先日、読みたい、読みたいと思っていた古典SFを2作読んだ。
ハミルトンの「フェッセンデンの宇宙 」と クラークの「幼年期の終わり」
どちらも人間対人間、人間対宇宙 との関わりを描いている。
人間と人間が存在する限り、対立もあるし、思いのままに動かない。だからこその人間だ。
もし世の中が自分の思い通りに、ことが運んだならば、悩みもない代わりに、どこか空虚なものだろう。
光の只中に存在すれば、光を光と感じられない。
光を光と認識するには闇が存在しないとならないのだ。
苦しみを経験しなければ、喜びも、喜ばしいと理解できない。
この世には全てOKという事象は存在しない。海があり空があるように、対極のものがあって初めて知ることができるものがあるのだ。
私自身、扉が閉じられた感じというのを幾度も味わってきた。
扉は閉じ、ぶつかり、弾かれて、気がついたら、今は、他人様の手相を見て、天然石でブレスレットなんて作っている。
もしかして、悩んでいる悩みの種が、あなたという人生に配置された、天の使い、運命のキーワードかもしれない。
ならば、嘆いてばかりいないで逆手に取ることを考えると、運気の流れも変わってくると思えてくる。