ブレスレットを作るとき

ブレスレットを作るとき、一番緊張するのは

オペロンゴムを結んで、石の穴に引き込むとき。

普通に石を組んで、普通にゴムを結んで、接着剤をつけて

引き込むのですが、一発で済むときと、ウマく引き込めず難儀するときが

あります。

エラー(引き込めない)時は、組み直します。

石が「NO」と言っているような気がするからです。

組みなおすと、以前の組んだものより、良いものにできあがった気がします。

また、良いな、と思った石を仕入れると、不思議とその石を希望する

依頼が続いたりします。

波長の法則なのかもしれません。

予言されていた今?

手相見で代価(食事代や、おやつ代)をいただくようになったのは、10年くらい前からですが。

きちんと金銭を頂戴するようになって2年くらいになります。

 必要とされたから、頂戴する流れになったのは、不思議なことです。

長いこと、手相を見ることはコミュニケーションツールでしたから。

 

 手相に興味をもったというか、不思議な話が好きだったのは

怪談話好きな叔父の影響があったと思います。

また、曾祖母が「拝み」をしていたという話もあり、それとなく

霊感があるのだという母や叔母が周辺で体験した不思議な話を

聞いて育ったこともあるかもしれません。

 

 そんなわけで、占いも好きな私は10年以上前に近所で有名な

手相占い師の方に見ていただいたことがあります。

あなたは、○○才から裏の仕事が急上昇する…。

 「裏の仕事??」 本業ではないのか orz

さて、言われた年齢に達しました。

手相見が忙しくなるのか…と思っていたら

意外なことにこれは、「ブレスレット作り」でした。

 2008年の後半からドトウのように作る機会に恵まれました。

気がついたら通算50本越えていました。

 

さかのぼって数年前に、霊感リーディングを受けたところ

「これからは才能が開花しますよ」と言われました。

 手相の才能か?と思っていたら、

今思うと、「ブレスレット作り」だったのかもしれません。

 自分では霊感は「0」(零)感か?と思っていたのですが

どうやら、第3の眼で人の人生を見る感性があると言われました。

 他人の人生を見るには、それなりの覚悟が必要だとも。

 だから、仕事としての手相見が少なくなったのは、ある意味良いことなのかも。

でも、見る以上は、覚悟を決めてみていますよ。

 私の作ったブレスレットが運気の転換期に壊れたりする、とか身につけていないと

不安になるくらい愛されるというのは、嬉しいことです。

 先日も、あるお店のオーナーさんから「お店に置いてみない?」

と言っていただけました。

 

とても嬉しいお話でしたが

作っているとき、私は念をこめているような気がします。

 石は意志がある、と言われたことがあります。

特に、ブレスレットのように身につけていただけるものを作るうえは

相手の方に渡るそのイメージが大切だと思うので

これからも注文を受けて作ることにこだわりたいと思います。

 

必要なときに、必要なことが

手相見はこのところ、依頼がありません。

おかげさまで、天然石関連の仕事が続いています。

よく、「手相を見てもらいたいけど、怖い」と言われることがあります。

そうですね、本当ならば運命の先は知らないのが花です。

でも、知っておけば、その先に自分の意にそぐわない運命が待っていたら

方向転換できるチャンスがあるのです。

「知ってしまった」そのときから運命は変わります。

「怖い」と思っているなら、今は手相を見てもらう時期ではないということです。

未来を思って、真剣ならばそういうことは言っていられない。

「悪いことでも話してください」と言われて拝見することもあります。

でも、「悪いこと」なんて、本当は悪いことではないかもしれません。

次のステップに行くために必要なものだと私は思っているので。

告げられた運命に一喜一憂するより、自力でなんとかしたい、と思ったときに

手にするのが開運グッズ。

私は、天然石でした。

必要なものは必要なときにやってくる。

たとえば、あなたと私が知り合って、手相を拝見するのも

それは、天のお取り計らいです。