10年すぎた。そして、手相を見ている

先日、年をひとつ重ねた。

この一年を振り返ってみた。これと言ってトキメキもなかった。

しかしながら慢性の閉塞感があり。

年齢も年齢なので体調も、若い時代と比べれば、良いとは言えない。

ま、若いときも普通の人よりは体調はよろしくなかったけど。

不安だけが多くなっていく気持ちもある。もう人生のゴールが見えてきたからね。

人並みに、悔しい時、悲しい時、切ない時、うれしかった時、絶望感に包まれた時 などなど いろいろ過去を顧みた。

どれが欠けていても、今の私にはならない。もしもあの悲しみがなかったら、少しはまともな人生だったかもしれないが、それはそれで、今の私にはならないだろう。

人間関係でも

私にとって好きじゃない人は、私という人間を作るための配役に過ぎない。つまり、それぞれが、私という人間のために配役された存在であると考える。

人間は一面だけの存在ではない。誰かに対して卑怯な面を見せても、別の誰かには優しい善人の顔を見せる。すべての人が、自分に関わってくるのであれば、それに応じて「何か」を得るための過程だと思えば、得体の知れない絶望感は消えるだろうか。

消えなければ、糧とすることで、なんとかならないか。いろいろ考える。

10年前、私は夢の中で、ある存在が時計の10時を指し示すのを見た。

示されたのは10時。

今の人生が夜の10時なのか。朝の10時なのか。

それとも、私に残された時間が10年なのか?いろいろと考えた。

当時、私は病を得て手術が続いていたこともあり、残された時間は「10年なのかもしれない」とどこかで思ってきた。

小学生から中学生なるまで、いじめられっこで、登校拒否も経験し、学校にも家庭にも社会にもなじめないまま、どこか違和感を覚えて生きてきた。そんな私であるが、手相を見ている今を思うと、感謝しかない。

恨み、辛みを思い出そうとして、過去を思い返してみたが、あんなヤツもこんなヤツも、腹が立った出来事も、皆、「今の私」につながっている。

人生の終盤が見えてきた今でも、やっとなんとか生きている人間であるが、手相を拝見させていただいているのだ。

拝見しただけの人生が、そこにある。

そこに立ち会えたことは、ありがたいとしか言えない。

手相見をやめてしまおう、もう見られない、思ったこともないとはいええないが、見えない世界の導きでつながったご縁と思うので、たぶん、依頼者がいるうちは拝見させていただこうと、思っている。

まだ、ポケモンGo! やっています。現在 レベル37。ポケモンを捕まえるとき、背景に虹が出ていたので、記念に撮影しました。ポケモンの世界で虹を見つけたのは、初めてです。

2018年 秋のピカチュウはこれです。

 

ren

手相見歴30年以上、同じく天然石愛好家です。

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