気がついたら、2011年が始まって一週間も過ぎていました。バイトも無事始まったものの、正月休みの分、実働日数が少なくて、仕事量が圧縮されて慌しいまま、三連休に突入。まだお休みモードから完全離脱できていません。
写真は我が家の最大猫、こたろう 7.5キログラム です。
今年のお正月は、寝正月でした。おまけにこの数日すごく寒い。灯油代を節約しようと思っても、半端じゃない寒さなので、動きが鈍くなり、布団の中で本を読んだりして…。
まるで冬眠中のようです。
今年、この数年で一番多く年賀状を頂戴しました。いつもの顔ぶれに加えて、手相見関連の方から多く頂戴したのです。ありがとうございます。
社交辞令も多いと思いますが、「今度お茶しましょう」と自筆で添えられた文もありました。あと、街でお会いしたときも「今度お茶でも…」と声をかけてくださるので、本当にありがたいです。
実際、「手相見無し」でお茶して世間話をするには、暇も余裕もないところで、ご希望に添えなくてもうしわけないです。
このブログでも何度も同じコトを話していると思いますが
正直な話、友人と手相見の線をひくのはとても難しいのです。
手相見として客観視できることが、友人という立場で見ると私情が入ってしまい、見所がちがって来る場合が無いとも言えないので、友人の手相を見るのは一度きり。
また、手相見の依頼主と友人関係になって馴れ合いになるのも避けたい。
先日
「自分のことをよく知っている人に、手相は見てもらいたくないよね」と友人は笑いました。
見えすぎて、見なくても良いとこまで見てしまうからでしょうか。
私も、それはつらいところです。
「私の手相を見て。パートナーの手相を見て」という方は少なくありません。
でも、その後も「たまに会って、お友達としてお茶してください」という方も中にはいらっしゃいましたが、お断りしました。
手相見として問題に向き合うことができても、友人として問題に向き合うのはご遠慮したい気持がもありました。
相手のこれからの幸せに願かけたということもあります。
願をかけたことは、話していませんから、相手には「理由がわからない」とメールで責められて
疲れたことが、小さいトラウマになっているかもしれません。
婚約者を紹介したい、と言ってきた知人には、お断りしました。
きっと手相見の立場で見てしまうだろうなぁと思ったので。
修行が足りないと言われればそうです。
気がついたら、拝見した人数が こんなに?というくらいの数になっていて、もっとしっかり拝見できるよう、精進しようと思います。
数人なら、お友達のまま、対応できたと思うのですが、数が多くなるにつれ、それは叶いません。
きちんと一線をひかないと、境界線の無いまま、手相を見て、なし崩し的に友人になって、困りごとがあったら相談を受けてというのは、なにかが違う。
そんな便利な友人がいたら、頼ってしまうものでしょう。
わたしも例外ではないと思えるから。
昔と違って、手相の本は、多数書店に並んでいます。見ようと思えば、本片手に自分の手相を読み解ける時代です。私も最初はそうでした。
本と私の違いはどこにあるのか、と問われれば、実際見てきた数の経験値が、本を読み始めた人と違うところです。
それくらい。
ご縁がありましたら、天然石でも、手相見でも。
今年はどんな手相と出会えるか、楽しみにしています。