろうが、それならそれで、腹を括るしかない。あなたは苦しんでいる自分が好き、なのだから。

苦しみさえも自分の望み、と腹を決めたら、とことん、我が道を行ってほしい。

それが嫌なら、行動パターンを変えてみる。

それは、「天の導き」だ。

手相を拝見した後、依頼主の願いをサポートする、護符として天然石を用いてほしいと思う。

天然石は、己自身との約束の印だと思う。

大仰ではなく、「運が良くなっている自分」という呪(まじな)いでもあるのだから。

ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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