もう11月も終わり。とくになんということはない月末であるが
昔のブログにも載せた話を備忘録として。
手術を経験したのがきっかけで、スピリチュアルというか不思議な話に
強く惹かれるようになった。
その関係で旅先に神社があると必ず参拝することにしている。
何年か前、ちょうど夏に手術をした後だったか
小旅行に出かけて、旅館から近くの神社に参拝した。
部屋に戻り、夕刻に室内に灯りをつけたところ
天井に光の影が映っているのに気がついた。
光の影とは妙な言い回しだと思われるかもしれないが
鏡に光があたり、反射して壁に映された光と言えば、イメージしやすいだろうか。
私は、最初、室内の鏡に光が反射していると思った。
光はゆっくりと、天井を右から左へと移動している。
室内に移動する鏡はない。
もう一度眼をこらして光の影を見た。
影はやはり動いてる。
微細な揺れではなくて、右から左へと往復しているのだ。
丸い光の影が。
室内が明るいので不思議と恐怖もなかった。
光は数分後に消えていた。
昔、十数年前になるが、
夜道の帰路で、満月のように大きく、赤い火の玉を見たことがある。
満月か?と思って見上げると
満月は私の背後に有り、その満月大のまんまるな火の玉(のようなもの)は
す~っと音もなく上空から降りてきて、私の前でパッと消えた。
時間は午後10時過ぎ。
丑三つ時ではなかったので、不思議に怖くはなかった。
不思議なことがあるなぁという刷り込みがあったので、背中がゾワゾワする怖さ
というものはなかった。
思い起こせば
火の玉を見た頃は、生きていく自分の進路をはっきりしたくて
右往左往していた頃だったし、
光の影を見た頃は、自分の行く末に迷っていた頃だった。
考えてみれば、頭で冷静に考えていたつもりだったのに
魂のほうでは「進む道が違っているよ」というサインを常に出していたと
思う。
うまく行きそうなときに、体が不調になるのにはそういう意味があったのだ。
頭で考えていた理想的な道を選ぼうとしていたことに魂が
「やめときなさい」と発するメッセージを何年も前に受け取っていたのだ。
つまり、本当なら何年か前、ある病で最初は
「手術はしなくてもいいよ」と医師に診断されたものの
偶然というか、自分の直感で行動し
別の病院で再検査したところ、「即、手術」となった経験がある。
あのとき、「手術しなくていいんだ」と安堵しきっていれば
もしかしたら、死んでいたかもしれない。
つまりは、今自分がここにいるってことは
生かされているってことなんだと再認識した。
今、すべてを天に任せなさい、というメッセージを受けて
私は、なんとなくすっきりしている。
奇跡は、毎日起きている。