この世で、悩ましきものは、人間関係に集約されるかもしれない。
世界が自分ひとりだけだったら、悩みもないかもしれないが、つまらないだろう。
わさびのないお寿司のようだ。
悩みのない人生は、うらやましいと思うけど幸せではないだろうと思う。
なぜならば、幸せを感じるには悩みがあればこそだと、この年齢だから
思うのだ。
ある日、知人から「以前の職場で私を嫌っていた人が、ここに赴任してくる。
どうしよう?」とSOSのメールをもらったとき
「私を嫌っていた人」ではなくて「私が嫌いな人」だろうと思ったものだ。
先日、ニュースで、人の思考をキャッチして動くロボットが開発された、とあった。
人間が考えるときに脳に流れる微弱な電気を測定して、読み取るという。
すごい!他人の思っていることが、声に出さないのにわかる、
SFの世界が目前に迫っているのである!
機械に人間の思考が読み取れる技術が開発されるということは
相手が「好き」という思考を発していれば、おのずと人間も意識せず読み取っていると
いうことだ。その逆も有り。
相手が、読み取っていないとしたら、それはちょっと敏感ではないということだ。
相手を責めたり、相手に嫌われているから…とか、自分がなんとかすれば…
なんて考えるのはキツイからやめておこう。
もちろん、逃げるというのも有り。
でも、スピリチュアルな世界観では、克服するべきテーマは
繰り返し試練として訪れると言われてる。
もうちょっと強くなってから試練に立ち向かうことも有りだろう。
で、メールをくれた知人には
「 一生、24時間顔を合わせているわけでもないだろうし、
相手のことを考えている時間はもったいない。
自分を嫌っている相手のことにわずらわされずに、淡々と仕事をしてみては」
と、知人には返信した。
人間は、たとえウソでも「幸せです」「ありがとう」と言っていると
脳はそれを本当だと徐々に思い込むらしい。
言霊信仰にも「良い言葉を用いる」とある。
仮に今日、仕事で失敗をしたとして、それが自分の全てを表しているわけではない。
一生、今の状態が続くわけでもない。
最近、仕事でうまくいっていないなぁと思ったとき、自分がどう問題に向き合うかが
大事なのではないだろうか。