禍福は糾える縄の如し。
先日、「○○才になったけど、全然イイコトなかったよ」と声をかけられた。
かけてきた相手は1年ほど前に、有料ではなくて、仕事の合間にザッと見ただけの知人の男性だった。第3の眼を開く間もなく見た相手だ。
聴けば、身内の不幸など色々重なって、たしかに聞く範囲では”全然イイコトなかった”と思える。
わたしの手相見は外れたわけだ。相性も合わなかったということか。
わたしの経験から話をすると、わたしは十数年前に、「天職」と思っていた書店店員の仕事をリストラされ、路頭に迷う羽目になった。
人生の嵐の只中に居たときは「ツイテナイ」「イイコトなんてない」と思っていた。数年前に手術が続いたときも、「○○占術では12年に一度の幸運期のはずなのに…」ツイテイナイと思っていた。
今、当時のことを振り返るに、リストラされて、パソコンを勉強し、いい出会いにも恵まれて、こうしてブログをパソコンにつづっている。
手術が続いた時代を経て、手相見や天然石関連の仕事に導かれたのだと思い当たる。
「12年に一度の幸運期だったのに、手術が続いたんですよ」と当時相談した霊能力者の方に語ったところ 「それくらいで済んでよかったですね」と言われた。
考えようによったら、悪性でもなく、治療も必要のない病であったから、これは幸運だった。
今、手相見であると、中には本当に大変な状況で、どうにもならないという人の手相を見ることがある。人生というのは、幸運の前にはなにかしら、大変なことを経験するのではないか。
大変な時期を経験するから、普通なら見過ごすことも幸福と感じられるのではないか と思う。
幸福の感性が磨かれたということか。
筋肉トレーニングで鍛えられるようなものが、人生のイメージだ。
障害線からズレて上がっていれば、考え方を変えて開運。
障害線を突き抜けていれば、考え方を変えずに開運と見る。
少し頭上にある幸せを得るためには、ジャンプしなければならない。
飛ぶ前には、少し膝を屈めると、一見、目標からは遠ざかる。
遠ざかった分、膝に蓄えられた力で、跳躍し目標を掴むことができる。
辛いことも、全てはあなたの人生を導くためにあると思える。
実際、「苦しい、辛いんです」と訴える依頼主の手相を見ると、障害線を超えたところに
大きな開運線が延びていたりする。
あなたの考えている「イイコト」と天が計らっている「イイコト」は一致しないかもしれない。
だからこそ、人間は迷ったり悩んだりするのだろう。
でも、その荒波を越えると、あなたの幸運探知感性は確実に鍛えられている。
幸運は、当たり前になると、感じなくなる場合もあるが、
当たり前を幸運と知ると、あなたを取り巻く世界は変わる。
手相見や占いは、そんなきっかけとして活用しよう。
自分で希望を見つける気力を取り戻させてくれる。
本日、久々に丸々オフ!
現在マイブームなのは、アーティスティックワイヤーで天然石をつなげること!
ワイヤーワークということですか。
基本の「めがね留め」というテクニックで、天然石をつなげていきます。形はまだまだいびつですがやり始めると、凝り性の私は楽しかったです。この調子で良くとネックレスとかペンダントとか色々と作れそうな気がします。
よくわからないまま、太いワイヤーで練習しました。
次はちょっと細めのワイヤーで繊細なものを組んでみたいです。