他人事

先日、オルゴナイトというアイテムに興味を持って、とりあえず自分で作ってみたのです。材料も近場でコツコツ買い集めていたりしてました。

ネットでオルゴナイトの作り方などを実践したブログなどを読み歩きました。材料のひとつレジンは高価なので、どうしてもお店で取り扱っている品はお高い。その中で、ブームの初期にオルゴナイトを紹介して、ご自分で誠実に作成されている方がいらして、お手ごろだったので、参考のためにもと購入しました。底辺一辺38ミリ、高さ38ミリのピラミッド型。色の在庫は白と青のみでした。今日、届きました。予想以上に綺麗で、エネルギーの鈍感なワタクシが手にとったところ、涼しい風を感じました。これがオルゴナイトのパワー?並べておいて眺めていると、急速に睡魔に襲われ、昼寝をしたところ、リアルで不思議な夢を見ました。夢の中で、まぶたが開かない、開かないとか思いながら家の中を移動している。思い切って指でまぶたを持ち上げて開きました。そこで眼をさましました。時間にして数分でしたが、深い眠りに入ったような印象です。オルゴナイトの影響かもしれません。

昔の仕事場での話です。ベテランAが新人Bに対する仕事の評価を、上司Cにしているのが聞こえました。盗み聞きではなくて、耳に入ったというのが正確です。Bの仕事ぶりを事細かにあげ、「あいつに任せるくらいなら、自分で仕事したほうが速いね」というA。

他人様の仕事ぶりを、「評価して」「言い切る」のは、もったいない氣がします。上司ならそれも仕事のうちですけど。

相手が自分の思い通りになんて動きません。他人ですからね。

でも、深い意識の中では繋がっているんです。

不満をもらした当人の指導力も問われると思う。

何年も仕事してきた人と、入ったばかりの人では、仕事の読み方から進め方まで全然違うでしょうし。

相手に対して、不満がでるっていうことは、自分の中の不満を投影していないかどうかを確認して、

相手の仕事ぶりに不満があったりしたら、まず自分からのアプローチを変えてみる。まぁ気長になってみる。ベテランさんと新人さんを同レベルと思わないことが一番、自分の心の平和には必要でしょうな。

不満を相談されていた、上司Cの対応が、すっごく「大人」な言い回し。「できることからさせてみては?」という冷静な展開だったのを、今でも印象深く覚えています。

これまた以前の職場で、病気で休んでいた同僚が、仕事の進行を案じていたところ、別の同僚に「そんな心配はあなたがしなくて良い。仕事の進行をどうするか考えるのは上司の仕事だ」と語ったそうです。

150620オルゴナイト

自分は自分の仕事を粛々とする。それで滞ったり、うまく回らなくなったら、どうするか。それを考えるのは役職付きの人の仕事なんだと割り切ってしまおう!ということです。

他人様の仕事についての不満を、己の仕事への見直しへつなげることが「心の平和」へ繋がるひとつだということだ。

「アイツ、使えね~」とか思う人、いますか。

その人は、あなに対してはそうかもしれませんが、あなたも別の人から同じように思われているかもしれません。

他人にどう思われても、しかたないことですが、自分の心の平和は、自分で作るしかありません。ワタクシは「使えねぇ!!」と思われるだろう立場の人間ですが、その評価は受け入れます。ただ、他人様に対しては評価はしないと決めています。評価する相手は、昨日の自分自身です。

生業にあらずだが

昨年、頼まれたバイトを、土日に10ヶ月ほどしていてですね、少し所得が増えたので、国民健康保険料やその他諸々の税金関係の支払い金額が数倍に。

数値で区切られている以上、1円でもラインからでたら、支払い内容が数倍ってねぇ、しかたがないんだが、なんか納得がいかないわ。2、3倍まではまぁ仕方ないと思うが…。

収入は2倍になっていないのに。保険料が数倍なんですよ!

これは、低所得者の意欲を削ぐと思うのだが。

今年は中途半端な稼ぎを脱出したいところ。

このところ色々あり、「ここいらで止めてもいいかぁ」と思っていたら、続けざるを得ない状況になったようです。

まぁ、この世が税金で公共サービスが回っているなら、仕方ないことだ。

これからも手相を見続けるべし、という天のお告げか。

実際、皆様の依頼があればこそ、私の生きる意味も余裕にも繋がっている。

支払う金額(税金)が増えたことを嘆くって言うのは、自分の心が貧しいって再認識する。

払えるだけ、働いた自分を褒めるほうが、豊かな自分だ。

持病持ちの私には、国民健康保険が無くてはならないシステム。恩恵を受けていることはありがたい。

よく、「税金をとられる」という表現が私を含めて、多くの人の口から出るけども、獲られる、っている意識が、よろしくない。

「納めている」と思えば、もっとお役所、政治家、などお上のすることに興味も持つし考える。長いこと、底辺な生活だったので、意識を改める。

齊藤一人さんの語る内容に、少しでも近づきたい。

実際、手取りは変わらないのであるが、増えた税金を納められる、豊かな自分、という考えにして。自分の中の「貧しい自分のメンタル」に氣がついた6月。

ちょっとした贅沢が、豊かな自分の波動に繋がるという。

暮らしに工夫をして、豊かさを探査する日々は続きそうだ。

その一押しに必要なもの

占いが氣になったりするのは、未来に希望が欲しいからではないでしょうかね。

人間は未来に希望が持てないと絶望しかないと、生きて行けないのじゃないかと思うのです。絶望だけ、になると自暴自棄というか、周りも巻き込んだり不幸のスパイラルに突っ走ると言うか、破滅へまっしぐら、となるのでは。

手相を見て欲しい、という人に「未来が不安」という方は多いですが、「幸せで最高!」や「どうでもいいぐらい絶望してる」って人はいません。「幸せだけど、心もとない」とか、「不幸だけど希望が欲しい」人が占いに足を止めるのでしょう。

占い師の言葉を励みにするとか、糧にするのが、良い利用の仕方でありますが、占い師の言葉に自分の人生の全てを託すのは正しい使い方ではありません。自分の人生の主役は自分で、こればかりは誰にも代わりにはなれません。ドイツの精神学者 フロイトやユングの言うところの「集合的無意識」で他人と繋がっているというのなら、他人の幸福は自分の幸福とも考えられますし。

スポーツで例えると、ゴルフでボールがカップにインしそうでしない、カップの淵を滑って行ってしまう場面や、テニスでボールがネットのヘリを転がってしまう場面を想像してみてください。

崖っぷちにつま先立っていて、あと少しのバランスを崩すと落ちてしまいそう!!な場面でも良いです。

あと、もう一押し、見えない力が欲しい!!、もう一息踏ん張りたい!!

というときにお役に立つのが、占いであり、そのための開運グッズだと思うわけです。

「運ばかりあってもねぇ」と、ある人に言われましたが、まことにそのとおりで、運を引き寄せるには自分が少しでも動かないとならんわけです。

もう一息、運の一滴があれば、化学変化を起こして、劇的に流れが変わることもあるんです。

長いこと生きていると、そういう場面を幾度も眼にしているし、体験もしています。

自分が運気、どん底だわ~、もうダメかもしれない…死にたいわぁ と思ったとき、TOKIOの「宙船(そらふね)」という歌に惹かれました。中島みゆきさんの名曲です。

「おまえが消えて喜ぶものに おまえのオールを任せるな」

喜ぶやつがいるかどうかはわからないですが、自分のオール(希望)を放り投げるのは、まだだ~。と思いなおし、加えて占いも活用しました。

自分の気力、あと一押し、欲しい!そのときに。

あなたは全てを持っている

手相見を見料を頂戴し始めてから、丸8年経ちました。

趣味の延長線で、他人様の手相を拝見してから25年過ぎました。

普通に暮らしていたら、耳にはしても、立ち入らない”深い話”にも立会いました。

そこで、私なりに考えた、私個人で得た感覚でモノを言いわせていただくと

結婚したい!できない!!と言う方は、家庭という学びを得られないかわりに、独り身の自由を得ている。

子供が欲しい!授からない!と悩む人は、子育ての喜びの変わりにパートナーとの学びを得ている。

たとえばです。この世の「幸福」の基準が、結婚して子供が生まれて、孫に囲まれた幸せな老後というのに限定してしまうのは、もう違う時代に入っているのではないでしょうか。

今は、ネットも普及して、個人の呟きがあっという間に、世界中の多くの人に共有される時代です。

幸福には、いくつものゴールがある。

画一的じゃない時代なんだと思います。これだ!という正解はどこにもない。

 

自分で不幸だ!と思っていても傍から見ていたら「幸せじゃない」という、見方もできる。

私?私はアレだ。表の職もパートだし、内職しているし、結婚もしていないし、肩書きはずっと「明日をも知れぬ自由業者」。

公務員の多い親戚からは「完全に人生の落ちこぼれ」扱いで、病弱で、救いようのない存在と思われている。

哀れまれているでしょうね。

こういう表面の事例だけみて哀れまれても、良いんです。一般に流布している社会の”幸せコース”から見たら、確かにオチこぼれています。

昔、結婚していた友人に「だんなさんがいてうらやましいよ」と話したら

「だんなが居たら居たで、いろいろと面倒なことがあるのよ。独身には独身のよさがある。世の中上手く出来ているよ」と言われました。

これが、二昔前なら、親の決めた相手と、年頃になったら有無も言わされずに結婚してですよ、もしも相手が、粗暴で酒飲みで、厳しい姑、小姑が居たとしてですね、私は一年も辛抱できませんね。きっと。それくらい、結婚に向いていない性格だとつくづく思います。

親類に顔を合わせるたびに「結婚」とか「老後はひとりで寂しいよ」とお決まりの台詞を言われますが、もともと一人が長いので、失う心配も無いのです。

てか、私の人生には、学びに「結婚」は入っていないようです。

今の時代に生まれてよかったです。はい。

確かにお金はないけど、屋根つきの家に住んで、ひもじい思いもせず、眠たいときに眠れる、良い暮らしですね。日本に生まれたことが、幸運だとも思っています。

美貌があって、お金もあって、理想的なだんなが居て、なに不自由のない!!という人も存在するけれども、学びの「面」が違っていて、他人からは見えないというか。

お月様の裏側のような秘密や悩みがあるんです。

悩みがないってことは、もうそれこそ「解脱」した人くらいなのでは。

いろんな境遇で、いろんな悩みを持っている。

みんな違ってこそ当たり前で、この世界を構成して共有している。

もう、新聞やネットや、女性誌でお決まりの幸せ!を刷り込まれて、ないものねだりするのをやめてしまえば、あなたの「持っていないもの」は「これから手に入るもの」とも言えませんか。

「欲しい幸せ」の裏には「必要ない苦労」が隠れているのかもしれません。

得ていないことに、悩むなら、諦めてしまうか、得るために動くと、なにかが違って世界は変わるでしょうね。

悩むより、解決策を探すのが良い。

子供もいませんので、子供の将来への心配もない。

心配と希望は、裏表、同じところにあって、見えかたが個人によって違うんです。

自分の食い扶持だけを心配すればよい人生で、幸せだよ、と話しても「そんなはずない」と否定される始末。

そういう人は、自分の幸せを、絶対幸福ではなくて、相対幸福(他人と比較すること)でしか実感できないのかもしれません。

確かに。私は、野たれ死ぬ確率MAXでしょう。

世の中の女性が全て、結婚が幸せっていうのも、不自然な話で、孤独を学ぶため、という人生も有りだ、と思っていると自分の世界は平和です。

二人で居ても孤独を感じることがある、とある人が話していました。

逆に孤独で居ても、孤独を感じない場合もある。

結局、自分の人生は、他人様の人生になり代われないので、他人様のことを妬んだり、優越感に浸ったりしても、しかたないんです。

あなたはあなただから、価値がある。

あなたという存在は、この広い宇宙の時間の流れの中では唯一無二の存在なのだから。

この世に正解はない

このところ週末は大雪で、2時間おきに外へ雪かきに出ていました。

筋肉痛になるかと思ったけれど、雪が軽いので、筋肉痛は軽くて済みました。

氣がつきましたら、手相見+の記事数が400件となっていましたので、これが401件目の記事であります。

雪かきに追われて、手相見も予定通りに行きません。そういう時期ってあります。

私の父方の従姉妹はバリバリキャリアの公務員ウーマンなんですが、親類の葬式で会ったとき「普通のパートのおばちゃん」がしたい、と話してました。

上に立つ人間はいつでも決断と責任の立場で、ストレスが溜まっているのと察します。

彼女は結婚して子供もいますが、仕事のために、子供になにかがあると実母に助けられていたと言います。

子供と一緒にいられなかったという寂しさもあったのかもしれません。

普通のパートのおばちゃん、である私から見ると、バリキャリでうらやましいと思っていたのですが、人間と言うのは、自分の持っていない部分を欲するものなのですね。

自由があれば不自由をうらやみ、不自由なら自由を欲する。結局のところ「リアルが充実」するっていうのは、自分の気持ちの落としどころを掴むと言うことに尽きるのでしょう。

それぞれの生き方は自分で選択したので、誰がOKで誰がNGということもない。

人間の生き方の評価は勝手に他人がしているので、合わせる必要もないのです。

手相を見ていて、これからの展開を話していて、敢えて、難しい道、厳しいほうの選択肢を選ぶ依頼主もいらっしゃいますが、私の見通しでの「幸せ」と依頼主の魂が欲している「幸せ」は別物なのだと、思い当たります。

占い師と依頼主の相性も、確かにありますしね。

ただ、「こうなる可能性」を示されたからと言って、盲目的に信じる前に自分の内面、心の声を確認しながら選択する自由はあるということを覚えていて欲しいのです。

今、迷っている人、辛い人、その辛さは、自分自身の成長のため、カルマの解放のため、予定通りなのかもしれません。

予定通りなら、次はもっと自分の心に正直なものを選択してみてください。あなたの思考

結婚しているからOK、未婚はNG

子供がいるから良い、いないのはダメ

モテルのは良い、モテナイのは…etc.

この思考の展開は、案外、世間(または支配層)の刷り込みかもしれません。

ようは、自分がなにを選んだか?

自分の考えに固執しないで、たくさんの意見を聴くのも大切で

自分がどれを選ぶか、だけです。

昔と違って、たくさんの情報に触れることができる時代です。

道行くスマホを見つめている人を見ていると、それぞれがそれぞれの神の声を聞いているような印象を覚えます。

見ている方向は手元の画面だけれど

周りも見ていないと、足元が危うくなるので

占いと言うのは、足元を見るために利用するのが一番なのではと思うわけです。

自分で幸せになること

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先日、年に一度の持病の定期検査で総合病院へ出向いたのですが。受付窓口でとても威圧的な不遜な態度をとる熟年男性を見かけました。受付窓口の女性が検査に出向く指示を忘れたようなんですが、それに対して、罵っているんです。文字にするのも嫌なくらいです。

声も大きいし。とっても不快だったのですが、受付の女性は謝罪していながら表情ひとつ曇らせない。プロだと思いましたね。不快では有りましたが、視点を変えると、病院だし、体の調子の悪い人もいるし、許容されるのかも。そう思わないと、こなせませんね。立場は違いますが、若い頃ビジネスホテルの受付をしていたことがありまして、女性だということで態度が不遜で尊大なお客もいらっしゃる。始めからケンカ腰なんですね。

重箱の隅をツツクようにです。でも社長が応対すると、態度を一変させるんです。紳士的になる。社長がいなくなると、また責めてくる。 自分より下のモノにしか強く出られないという。「自分は小物です」と自分で表明しているような印象です。昔、年配の男性が、車を降りて、抗議していたのは、若い女性だったのを見かけたこともあります。

車の運転に抗議していたようです。「よほど面白くないことがあったのかな」と思ったけど。

別の日には銀行の窓口の女性に声を荒げている男性を見たことがあります。事業者用の窓口でしたから、「なにか商売がうまくいっていないのかしら」と思ったりしました。 あれは相手が女性だからああいう態度を取るのでしょうか。

絶対自分に反撃してこない相手を選んでいるんですね。周りから見ても一目瞭然。 他人に対して攻撃的な人は、周りが「ああしてくれない」「こうしてくれない」だの「わたしばっかり」等々不満がくすぶっていて、ちょっとした刺激で弾けてしまうんだろうと思います。

不満な自分の態度が周りに影響していると考えもつかないのでしょう。 他人に優しくされないと、不満があったら、そこはこらえて、他人に少し優しく接してみると、いいんじゃないでしょうか。 わたしばっかり!と思いますか。相手に攻撃をして一時は扱いが変わるかもしれませんが、攻撃された相手の中で芽生えた不満の波動はめぐりめぐって、発したあなたに戻ってきます。

不思議なもので、速攻反応がないから厄介なのです。 遠大なドミノ倒しのように、小さな波紋は大きくなって、戻ってくるのです。

今のままでは、ずっと今のままか悪くなりこそすれ、良くはなりません。相手が一歩譲って、あなたがすっきりしても、深いところが満たされていないからです。 同じ、波紋でも、良いことなら、もっと大きな恵を得ることができます。それは本人が忘れた頃にもたらされます。 わたしばかりが譲っている!私ばかりが我慢している!そう思っても 私から!となにか良いことを始めてみるのが、開運の近道でしょう。

人生の終焉が見えてきた私には、そう見えます。 良いことをしても、すぐに好転が見られないかもしれません。悪いことのほうがインパクトが強くて、目立たないでしょう。目立たないけど、無駄にはなっていないものなのです。 私は手相見であるけれど、愚痴を聴くのも、つらいことを聴くのも御代を頂いているので、仕事と割り切っています。

が、友人に延々と愚痴られるのを耐えられるほど、人間ができていないようです。 私の友人たちは皆、前向きでパワフルで、尊敬できる人ばかり。 どう励ましても私の言葉が届いていないと思われる人には、力が及ばず申し訳ないと思います。 でも!愚痴や不安は癖になる。自分で意識的にプラスに考えないと、自分で決めないと、負のスパイラルからは抜けられないのよ。 自分では自覚が無いかもしれませんが、愚痴っているのが楽になっている場合もあるのです。

愚痴を言う唇から、今ある幸せ、今得ているものに感謝して、最初はつらくても、少しずつ良いものを見ていくようにしたほうがずっと人生は暮らしやすいのよ。 体は不調かもしれない。つらい事もあるでしょうが、それは、「生きているから」です。あなたを支えてくれる人が傍にいるのだから、氣が付いてほしい。あなたはきっと私よりも何倍も頑張っているし、恵まれている。今気づかないともったいない。

老いる自分について

私にとっての大きなイベントである夏至が過ぎて、冬至が待ち遠しい季節となった。

年に一度の定期検査では、甲状腺の良性腫瘍が、数は減っていないけれど、大きさが小さくなっていたので、ひとまず来年までは安心となった。ヘミシンクのCD「T細胞を巡る旅」を聴きながらイメージトレーニングをしていたので、効いているのかも。薬じゃないので「効いた」と書ききれないところですけど。

自分で自分の健康はイメージトレーニングで補っていこうかね。

年齢を重ねると眼は老眼になるし、耳も聞こえづらくなる。

年を重ねると、経験から見えないものが見えてくるから、実際の視力が落ちても良いんじゃないかな。

耳の調子が良くない場合も聴かなくていいことを聴かなくても済むと割り切ってしまおう。

ま、言うのは易いけど、一歩進んで二歩下がる状態だけど、そう思うことにした。

体の不調は、年齢的に あって当たり前だと思っているから、多少の検査結果の悪い数値はあまり氣にしない。

もちろん、健康なのに越したことは無いけどね。

今まで生きてきたんだから、不調な自分も受け入れる。

老いるという言葉にはマイナスのイメージがあるが、意味は違うだろうがアンティークとか熟成とか良い意味にとらえていこう。

老練していると思って、そうやって自分自身を納得させていくのだ。

若さと引き換えに得たものがある?

それは、限りあることが救いだと知ったことだ。

苦しみも辛さも永遠に続かない。この世で唯一平等なものは

時間であり、そして死である。

自分の体を労わり、ほどほどに暮らしていこうと思う。



天然石+(Plus)への道

氣がついたら、夏至が過ぎていました。冬至が待ち遠しい季節が始まりました。

闇夜でコケた傷、まだ完治していません。今は怪我がかさぶたにならないような絆創膏の時代なんですな。今回の怪我で、膝の擦り傷は全治1週間以上ってことがわかりました。

でも、バンド●エイドは、お高いのでそろそろお安いのに変えようと思ってます。

手相見を休んで、天然石のあれやこれやを作っているうちに、夏至が…(以下略)。

自分としては、手相見に天然石が付いているという感覚だったのだが、これでは天然石のおまけに手相見が付いてくる!というのが実情。そのうち、天然石+(Plus)というブログ名に変わるかもしれないなぁ。という思いが脳裏によぎる。でも面倒だからもう変えない。

手相を拝見の際に、ブレスレットの依頼も承ることが多くなっているのは事実である。

天然石は魔法の杖ではない。言うなれば、自分自身への約束の証である。

手相見は、これからの生き方の地図のようなものだから、目的までの標として活用していくのが良い。

それから、最近、自営業の方からの依頼が多くて、受けた印象をざっと記しておく。

良き言葉に良き運氣は導かれる。

「無理」「ダメ」「面倒くさい」「殺す」(←冗談だけど実際に言われた。笑)等、マイナスなエネルギーを宿す言葉は、避けるが得策。

口癖のように使っていると、言霊がその運気を呼び寄せる。

お金が無い は「手持ちが無い」と言い換え、力技でも良いので、良い言葉を選ぶこと。

商売をしているなら、ことさらで、運気が悪いと思っているなら、なおのことである。

自分自身が、その状態を招いているというのなら、良い方に考えたほうがお得。

自分もうっかりマイナスの言葉を口にしてしまう。

そういう時は「キャンセル、キャンセル」と言うと良いらしい。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」五日市剛 著 より。

気をつけねば。

自営業は、自分が王様なのだから、自分の王国をもっと幸福にしてほしい。無理はしない。自分を大切にして欲しい。

好きなことを、好きなときに、好きなだけやれる。

頑張った分だけ自分の力になるのだ。

うらやましいぞ。



幸せを探しに

昨日、住宅街にオープンして間もない雑貨店に、友人と連れ立って立ち寄りました。

ドアを開けるまで、お店なの?(失礼)と、ドキドキ。

ドアが、なんとも言えず良い雰囲気です。一見、カフェにも見えます。

立ち入ると、別世界でした。

8畳ほどの店内に

お店のオーナーさんの作られた布製品を始め、手作りで愛に満ちた様々な雑貨が所狭しと待っていてくれます。

 



師走、始まる

写真は、11月12日午後に友人が撮影した、「縦にかかる虹」です。お許しを得たので、載せておきます。クリックすると大きな画面になります。ほぼ中央にうっすらと虹の塔が見えます。

私には神さまが立っている姿にも見えます。

アブナイ?ですか。

今年は私、虹を直接見ることはできませんでした。お知らせを受けるのみです。それも不思議な虹が多かった印象。これは、宇宙から地球へ降りてくるエネルギーが違うからなのかも、なんて考えています。

それとも、皆、空を見る機会が増えたし、携帯電話にカメラが装備されているからでしょうか。

今年の、手相見のテーマは、「夫婦」だったような氣がします。

以前、ブログでも書いたような氣がしますが、今年を振り返って、もう一度記しておくことにします。

夢で見たのは

ある夫婦がいて、夫を変身させて妻も変身する という内容。

これから、相手を変えよう!と思ったら自分も変わらなければならない。

相手NG、自分はOKではくて

相手NG は 自分もNG なので

相手OK=自分OK なことを考える。

相手を変えられないのならば、今の立場から退くか、先に自分を変えてみることが必要なのだろう。

夫婦とは、人生の高度な修行だと聴く。

どこまで譲歩できるか、どこまで相手を思いやられるか、が日々試されているのだ。

夫も妻も、究極のサービス業と言えるのだろう。

自分や相手の要求が大きくなれば、どちらかが我慢を強いられたのなら、そこに「愛」はあるのかと

問う。「愛」は維持するのに、お互いの労力が必要だ。育てて、維持し、守るのにはテクニックが必要なのだ。

究極の愛は見返りを求めないことだ。

どんな目にあっても自分が相手の幸せを考えられるかどうか、だろう。

打算が働いてしまうのもしかたない。でも、精神的に病んでしまいそうなら、逃げてもいい。

夫婦というのは、一つの修行をクリアしたとして、縁が切れることもある。

【愛】から【情】に意識が移っても、修行仲間であることを意識すれば、相手もOK、自分もOKな方法を考えてみる。

迷っているときは、離婚という選択肢は選ばないこと。回避策をすべてやって見たけど、ダメだった。

全てやって見たけど徒労に終わった。やるだけやってダメだった!

と思ったときに次のステージが用意されていると私は思う。

しかし、今年のテーマを振り返ると、「大人な」内容が多かったが

自分で道を切り開く方も多かった。

少しでもお役に立てたのなら、手相見していて良かった。

あと、近所のスーパーで売られている たこ焼き屋さんで、初めて「ネギマヨネーズ たこ焼き」を購入して食したところ、激ウマでした。そのお店は老舗で普通のたこ焼きも美味しいのです。そのたこ焼きの上に刻み長ネギとマヨネーズがたっぷりトッピングされていて、これがとても香りよくて美味。普通のたこ焼きよりも50円ほどお高いのですが、しばらくやみつきになりそうです。

ネギは健康に良いし、風除けにも効果有り。

美味しいものが食べられて幸せ。