手相見をする数が増えると、狭い街だから、依頼人の中には
ご夫婦だったり、ご兄弟だったり、親子だったり、恋人同士、分けアリ等等。様々な関係が見えてくる。
私は手相を見るとき、自分の視点や価値観が邪魔をしないように氣をつけている。
身近な存在の人を見るときは、自分の視点が多く入ってしまうので、読み取る精度は落ちるだろう。
余計な情報がないほうが、案外、細かく読み取れる。
見るときは、依頼主の位置に立って関係性や、経過を判断する。
手相を拝見している上で、対立する関係、思惑のある関係が見えても、それを自分の視点で考察する余裕はない。
見ているときは自分の視点が消えている…ような氣がしてきた。
手相見の内容をいつまでも記憶していないのは、相手の運気を見ているときは、別の場所から読み取っている感覚だからだ。
不思議と、依頼人の傾向が集中して波のようにやってくる。
月ごとのテーマがあるように、時期によってテーマは天で決められているのかもしれない。
手相を見ているようで、見ていないのかもしれないと、思う。
自分の直感を信ずるならば、夢の中で「アゼツライト」の声を聞いたので
今回、アゼツライトという石を手に入れた。
写真はアゼツライトと、ダブルポイント水晶の写真。