「煉さんの選んでくださった石は違いますね」
最近、よくそういう言葉をかけていただきます。
私は、「引き寄せの法則」というのを信じていて、一攫千金(いっかくせんきん)を目論んで、イメージトレーニングをしていますが、((*^_^*))
百万円を頭の中で数えきる前に、眠りに落ちてしまいます。
いやいや、お話したいのは、そういうことではなくて、私の手許にやってくる石は、「縁」があるからだ、と信じているわけです。
やって来てくれたからには、「おもてなし」する。
一晩、浄化函「宝函」で休ませておく。
ブレスレットやその他色々作ったら、これまた宝函で休ませて、包装する前にはお香で浄化します。
作っているときは、頭で考えるより、指先で、眼を通して石の聲(こえ)を聴いているような気がします。
作っているときは無心に近いので、深いところで異次元と繋がっているかもしれません。
こういうと大げさですが、
作るときは、怒りや悲しみ、疲れ等々、負の感情を持つときには作業しないと決めています。
思うように、石がまとまらなかったりして、イラついたときは、お休みします。
組みあがったものを見て、「まぁいいか」と思って、依頼主に手渡したことはありません。
「コレだ」と思って作るのですが
依頼主の希望で、出来上がり後に石の数や変更する場合もあります。
それも、作る数が増えたからこそです。
依頼してくださる方がいるからこそ、色々な石とも接点を持てました。
これから、依頼を受けるスタイルを変えてみようかなとも思案中です。
この石を使って欲しい、という希望ではなくて
引き寄せの法則によって、私の手許に来ている石から選ぶと言うのは
どんなものでしょうか。
石との出会いは運命。運命を感じてみるのはいかがですか。
やはり自分は石オタクだなと思い知りました。