あなたは全てを持っている

手相見を見料を頂戴し始めてから、丸8年経ちました。

趣味の延長線で、他人様の手相を拝見してから25年過ぎました。

普通に暮らしていたら、耳にはしても、立ち入らない”深い話”にも立会いました。

そこで、私なりに考えた、私個人で得た感覚でモノを言いわせていただくと

結婚したい!できない!!と言う方は、家庭という学びを得られないかわりに、独り身の自由を得ている。

子供が欲しい!授からない!と悩む人は、子育ての喜びの変わりにパートナーとの学びを得ている。

たとえばです。この世の「幸福」の基準が、結婚して子供が生まれて、孫に囲まれた幸せな老後というのに限定してしまうのは、もう違う時代に入っているのではないでしょうか。

今は、ネットも普及して、個人の呟きがあっという間に、世界中の多くの人に共有される時代です。

幸福には、いくつものゴールがある。

画一的じゃない時代なんだと思います。これだ!という正解はどこにもない。

 

自分で不幸だ!と思っていても傍から見ていたら「幸せじゃない」という、見方もできる。

私?私はアレだ。表の職もパートだし、内職しているし、結婚もしていないし、肩書きはずっと「明日をも知れぬ自由業者」。

公務員の多い親戚からは「完全に人生の落ちこぼれ」扱いで、病弱で、救いようのない存在と思われている。

哀れまれているでしょうね。

こういう表面の事例だけみて哀れまれても、良いんです。一般に流布している社会の”幸せコース”から見たら、確かにオチこぼれています。

昔、結婚していた友人に「だんなさんがいてうらやましいよ」と話したら

「だんなが居たら居たで、いろいろと面倒なことがあるのよ。独身には独身のよさがある。世の中上手く出来ているよ」と言われました。

これが、二昔前なら、親の決めた相手と、年頃になったら有無も言わされずに結婚してですよ、もしも相手が、粗暴で酒飲みで、厳しい姑、小姑が居たとしてですね、私は一年も辛抱できませんね。きっと。それくらい、結婚に向いていない性格だとつくづく思います。

親類に顔を合わせるたびに「結婚」とか「老後はひとりで寂しいよ」とお決まりの台詞を言われますが、もともと一人が長いので、失う心配も無いのです。

てか、私の人生には、学びに「結婚」は入っていないようです。

今の時代に生まれてよかったです。はい。

確かにお金はないけど、屋根つきの家に住んで、ひもじい思いもせず、眠たいときに眠れる、良い暮らしですね。日本に生まれたことが、幸運だとも思っています。

美貌があって、お金もあって、理想的なだんなが居て、なに不自由のない!!という人も存在するけれども、学びの「面」が違っていて、他人からは見えないというか。

お月様の裏側のような秘密や悩みがあるんです。

悩みがないってことは、もうそれこそ「解脱」した人くらいなのでは。

いろんな境遇で、いろんな悩みを持っている。

みんな違ってこそ当たり前で、この世界を構成して共有している。

もう、新聞やネットや、女性誌でお決まりの幸せ!を刷り込まれて、ないものねだりするのをやめてしまえば、あなたの「持っていないもの」は「これから手に入るもの」とも言えませんか。

「欲しい幸せ」の裏には「必要ない苦労」が隠れているのかもしれません。

得ていないことに、悩むなら、諦めてしまうか、得るために動くと、なにかが違って世界は変わるでしょうね。

悩むより、解決策を探すのが良い。

子供もいませんので、子供の将来への心配もない。

心配と希望は、裏表、同じところにあって、見えかたが個人によって違うんです。

自分の食い扶持だけを心配すればよい人生で、幸せだよ、と話しても「そんなはずない」と否定される始末。

そういう人は、自分の幸せを、絶対幸福ではなくて、相対幸福(他人と比較すること)でしか実感できないのかもしれません。

確かに。私は、野たれ死ぬ確率MAXでしょう。

世の中の女性が全て、結婚が幸せっていうのも、不自然な話で、孤独を学ぶため、という人生も有りだ、と思っていると自分の世界は平和です。

二人で居ても孤独を感じることがある、とある人が話していました。

逆に孤独で居ても、孤独を感じない場合もある。

結局、自分の人生は、他人様の人生になり代われないので、他人様のことを妬んだり、優越感に浸ったりしても、しかたないんです。

あなたはあなただから、価値がある。

あなたという存在は、この広い宇宙の時間の流れの中では唯一無二の存在なのだから。

出た!バイト先で

土日もアルバイトに出かけていましたが、出ました。

出たと言っても「霊」ではなくて、スズメバチ。ある意味、「霊」より怖い。体長4センチくらい。気持ち的には5センチに見えた。羽音が聞こえたとき、思わず携帯のマナーモードのバイブレーションの音かと思った。

狭い室内で、ハチはパニックになり、欄間に体当たりしたりして、飛び回る。

進入したと思われる窓は低い位置にあるので全然、出て行けない。

スズメバチは怖いけど、下手に動いて攻撃されたら困るので、霊と同じ対応をした。

それは「見ないふり」。

でもなかなか出て行けないんだわぁ。ハチは疲れて、窓枠や、電灯の傘に止まって少し休む。

また出口を探して飛び回る、を1時間ほどしていた。膠着状態。

その日はデータ入力業務が多くて、事務室を出て行くわけにも行かず、聞こえる羽音に怯えながら、ついに意を決して、天井近くにある排煙用の非常窓を開くレバーを引いた!が、なんと古すぎてレバーが引けない。なんだぁ!? 役に立たん!!

再び、打開策を求めて、窓を開けて、お引取りを願ったが、ハチは全然、氣がつかない。

その姿を見ていて、ふと思った。

困ったとき、視野が狭くなっていて、ちょっと余裕を持って周りを見れば、いくらでも出口(解決策)はあるのに、眼に入らない。そんな人間の姿がハチとダブって見えた。

そうこうしているうちに、強攻策を施した。それは箒でハチを出口まで誘導するということだ。

自力で何とかできない場合、そういう大きな力が働く。それが箒(のようなモノ)。

逆襲されるかも、と怯えたが、大きな箒で、無事にハチを出口まで誘導して、ハチの悩み(?)は解決。

5分後、壊れた欄間から、再びハチが迷い入って来た。近くに巣でもあるのかも。

しかし今度は、解決のコツがつかめたので、ハチを祓う(意味ちがうけど)のに成功。

事務室はほぼ密室であったから、その中でスズメバチと1時間もいたけど。

ハチはやたら攻撃的ではなかったので、良かったです。

これは、「霊」も同じような感じ。そこらにいるけど、そんなに攻撃的な存在は少ないと思う。

ハチはあんなにカロリーを消費するような飛び方しているので、たまに窓枠に止まったりして。

「少し休むんだぁ~」と遠くから見てました。

あまり、下界(私の座っているところ)には関心がなかったよう。それも助かった。

箒=手相見として、依頼者に示すことができれば。

手相を見るって事は、出口は導く箒のようなものだろうと再認識した次第です。

5月は、2件だけの更新となりました。

忙しかったのもあるけれど、今回、占星術で自分の過去を振り返った上で、将来を考える機会があり、自分の人生の棚卸しをしていました。

若いときは、星占いって全然当たってない!と思っていましたが、それは、平均的な一般の星占いですね。

自分の体が突き詰めると、星のかけらで出来ていると知ってからは、星の波動が影響しているのではないかと思って、一度きちんと自分の出生時の星の位置を鑑定してもらいたい~と思っていました。過去のことは過ぎたことなので、変えようはありませんが、私の人生はどう考えたって、残り少ないわけです。

で、残り少ないので反省というか、自分の人生を棚下ろしてみようかと。

手相見とは違う、霊感とは違う視点から摺り合せてみようと思ったのです。

過去の運勢リズムを振り返って、これからの自分の運勢リズムをいかに生かすかをじっくりと考える月となりました。

すると、やはり手法は違っても、運気の流れは示されていることに感動しました。

示されているものは、良いタイミングで来ている。

求める自分の直感に、確信を得た5月でした。

 



夏に考える

龍神

私は夏が苦手。汗かきだから。更年期だから汗がでるのかもしれないが、暑い夏はとにかく。

暑いのよりは、寒いほうがいい。が、真冬も困る。家の中にいて凍死しそうになるし、足指がしもやけになる。

で、どの季節が良いのかと聞かれれば、春、秋、冬、夏は最後だ。

そのくせ、夏の怪談は好き。暑くてどうしようもないとき、我が家にはクーラーがないので、近くの書店に足を運んで、怪談本を買ったりしていた。

その書店も閉店して、今はネットで稲川さんの無料怪談話ムービーを見たりする。

昔、入院中は冬でも夏でも病院の中は暑かった。冬でも夏でも、夜、眠るときは氷枕を、病院から借りていた。入院中に、よく聞いていた曲はバッハのリラクゼーション。次がモーツァルト。さすがに聞いているうちに眠りにすんなり導かれる。今でも眠りそびれたときは、バッハやモーツァルトにはお世話になる。クラッシックは、長い間、愛されているだけあって、旋律が美しい。入院中は、不思議な体験をたくさんさせてもらって、今から思うと人生の転機だった。

手相見を直接の知人以外にする機会を得たのも入院中だったし、隣の病室には「見える人」である男子学生がいて、興味深い体験談も聞くことができた。

ある意味、一番怖いのは、夜な夜な、入院ベッドのカーテンの隙間から中をのぞく、おじいさんとか、一晩中「殺される~ぅ」と絶叫していたおばあさんの声だった。

私は、基本、マイナス思考癖があるので、落ち込んだりすると、アレヤコレヤのマイナスな霊が寄ってくるらしい(某霊能者談)人生の落ち込みが激しかったとき、「あ~!あ~!(憑いている霊が)臭い!」と絶叫されたことがある。

幸い、気分を変えると、すぐ離れていく存在らしいので、実害はない。

マイナス思考というのは身についている本人には、そう考える流れができているので、それを逆らってプラス思考にするのは、ある意味苦行だ。はじめは慣れないことをするので、ぎくしゃくする。そのぎくしゃくするのをこらえて、慣れた習慣を意識的に変えていかないと、いつまでもマイナスのループの中に嵌っていることになる。

昔から存在するハレの日、ハレの氣というのは、そういうのを断つためにあるのではないだろうか。

今までの自分の運気をなんとかしたい。なんとかしよう、と思い立ったら、思い切ってちょっと高い買い物をする、行ったことのない店に入ってみる、どれも今ひとつなんだよなぁと思ったら。

そうだ、神社に行ってみよう。

神社の夢はよく見る。

神社の中から外を見る夢、神社に向かって歩く夢。

お寺の夢より神社の夢が多い。

手相見が忙しいときは、天然石関連は、ヒマとなり、天然石関連が忙しいときは手相見はヒマとなる。この流れもうまくかみ合っていて、お導きを感じている。

今?今はどちらもヒマなので、在庫の石を整理してます。

来月分の問い合わせは多いけど、予定は未定。



 

夢見から思えば


先日、見た夢の話をば。

訪問者があり、訪問者は私にある飲み物を持ってきていた。私はその飲み物-白酒- を口にするが、知っているようで知らない味だ、と思った。

同じ日、母が見た夢は、裏庭で遊んでいた迷子の幼児を、「人間ではないけど可愛そうだ」と思って抱き上げたという。

この夢はどうだ、と尋ねられれば、赤子、子供の夢は、子供の風体に着目して判断する。また「飲み物」を「訪問者」が持ってくる というのは訪問者はこの世の存在ではないよう思える。

とうとう、数年前から、ある人から言われていたとおりに「私の裏側」が動き出してきたのかとも思っている。

今年も多くの手相見をして天然石のいろいろを作ってきた。

年末なので、今までの依頼主のデータなど整理していて思ったことがある。

私は長いこと、ただの天然石愛好家だった。

それがいつの間にか手相見を通じて人から人へと御紹介いただき、あれやこれやを天然石で作っていることを思うと、不思議に思える。手相見は対面時に見料を頂戴するのであるが、天然石関連は基本的に前払いで頂戴している。

道端で現物を広げているわけでもない、店を持っているわけではない、社会的地位もない、依頼してくださるのは、とてもとても勇気のいることだろう。

その数を見ると、本業とするには及ばないが、広がり方をみると少なくないことに驚いた。

依頼主が、私のような海のもの、山のモノとも知れない人間に口コミとブログを見ただけで、お金を払っていただけるのは、奇跡ではないか。

ひとえに、御紹介してくださった方、その紹介者を信じて御依頼くださった方のおかげだ。

一人でコレクションしていたら、決して出会えなかった数多くの石たち、石は地球(ガイア)の魂のかけら。悠久の時の彼方で人と同じ物質だったかもしれない存在。

石は、そこに存在するだけならば、ただの石であるが、持ち主の意思が石を目覚めさせたときに、発するエネルギー、流れは体験したものにしか、わからない。


愛の行方

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暑い!9月も半ばと言うのに、30度超えている。黒酢を飲んでいるけどバテる寸前。私も手相見となって数年経過しまして、先日、ドメインの更新を済ませました。あと1年くらいは続いていると思います。狭い街で手相見なんてしていると、知り合い同士を、そうと知らずに拝見していたりします。親子や恋人同士、親戚同士、同僚、知人…様々です。手相を拝見するときは、大仰な予言はせずに、依頼者の手相を通じて鏡になるように読み取ります。私個人の主観がが入ると読みがブレます。そのため、そういう問題で、当事者の間に立って、言葉を交わす、見方によっては優柔不断と思われるでしょう。

運気の流れを読んで、それからどうするか、と言うときに、役に立つのが今までの経験値だと思っています。悩みを解決するには、どうするのが一番穏便に済むか、発展性があるかとか、考えます。でも自己主張が強く、特に愛が絡んでくると、どんなアドバイスも依頼主の耳には届きません。結局は自分で「なんとかしよう」と思い切らないとどうにもならないことも多いのです。

ひとつ言えるのは、相手をどうこうすることは、まず不可能なので、自分の見方や考え方、行動を変えるほうが、たやすく効果を期待できるということ。人、ひとりの思考を外から変えるのは、それはそれは大きなエネルギーを要します。効率悪いです。

自分が相手のために、という「愛」について。

「愛」とは相手を思い、相手の意に添う事、相手の幸せを願うことだと思っています。

自分に冷たいのは、許せない、思い通りになってくれない、という類の感情は「自己愛」です。

手相見でお話を伺っていると、時にそういう感情に触れます。

あなたの「愛」は相手への「愛」ですか。

自分への「自己愛」ではありませんか。

それを確認したうえで見ると、手相が示す線の意味も、流れも変わってくるのです。

「愛」は形で明示できません。行動で示すしかないと思っています。

相手のために i  (自分)を滅することができるのか。何千年経っても悩ましい。真実の愛がどこにあって、どうすれば見えるのか。人間の悩みの大部分を占めている。見るほうも言葉を選ぶ、難しい問題です。

 

宝毛

宝毛というのをご存知だろうか。「福毛」とも呼ばれる。これは周囲の体毛と比較して一本だけ長く成長したもの。5センチから10センチ伸びる場合もある。

あるいは、白毛が生えることを言う。民間伝承では「抜いたら、不幸がおこる」とか「生えている人に幸運を呼ぶ」など諸説様々有り、「宝毛」で検索すると、多くの情報がヒットする。

仏様の額の白毫(びゃくごう)になぞらえて、そういう伝承があると言われてもいる。

一昨日、私は、自分の右腕に、一本だけ長い毛があるのを発見した。

撮影にはてこずったが、周りの毛と比較すると、長い。7センチくらいあるだろうか。

昔、左ふくらはぎにも、長い毛が生えたことがあったのだが、せいぜい4センチくらいだったと思う。そのときは、氣にしないで抜いたけどな。

今回は、ネットで調べたら、多くの記事が見つかったので、抜かずにおくことにした。恥ずかしながら、福毛の伝承も詳しく知ったのは、初めてである。なによりも不思議というか、感心したのは、こんなに伸びるまで、全然、気がつかなかったことだ。入浴してもゴシゴシ洗っていたし。一晩で伸びるのはありえないだろうから、ある日突然、「見えた」というのが正しいかも。

酷使する右腕に在って、よくぞこの長さまで伸びたもの。記念に抜いてとっておこうとも思ったが、「抜くと身内が死ぬ」という説もあるので、そのままにしておく。また抜けたら同じものが生えてくるという説もあるので、氣に留めておくことにする。

だいたい、肩とか、顎に多く見られるというこの福毛、あなたの体にもあるかもしれない。

6月も終わりで、明日から7月。私の運気も切り替わる時期にあって、宝毛が「見えた」というのは、なんとも不思議。

少なくとも、この「毛」は私を、幸せにしてくれた。

幸福も、こんなものだろうか。目をこらして、あるいは、あるきっかけで「見える」ものなのかもなぁ、なんて。

あと、この暑さのためか、自室の網戸がいきなり外れ、猫が逃げる寸前だった。(汗)

網戸外れるほどのエネルギーが南の窓からやってきたということだろうか。だといいけど。

ちょっと見づらいけど、観光イベントで期間限定ながらSLが走る季節となり、準備中の車両を見かけた。鉄子でなくても、旅に誘われるようなSLの車体だ。

己を知っている

備忘録を作ったきっかけは、口コミで数を作るようになったため、依頼主に画像を見てイメージをまとめてもらうのを目的としているから。

石の名前はわからないけど、○○番のブレスレットのようなもの、とか言っていただくと

私も助かるので。

それから、「特定商取引法に基づく表記」を付け足したのは贈られた方が、自分のご家族やお友達にも贈りたい、とご連絡をいただくことが増えたからです。

携帯電話番号も載せているので、先日、「ネットテレビ番組で紹介しませんか?」なんて電話をいただいたりもした。

着信電話番号でネット検索すると、該当する会社がヒットしたので基本情報をゲット。

注文ではなくて、広告しませんか?っていう営業内容だとわかった。

翌日、かかってきた電話では…

 

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クリスタルチューナーの力

以前も紹介したことのあるクリスタルチューナー。

空間を浄化し、水などを使用できない天然石の浄化に使用しています。

今回、パワープレートもいただいたので、パワーチャージした後、コレクションのひとつの庭園水晶をチューナーで鳴らして浄化しました。

もともと虹入りの水晶だったのですが、虹の色あいがハッキリして虹の数が増えました。

コンデジではあまり美しく映らないのが残念。

クリスタルチューナーは水晶と相性が良いと聴いていましたが、私の別のコレクションの水晶も虹が浮かび上がりました。

この浄化力というか音色と言うか…。すごいと再確認。

私の持っているチューナーはバイソニックス社のものです。

購入はこちらでしました。

◆ギャラリーメイスン。

 

水晶付きでこのお値段はお買い得では。

お香も、太陽の光も、セージの葉での浄化ももちろん良いですが、気がついたときに空間を丸ごと浄化したいときに手軽にできるので愛用しています。

 

身近な不思議な話

備忘録で、ブレスレットの作成数が200越えました。

1つ目を作ったのが、2007年、100個目達成から2年弱。

ご依頼くださった皆様のおかげです。ありがとうございます。

もともとは、手相見の時に天然石のストラップなどをおまけとして差し上げていたのが始まりでした。

代金をいただくというよりは、お世話になった方への贈り物として、ブレスレットを作っていたのがはじまりです。

それが、手相見を通じて知り合った方から、方を通じて、多くの方とご縁をいただき、また、多くの石とも出会うことができました。

一人でコツコツ集めていたら、こんなに多くの石を手にする機会に恵まれなかったことでしょう。

私のブレスレットは、1個ご依頼くださった方が2個、3個と続けてくださるので、200という数になったと思います。贈り物にした中には備忘録に載せていないものもありますし、ストラップだ、サンキャッチャーだ、とまとめれば、この倍以上は作ったことになります。

 

依頼された方に、「煉さんの選んだ石は違いますね」と言っていただくと、嬉しいですが、複雑です。

仕入れ先に直接、足を運んで石を選んでいるわけではないのです。

複数の卸さんからネットを通じて購入しています。

卸さんによって、取り扱いの種類や、カットの種類も違うので、どうしても複数の卸さんからになってしまいます。

できるだけ、粒単位で注文するのではなくて、連(れん)単位。石をまとめた長さが38センチ、40センチ18センチにまとめられた品を、半連、1/4連など、可能な限り、まとめて購入します。まとめて購入分、一連につき数個単位で、品質の落ちる石も含まれているので、粒単位よりお安く購入できますが、さらに、一粒一粒、吟味して状態の良い石を選びます。

その部分に手間はかかりますが、単品で購入するより、お安くなるのです。

私が、儲けていないけど、石が残る…というのは、仕入れ方の手間が背景にあるからです。

残った石は、ランク別に最初の依頼者へ渡した石よりは、ランクが落ちる場合があります。

次の依頼者の予算次第で、出番になるのを待ちます。

ブレスレットにならずに、ストラップや、サンキャッチャーを飾る石になったりします。

依頼者も増え、数も増えると、不思議なお話を聴くこともあります。

作り始めた頃、多く聴いたのは、「なにかを決めたり、悩んでいると、ブレスレットやストラップが、切れる、紛失する」というお話です。

それも一人の方が「失くしました」と、別の方から「消えました」という内容がのメールが複数、同じ日に届いたり。

ブレスレットが、切れて、すぐに拾ったけど、数個しか手許に残らなかった。

とか

どこでどう失くしたのかも覚えていない とか。

お金を払ったものを失くしたときの喪失感は、察して余りあります。

先日、デパートのショーウィンドーで見かけた、ラリマーのブレスレットはなんと20万円以上の値札がついていました。万一、落としたときの気持ちを想像すると、立ち直れません。

富豪が身に着けているのはもっと高価なモノでしょうから、富豪はこういうのを失くしても落胆しないのかな?

 

私の作ったブレスレットを失くした人は多いのです。

道端に落ちている石が多いはずなのに、拾ったと言う人の話はあまり耳に入ってきません。

当初は私の作り方が悪かったのかな、とか思って色々の資材を工夫して換えました。

でも失くす人は減った氣がしません。

失くした人は、煉さんの作ったブレスレットは、縁起が悪い!!もう買わない!!と憤慨されてもしかたないところなのですが、次の依頼もしてくださいます。

市内に天然石関係のお店も増えましたから、次を選ぶには不自由しないと思われます。

 

私に続けて依頼してくださった方、もしよろしければ、次を依頼されたお気持ちを教えてくださるとありがたいです。コメント欄から(承認制です。すぐには反映されませんが)お願いします。

で、数が増えると、石を身につけたときの、身体の変化も多く聞くようになりました。

手に取ると、ピリピリした。

手に取ると温かく感じた。

ブレスレットを身につけたら、眼が回って、驚いた。少しずつ付ける時間を長くしたら、おさまった。

ブレスレットを身につけたら、胸がドキドキしたけれど、身につける腕を右から左にしたらおさまった。

 

石は、特定の振動波を出してます。

水晶が通信機に使用されていることからもわかります。

石は、モノではなくて、「意志」に通じて、人間をサポートします。

よく、パワーストーンって本当に効くの?と懐疑的な方がいらっしゃいます。

薬ではないので即効性があるか?と問われれば、個人差があるのでしょう。

でも、美しい存在を眼にしてその背景の時の長さに想いを馳せてみるという贅沢も、パワーの源ではないでしょうか?

絵画や芸術を愛でる、豊かな気持ちと通じます。

風水で天然石を効果的に用いるのも、そういう面があるのだと思います。

宝石が装飾に用いられる歴史は意外に浅いのです。

長い間、石は護符として用いられました。

国同士の戦いで、勝者が最初にしたことは、その国の財宝を奪うことでした。

宝石には不思議な力があると、信じられていたからです。

 

ブレスレットが目の前から消えてしまうことは、大地から預かった石が自然に還ったってこと。

持ち主のもとで働くお役目が終わった。

自分には次の石との出会いがあると、捉えてください。

ブレスレット代は、世の中に奉納したと思うと納得できるかもしれません。

 

写真は、両剣水晶と黒水晶です。

視点

手相見をする数が増えると、狭い街だから、依頼人の中には

ご夫婦だったり、ご兄弟だったり、親子だったり、恋人同士、分けアリ等等。様々な関係が見えてくる。

私は手相を見るとき、自分の視点や価値観が邪魔をしないように氣をつけている。

身近な存在の人を見るときは、自分の視点が多く入ってしまうので、読み取る精度は落ちるだろう。

余計な情報がないほうが、案外、細かく読み取れる。

 

見るときは、依頼主の位置に立って関係性や、経過を判断する。

手相を拝見している上で、対立する関係、思惑のある関係が見えても、それを自分の視点で考察する余裕はない。

 

見ているときは自分の視点が消えている…ような氣がしてきた。

手相見の内容をいつまでも記憶していないのは、相手の運気を見ているときは、別の場所から読み取っている感覚だからだ。

不思議と、依頼人の傾向が集中して波のようにやってくる。

月ごとのテーマがあるように、時期によってテーマは天で決められているのかもしれない。

手相を見ているようで、見ていないのかもしれないと、思う。

自分の直感を信ずるならば、夢の中で「アゼツライト」の声を聞いたので

今回、アゼツライトという石を手に入れた。

写真はアゼツライトと、ダブルポイント水晶の写真。