長いこと人間をやっていると、運命の迷路にはまりこむこともある。その迷いから抜け出すお手伝いを手相見でしている自分なのであるが、最近周辺を観察していると「お告げ」は周辺の人の口を借りて目の前にくるものだと確信した。
仰々しい光に満ちて、荘厳な雰囲気の中に、燦然と光り輝いて神から授けられるのではない。
本当に、人の口を借りて、あるいは本のページの見出し、眼に入った情報などあらゆるものを通じて「告げられる」のだ。
それは、本当にあっけない。
注意深くしていないと、見落としてしまう、聞き逃してしまうものだから。
今回は、仕事の愚痴を友人にこぼしたところ、明快に答えが告げられた。
私もうすうすわかっていたことだけど、やはりね。
頑張って上が望めるならいいけど、自分に無理をしてまで続けなくていいんだ。
今までは、自分が勉強になるから…なんてことで引き受けていたけど。
その仕事を、もうしない、と言い切ってしまってかまわない。
そう私は内在する気持ちに気がついたのだ。
価値がわからない相手に一生懸命な仕事を提供するのは、ご遠慮しよう。
いい加減な仕事をすると言うのではなくて、無理はしないということを。
だって、それは、誰もに要求されるものではなくて、できなくても許される内容だから。
力を入れる部分を選択するという時期に来ているのかもと納得した次第である。
すでに運の転機に入っているというのはこういうことか。
新しい仕事の波に乗っている友人たちを見て、私もきちんと選択する時期に来ているかもしれないと
悟った。
これが、先日夢で見た「靴を忘れた自分」のお告げでもあった。
真夜中に鳴る人生相談のメールも
追加で求められる手相見の追加フォローも
すべてが次の段階へと道筋を示していたのだ。