手相を見ているのは、希望されるから、見ているのであるが
ときおり、落ち込むこともある。
それは、手相を見て、自分なりに誠実に言葉を選んでも
相手に受け入れられないときだ。
見料をいただくようになってから、ある程度それは割り切っているが
友人、知人の立場でアドバイスして相手に届かないときには、落胆する。
友人に
「こういうのは、ちょっとやめたほうがいい」とアドバイスして
友人は「そうだね、わかった」と言いながら
数ヶ月後に同じ行為を繰り返していたりすると
もう一度、話す気持ちは萎えている。
相手を友人だと思う気持ちが深ければ、深いほど、それは大きい。
だが、待て。
落胆するというのは、自分の言った言葉が正解だと思っているからであって
正解は、人の数ほどあるのだ。
私のアドバイスを受け入れる、入れないは本人の自由だ。
そのことに関して私が心配することはないのだろう。
占った相手(お客さん)とは親しい間柄(友人)にはならない。
これは某高名な占い師が、常々気をつけていることだと、以前本で読んだことがある。
この距離感こそが、他人の運命の先を読む人間には必要なのだ。
私は、まだまだ覚悟が足りなかったな。
手相見の見料をいただいたからには
友人だった相手とも、きちんと距離を持とう。
それは、「情」が入ると、気持ちが乱れるからであり、
冷静に読むためにである。
冷静に読むためには、見料をいただき、依頼主と自分という
距離感をきちんと持っていなければならないからだ。