時間と情報量

写真は、現在練習中というか手をつけている、ワイヤーのチェーンメイルで作ったチェーン。紐やワイヤーニッティングなど試してみるが挫折も早い私。

最近、テレビでは歴史の流れをワイドショー化で紹介する番組が増えている。私が中学生や高校生だった頃にこういう番組があれば、興味の持ち方も違って進路にも影響を受けただろうと思う。

江戸時代は300年近く続いたが、300年間、変わらない江戸時代だったろうと思う。どういうことかというと、現代から思うに明治時代は100年ちょっと前であるが、その頃に比べると人間が接する情報量が格段に違うのは、皆さん御存知のとおり。

数年前の昼ドラマを再放送で見るだけでも、このパソコンのディスプレイはブラウン管だから○年前、液晶だから古くないドラマ、携帯電話のデザインで、何年前のドラマ 等々、一画面で推察できてしまうのだ。

十数年前には携帯電話も普及していなかった、とか液晶がカラーじゃなかったとか。

パソコンが一般的ではなかったとか。

この十数年のIT関連の進歩の速さを考えると、江戸時代の100年と、現代の100年という時間の密度というか速さが違うのは明確だ。

いや~、20年前が舞台のドラマを作ろうと思うと、もう時代劇並みの時代考証が必要なんだ!!

大昔、人は自分の感知する世界が全て。自分の周りの情報だけが全てであったが、今は、テレビで書籍でインターネットで、多くの人の人生や情報を共有できる時代。ある意味何十人分の知識を得ることができる時代。

情報が多くて、助かる分、選択肢が多くて迷いも多い。

これから未来を想像するに、100年後の世界を読むことは難しい。

100年後、昨日の常識は今日の非常識、昔は○○だったけど、今は違う…。時間の速度が速くなっている。

 

整理しながら

先日、在庫の天然石の浄化が無事に終了しました。「宝石のエネルギー」という書籍の中で記されている方法を試していました。本当に石に気泡がつく場合とつかない場合があります。不思議です。

手相見の依頼は基本的にメールでやり取りしますが、戴いたメールは3ヶ月をメドに削除します。御礼のメールを整理していると、依頼主さんからいただいた感想には、あるキーワードがあることに、今更ながら気がつきました。

「すっきりしました」

このフレーズが一番多かったです。

依頼主が示した悩みや思いに、私は手相を拝見してタイミングなどを申し上げますが、一人でアレコレ考えていたことに、私が手相という導(しるべ)を見て答えると、なにかを感じてくださっているのではと思います。

「話す」ことは言霊として、自分に示すことですから、滞っていたエネルギーが流れ始めるのだと思います。

手相を拝見しているときの、私は「鏡」でありたいと思います。

手相は、あなたの内面を表したモノであり、私はそれを映し出すのです。それに対する試してみる様々なことがらを提示しますが、選択権は依頼主にあります。

どうしても、納得できない、行動に移せないという場合は、納得できる、移せるタイミングを読み取るようにします。

私自身は、傍から見て、恵まれてもいなくて、運もない、普通より下のような運気の人間ですが、関わった人すべてが運が上がりますように、そして幸福になった人の運気が巡りめぐって私の運を上げてくれますように!と欲深なことを考えているのです。

私に手相見の依頼をする時は、そういう準備ができた人だから、今がその時だ~!という人が多いのだと、数を重ねるごとに実感します。

運というのは、「運ばれて」くるもの。

他人様との交流無しにはやってきません。

お金はお客様扱い

怪しい手相見のカメ更新のブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。

手相を拝見していて、必ず聞かれること、それは恋愛関係と金銭関係の運気です。

私は自分の恋愛関係は、他人様に話せないくらい格好が悪いヤツですが、こういう手相見をしていると、自分の人生の何倍ものお話の数を知ることになります。それは映画や漫画で言うところの「俯瞰図(ふかんず)」、運気の流れを上から眺める感覚に似ているかもしれません。

貧しいどん底の時、自分には「お金持ちの思考」というものが欠落している、お金持ちの人にお話を伺ったらば、少しはなんとかなるかもしれない、と考えて色々と本を読み、お話を伺い、観察しました。

俗に言う、お金は金を呼ぶというのも、お金を貯めるばかりでは、いけないというのも、長い歴史で培われた知恵だということはわかりました。お金はエネルギーを表したもの、エネルギーの対価であるというので、手相見で見料を戴いているのですが、戴いたお金はお客様だと思って扱っています。

お客様だから、お香で清めて、少し暗いところ(専用の箱)で休んでいただいて、帰って(使わせて)いただきます。

帰っていただくときは、お願いをします。

「たくさんの仲間を連れて戻ってきてくださいませ~」

心の中で、ですよ。

請求書の支払いのときも、お菓子を買うときも、英世さん、稲造さん、諭吉さんに「使わせてもらいます。また仲間を連れて戻ってきてね」と心の中で呟きます。

私は、石持ちではあり、お金持ちではありませんが、かろうじて毎日暮らせるのは、このお願いのおかげだと思っています。

そうこうしているうちに、楽しくなってきましたし、お金を支払うときの切ない思い(苦笑)はなくなりました。

引き寄せの法則で、お金が少なくなることで残念な波動を出すより、仲間をそのうち連れて帰って来~い、と思うほうが楽しいと思うのです。

パチンコや宝くじを変われるときは、「負けちゃうかも」、「どうせ当たらない」などと思うよりは、ずっとずっと良いと思うのです。

万一、財布の中身がすっからかんになっていたとして、悲嘆にくれるよりも、いつか戻ってくる、と思うことが大切なのです。

自分は自分

この年齢なれば、もういい年なのであまり他人様に叱責をされることはないのですが、先日、車の通らない横断歩道を急いで渡ったらば、年配の男性に「赤信号だろう!…ったく!!」としかられてしまいました。

信号無視したのは事実なので、恥ずかしいのですが、昨今のニュースから、背筋が冷たい気持ちも体験しました。ひとまず殴られたりしなくて良かったかも。

怒鳴った男性の心理も想像してみました。

心配してくださってありがとう、なのか

自分に面白くないことがあったので八つ当たりだったのかは、当人にしかわかりません。

ならば都合の良い理由で自分は納得しました。

こんな感じ。

守護霊様が男性の口を借りて、警告してくださった。→ありがたい。

ということにしておくと、背筋の冷たさも、忘れました。

例として

ある時、ある人に通り過ぎがてらに「笑われた」として、それが

「あいつ、かっこ悪い」 か

「あの子可愛い」 とか思って笑ったのかは、当人にしかわかりません。

それに対して

「あの人は~~と思っているに違いない」とか

「あの人は私をバカにしている」というのは、相手ではなくて、自分自身が思っていることです。

「○○は嫌みったらしい」

「××は人をバカにしている」というのはその人ではなくて、結局自分の内なる声だったりするのです。

本当に深いところにいる自分自身が、相手の行動に見える「投影」という心理が働いているのだと思います。

この世には社交辞令が存在します。

いちいち裏を読んでもしかたありませんね。

悪口を言われてる、嫌われているのも氣にしたってしかたない。

あなたはあなたであり、他人にはなりえません。

他人の思考まで操作することはできないのですから。

深読みをしない鈍感力というのも、必要な時代なのです。

鈍感だけでも嫌われますけどね。

ほんの数十年前に、個人が接した情報量と、現在接する情報量は違います。

余計な情報は、排除することも自由な時代です。

あなたはあなた。自分は自分。