愚者のつぶやき

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私には好きな言葉が多くある。あなたにもあるだろう。
その中のひとつで好きな言葉は「しない善より、する偽善」。
善人ぶる自分を私は自覚している。

店頭の募金箱に小銭を寄付するのも。

神社でお賽銭を奉じるのも。

世界平和を祈るのも。すべての延長線上には「自分の世界」平和のため。

決して真の善人ではない。

でも善人に近づきたいが、その道は遠く険しい。ほんの、1ナノメートルでもいい。

近づきたい気持ちはあるので、形から入りたいと願っている。
まさしく偽善者だろう。
文章にしてみると、本当にちっさい人間だ。

かなり昔になるが、些細なことから、依頼相手から非難めいた言葉で、責められた時も「私はあなたに応えられる人間ではありません」と返答した。相手は「そんな、煉さん、自分を卑下しすぎです」とあわてて慰めてくれた。相手はとても素直な方だったようだ。
だが、実際、私の心の内は「”あなた”にはなんと思われようとかまわない。それは、わたしにとって、たいしたことではない」という意味だったのだ。

他人の心の中を、正確に読み取ることは、難しいのかもしれない。
ならば、想像でしか答えを得られないのであれば、自分の都合の良いとらえかたをしても良いだろうと思う。

自分にとってはそれが、「真実」であれば良い。
万人に好かれるのは、無理な話だ。
自分が無理をせずに、過ごせるのが正解。
恋愛も友情も、片思いで終わることもある。相手が自分の想うエネルギーと同じくらい、自分を想ってくれていなくてもいい、と腹をくくることだ。
見返りを必要としないことで、不満も、不安も持たずに済む。
尽くしたいから、尽くす。してあげたいから、してあげる。
その純粋なエネルギーは、きっと自分の力となる。
損得で測っていても、結局、自分のためだと思っていれば、いいんじゃないの。

ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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