私は、「手相」を見ることで相手をある意味癒しているのか?
「ヒーリング」というのは
「癒すこと」
ネットで検索するとたくさん探し当てられる情報である。
現在では「氣功」や「ヨガ」、「レイキ」などをいくばくかのお代を払って身につけられる。
占い師の延長にあるようなヒーラー養成講座もある。どれも数万円からの受講料が必要である。
とてもじゃないが今の私には支払えない。
(注)お金が無いという言葉は、自己暗示にかかるので、「手持ちが無い」と言い換えると運気の流れが変わってくるらしい。
師匠を見つけなさい。
昔、リーディングしてくれた人が言ってくれたけど、師匠も見つけられないまま。
ヒーラーの術に興味はあるけれど、他人を癒す前に自分を癒すことも叶わないまま現在に至る。
ところが
ある時、あることがご縁で知り合った方から、「ヒーラーになりませんか」と声をかけられて、
「欲の深い悪人」である私は、ヒーリングのテクニックを勉強させていただくことにした。
私にはヒーラーの素質がある?
とにかく長年の夢だったので、目の前に来たチャンスは逃すまい。
もちろん、こんな私であるから、巷にあるような養成講座で数万円もお支払いできるわけがない。
お支払いは、先様のご好意で天然石アイテムで良い、ということだったので、
ありがたいお話と受けさせてもらったのだった。
備忘録に載せている「ペンジュラム」がその代金だ。
まずは、疲れている自分をヒーリング。
その後は飼い猫、そのうち、手許に来た石たちにヒーリングして、パワフルになってもらいたい。
石がパワフルになれば、手にしてくださった方も、エネルギーに満ちて、幸せになるだろう。
世の中には、眼に見えることしか信じないという人がいるが、「氣」というものは存在することを否定する人は少ないだろう。
最近は、人間の脳波を感知して動作する電気製品も開発されている。
「氣」というのは、大切なのだ。
そのうち、ブログのタイトルが「ヒーリング+(プラス)」になっているかもしれない。