目の前にある、ひとつの物体。あるものは「良いものだ」と言い、あるものは「悪いものだ」と思う。
目の前に見えている存在が、あなたにとっては「腹の立つ」ものだとしても、別の人にとっては「大切な」ものだったりする。
私から見て、「いいこと」があなたの眼から見て「とってもよくないこと」だったり。
手相見をしていてもそれは、ことあることに感じる。
ある一場面を見て、個人が抱く感情が別々なことを考えると、ある神秘家が語った「この世は幻である」という言葉を思い出す。
私は宗教家でもないし、信者でもないが、聖書からの言葉で好きな言葉がふたつある。
それは、
「求めよ、されば与えられん」
「復讐するは我にあり」
「求めよ…」というのは欲しいものは、欲しい!!と思わなければ、受け入れることはできない。
(別の意味があるかもしれないが、文面だけで好きな言葉だと言える)
復讐するは …は、なにも自分で復讐しなさい、ではなくて、
「復讐をするのは我(神)であるから、あなたがすることはない」という意味だと聞いてから好きになった言葉だ。
もしこの世が、同じ感性、同じ価値観の人間だけ存在したならば、どうだろう。
想像するに、平和は平和かもしれないが、発展も刺激も無い、調和の世界が地平線の彼方まで続いている…。
やがては、静かな終焉を迎えるのではないか。
同じ存在を見て、違う思考を抱く。
人間は、だからこそ、互いに妥協し、許しあい、切磋琢磨して、発展してきたのだ。
あなたの考えは、私とは合わない。
でもあなたの存在は否定しない。
ちょっと接し方を工夫しよう。とか思ったり。
そう思えば、職場の人間関係も、困った人との関係も「許せないわ」「ムカつく」ということも
ちょっと緩~く、許せるのではないか。
自分の視界(世界)からフレームアウトさせる。
…とまぁ、言うだけ(書くだけ?)言ってみるものの
自分でできるか、と言えば、一歩進んで二歩下がるわけで。
開運グッズも試してみるわけです。
開運したい、幸せになりたい!!と思うのは、不運が続いた時が多いのではないだろうか。
思いたったときが吉日。