見えるもの、見えないもの

目の前にある、ひとつの物体。あるものは「良いものだ」と言い、あるものは「悪いものだ」と思う。

目の前に見えている存在が、あなたにとっては「腹の立つ」ものだとしても、別の人にとっては「大切な」ものだったりする。

 私から見て、「いいこと」があなたの眼から見て「とってもよくないこと」だったり。

手相見をしていてもそれは、ことあることに感じる。

ある一場面を見て、個人が抱く感情が別々なことを考えると、ある神秘家が語った「この世は幻である」という言葉を思い出す。

 私は宗教家でもないし、信者でもないが、聖書からの言葉で好きな言葉がふたつある。

それは、

「求めよ、されば与えられん」

 「復讐するは我にあり」

「求めよ…」というのは欲しいものは、欲しい!!と思わなければ、受け入れることはできない。

(別の意味があるかもしれないが、文面だけで好きな言葉だと言える)

復讐するは …は、なにも自分で復讐しなさい、ではなくて、

「復讐をするのは我(神)であるから、あなたがすることはない」という意味だと聞いてから好きになった言葉だ。

もしこの世が、同じ感性、同じ価値観の人間だけ存在したならば、どうだろう。

想像するに、平和は平和かもしれないが、発展も刺激も無い、調和の世界が地平線の彼方まで続いている…。

やがては、静かな終焉を迎えるのではないか。

 同じ存在を見て、違う思考を抱く。

人間は、だからこそ、互いに妥協し、許しあい、切磋琢磨して、発展してきたのだ。

あなたの考えは、私とは合わない。

でもあなたの存在は否定しない。

ちょっと接し方を工夫しよう。とか思ったり。

 

そう思えば、職場の人間関係も、困った人との関係も「許せないわ」「ムカつく」ということも

ちょっと緩~く、許せるのではないか。

自分の視界(世界)からフレームアウトさせる。

 

…とまぁ、言うだけ(書くだけ?)言ってみるものの

自分でできるか、と言えば、一歩進んで二歩下がるわけで。

開運グッズも試してみるわけです。

開運したい、幸せになりたい!!と思うのは、不運が続いた時が多いのではないだろうか。

思いたったときが吉日。

 

 

満月の夜

満月

2011年11月11日は満月。

その横には木星が輝いていますが、フレームに納まりませんでした。

満月のお財布の儀式も済ませました。

今日は、窓辺に水晶を置いて、月の光で浄化、エネルギーチャージができます。

コンパクトデジカメで、思いのほか美しく写真が撮影できました。

最近、職場の同僚が気になるというご相談が増えました。

 

「○○さんは、あんなことして…ブツブツ」

他人のことが不満で氣になるのは、暇だからですかね。

忙しかったら他人にはかまっていられません。

自分も忙しいけど、氣になるの!!ってな場合は、その感情の奥になにがあるのか、自分でじっくり向き合ってみるいい機会です。

 

彼女が職場の男性からちやほやされているから?

彼がまったく氣が利かないから。

ああもう、なんてあの人はずるいのかしら!!

さまざまな感情がありますが、その元々はどこから発生しているか。

黒い感情に気づいたら、人間くさい自分を素直に認めてしまい、好きなことをして忘れてみては。

 

この10年で、普及した携帯電話。道を歩きながら、携帯画面を見ている人も少なくありません。

子供づれなのに、小さい子供に目もくれず、見ているのは携帯電話の画面。

まだ、携帯が普及していなかったころは、そういう

道を歩きながら、バスを待っている少しの時間に、自分のこと、他人のことを考える隙間時間があった氣がします。

今はその隙間を携帯電話、メール、ゲームで埋めてしまう。とりあえず何かしている。

ゲームは息抜きになるならいいけど、面白いから、ハマっちゃう人が少なからずいる。

ゲームは面白いですよ。

私は携帯ではなく、PSでもDSでもなくて、本当に初期のころのゲームウォッチ世代なのですが、

3Dガンダム…今の立体の3Dではなくて、液晶画面が3面連なっていて、画面を移動して戦うというヤツをバイト先で買ってやっていました。

PCゲームもやり始めるとコンプリート目指してやり続けます。

そんな性分なので、ネットゲームも携帯ゲームもやりません。ハマるのわかっているから。

自分にこらえ性がないのを自覚しているからです。

危険な場所には近寄りません。

おっと、脱線、ゲームじゃなくて。

…もっと、隙間時間にぼんやりしたり、考え事しても良いんじゃないかなって。

お月様を見てそう思いました。

 

 

天空の橋

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今年も、天空に橋がかかりました。

私は現在、バイト先であるこだわりというか、神経症的にこだわっているモノがあります。

これは、マイルールとして、自分のモチベーションを上げるために密かに行っているのですが。

この妙なこだわりは、こっそりひっそり続けたいと思っています。

こういう、

「自分だけがこだわっている」という仕事の上での「こだわり」を持つのはいいのではないですかね。

お茶だしを率先したり、これだけは手を抜かずにする!というこだわりというのは、ある意味「内なる神様とのお約束」であります。

神社のお百度参りや、「○○断ちで願いをかける」ようなものです。

昔、バイトしていた書店では、店員さんが、コミックスの平積みの仕方に、独特の「こだわり」を持っていました。

ただし、自分でこだわるだけ。

迷惑をかける行為はもとより他人に強制してはいけません。