この年齢なれば、もういい年なのであまり他人様に叱責をされることはないのですが、先日、車の通らない横断歩道を急いで渡ったらば、年配の男性に「赤信号だろう!…ったく!!」としかられてしまいました。
信号無視したのは事実なので、恥ずかしいのですが、昨今のニュースから、背筋が冷たい気持ちも体験しました。ひとまず殴られたりしなくて良かったかも。
怒鳴った男性の心理も想像してみました。
心配してくださってありがとう、なのか
自分に面白くないことがあったので八つ当たりだったのかは、当人にしかわかりません。
ならば都合の良い理由で自分は納得しました。
こんな感じ。
守護霊様が男性の口を借りて、警告してくださった。→ありがたい。
ということにしておくと、背筋の冷たさも、忘れました。
例として
ある時、ある人に通り過ぎがてらに「笑われた」として、それが
「あいつ、かっこ悪い」 か
「あの子可愛い」 とか思って笑ったのかは、当人にしかわかりません。
それに対して
「あの人は~~と思っているに違いない」とか
「あの人は私をバカにしている」というのは、相手ではなくて、自分自身が思っていることです。
「○○は嫌みったらしい」
「××は人をバカにしている」というのはその人ではなくて、結局自分の内なる声だったりするのです。
本当に深いところにいる自分自身が、相手の行動に見える「投影」という心理が働いているのだと思います。
この世には社交辞令が存在します。
いちいち裏を読んでもしかたありませんね。
悪口を言われてる、嫌われているのも氣にしたってしかたない。
あなたはあなたであり、他人にはなりえません。
他人の思考まで操作することはできないのですから。
深読みをしない鈍感力というのも、必要な時代なのです。
鈍感だけでも嫌われますけどね。
ほんの数十年前に、個人が接した情報量と、現在接する情報量は違います。
余計な情報は、排除することも自由な時代です。
あなたはあなた。自分は自分。