金縛りは転機

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昨晩、何年ぶりかで、金縛りに遭った。

夜中に目が覚めて、「来るな…」という予感とともに。

両耳の奥で割れんばかりの大きな音が鳴り響き、体に圧迫感が。

なにか、見えないかな、五感をすましたが、映像は浮かばずに、胸の部分にピンポイントの圧力がグイグイかかってくる。息が詰まる!と一時、焦ったものの…そのまま眠ってしまったようで(苦笑)。体が疲れているのかも、と思ったのだが、触れる電気機器がことごとく動作不安定になるということに。自宅のパソコンが不調。職場のパソコンが、なんともないところで不調。携帯電話や自宅の電話も急に鳴り出したりして。

私、昔から静電気帯電体質で、真冬は静電気除去のアイテムが必需。

パソコンの前を歩くだけで、画面が揺れたりした。

電気製品だけでなく、昔から「不良品」を手にする機会が多い。

誰かが、じっくり選んでくれたお土産でさえ、私が受け取ったときは、欠けがあったり、不良品になっていたりする。

昔、プリンターを買ったら、新品なのに内部が壊れていたことも。

以前、夜中に目がさめると、真夏なのにひどく寒かったということがあり、寒くて、頭の天辺から、なにかをすぃっと引っ張られる感覚があった。

アレも金縛りに分類されると最近知った。

金縛りに関する科学的考察は、よけておいて

(都合よく)思うに金縛りは、転機を知らせにやってくる。

抜かれた後は、押し込まれた感覚。

背後霊、交代したかな??

 

変わっていくお題

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手相見をしていると、不思議なことに似たような相談内容が、集中することがある。

恋愛、家族関係、仕事、その他。続くときは続くので、世の中の「悩み」のサイクルがそうなのか、自分に向かってくる「お題」がそうなっているのか。

手相見を名乗って5年目。

ようやく最近、「お題」が「そのとき」を待って私の元へやってくるような氣がした。それは、天然石関連の依頼にも同じことが言える。願い事の、満ちる時が、同調しているのを感じている。それは、依頼のメールが集中する時期や問い合わせが集中する時があるのだ。これを、「流れ」と見ると、意外なものが見えてきたりする。

手相見をしていて、普通に暮らしていては出会うことのないような方々から様々なお話を聞き、様々な悩みを見てきた。

私は他人様に偉そうに語れる学歴も、職歴も持ち合わせていない。人間性もそれほど高くない。あるのは手相見の経験と天然石愛好家歴だけ。

けれど、いつも心のお師匠さま(故)山村幸夫さんが、著書「神からのギフト」で語られているような、人間性に少しでも近づきたいと思っている。昨日よりは今日、今日よりは明日、良くなっていく。

これからの「お題」は「良くなっていく」ということだ。

信じる信じないは

天然石愛好家20年以上の私。天然石で色々作るようになってはまだ10年も経っていません。10年以上前に失業したとき、市役所経由の紹介で、水引の内職をしたことがあります。そのときに買い揃えた工具があって、それを使って作ってみよう、となったのが、始まりといえば始まりのような。

ワイヤーを使って作ってみようと思ったのは、作ったブレスレットのゴムが切れる、というのでワイヤーを使おう、ということで。

ゴムを使ってもワイヤーを使っても、切れるものは切れるし、作ったものは消えてしまうことが続いたりする。

ある時、私を鑑定してくれた霊能力者の方が、私の作った品と、持ち主の波動が合わないと、ゴムが切れたり、消えたりする、と話してくれました。

言われてみて、注意深く見てみると、たしかに、石が持ち主と合う合わないというよりは、私が作ったものが相手に対して作用しているかのように、消えたり、現れたり、ワイヤー切れたりするらしいということが見えてきました。

「絶対、なくならない場所にしまっていたのに」「きちんと持っていたのに…」 皆さん、口々におっしゃいます。

石好きな私、依頼主の予算目いっぱいで石代にして、手間賃度外視して作った品も、すぐに持ち主の手許から消えてしまいます。

願い事に見合った報酬を、私が得ていないから、波動のバランスがとれていないからでしょうか。

私の作ったものには、見えない付加価値があると認めなさい、といわれているような氣がしました。

私の独断で、良かれと思って選んだ石が、相手の波動に合っていないのでしょうか。自問する日が続いています。

「決断した日に、消えていた」というお話も多く聞きます。

一度、手にしたものが消えるのは悲しいことです。

私は、悲しい思いを依頼主にさせているのでしょうか。

ただ、アイテムを失くされた多くの依頼主さまが、「石は手許から消えましたが、願い事は叶いました」と言って下さるのがありがたいです。

石は、天への奉納品と考えています。

石がすぐに手許から消えてしまうのなら、窓辺に吊るすサンキャッチャーを傍において、石となじむのも、良いのでは。

でも、やはり、見えない世界から告げられているような氣がするのです。私の石選びに対する姿勢というか、視点を変えることを求められているのかも。

見えないが必要なもの

 読んだ書籍に書かれていた一文。「好きなことを仕事にすると、働くことは苦にならないが、好きではない仕事をしていると働くストレスを他で解消するために、お金を使ってしまう。結果いつまでも豊かになれない」(意訳)

 別の日、某番組のドキュメンタリーで、好きなことをしている、「人形作家」の方を特集していた。その人は朝から晩まで人形を作っていて、家には寝に帰るだけ、でも楽しいです、と語っているのが印象深かった。好きなことを生業にしているかたは、脳内物質の関係だろうか、あまり老化していないような印象を受ける。年齢を重ねても若々しい人は、好きなこと、つまり気分のイイコトをしているのだろう。

 現代では、「目に見えないもの」を否定するむきもあるが、目に見えない心のありようが、体の調子を左右することがあるのは事実だ。人間は、「イヤだ」「辛い」と仕事に対して思うと、朝、起きられないとか、涙が出てくるとか、いろいろと体調に表れる。見えないけれど、「想い」の力は強い。

 私も年を重ねると、自分の嫌なことは避ける思考術が身についてきたと思っている。もう、残り少ない余命を考えると、自分の欠点を正している時間はないのだ。

 手相見も天然石で作ることも、好きだからしている。

 その中でも一番苦手なことがある。それは石の説明書をまとめる時だ。天然石愛好家が長いと、「書くまでもないのでは」と思ってしまう。パワーストーンブームになって久しいけれど「石のことよくわからない」という方も少なくない。

 また、身に着けてくださっているが石の名前を忘れられていたりすることもあるので、説明書は必要なのかもしれない、不必要なのかもしれない。

 依頼主の希望をたずねて、石を選び、探し、発注し、受け取り、浄化し作成、要約、発送という流れである。

 完成してからの作業が、微細だが負担になっているのは自覚している。

作ることは楽しいが、発送作業は一仕事なので、週に一度まとめて行っている。

けれども、そんな気持ちを、吹き飛ばすのは、作ったものに対する感想をいただいたときだ。

作成代を戴いているが、作ったモノ、選んだ石が、相手にどんな受け取られ方をしているかは気になる。

 先日、依頼者の方が受け取ってすぐに「備忘録で見るより、石の色がとてもきれいで、気分がよくなりました」と感想を送ってくださった。その喜びのお言葉をいただけて、私の作業はひとつ終了となり、次への作業の意欲へつながる。

 その「ありがとう」という言葉をひとつ戴くたびに、手相見や天然石の作業が続けていける氣になる。

 自分も、良いサービス、良い品に出会ったときは、「ありがとう」の意志を相手に伝えることを忘れないようにしよう。

 先日、購入した自費出版書籍の梱包や手書きの宛名、差出人名のひとつひとつにも、作者の方の購入者に対する「愛」を感じた。

発送の資材全てに愛がこめられている。

私も、依頼主への「愛」をきちんと伝えていられるよう努めたい。

年齢相応…が難しい

先週、誕生日を迎えて、またひとつ年を重ねました。減ることはないのが年齢というもの。気がついたら、よくもまぁ、生きてきたな自分。 誰にも褒められないので、自分を褒めてみました。年齢を重ねると、賞味期限が過ぎた食品の扱いになるのは世の常。今、世間では年齢を重ね、若さが衰えることに怯えて、「美魔女」をめざす熟年女性の間に整形手術が流行しているという話です。

私も整形手術、したいと思っていました。でも30代までだったかな。どうせするなら、若いうちにして後々の人生を謳歌したほうがいいでしょうね。一時、美しくなっても「若い美」は衰えるものですから、自分がしちゃうと、延々とそれに依存してしまいそうな氣がします。

高校の頃、整形したい、私が語ると 同級生が呟きました。「見た目が綺麗になって別人になっても、行動で煉ちゃんとわかると思う」

その言葉がずっと頭の隅にあり、行動を変えることに氣がそれてしまいました。若さは失うのは当たり前。だんだんと価値を失うだけになるのか、熟成されてアンティーク(?)な価値を付加していくかを意識するのがいいのか。

それに前世が美人だった~と言われたので、今世は諦めて来世に望みをつなごうと思って。(・_・)

私は病で手術を大小経験しました。美容整形ではないけど、顎の骨も削ったし、ホクロも臓器も切除しました。

仮に、見た目が20代、30代になっても、中身(精神状態)が実年齢なので、意味がないと、自分自身に関しては思ってます。よく人生相談で「見た目は30代って言われます」という言葉を目にするけれど、浅い付き合いならともかく、見た目が若くても内面はどうだ?と考えたのです。

私は相応の年齢どころか、20代の頃から5歳から10歳年は上に見られる老け顔です。実年齢より若く見られたことありません。

きっと今なら還暦前くらいに見られているかもしれない。。。。(汗

手相見をしていて、経験値だけで見ているような、私に対して、皆さん、熱心に話に耳を傾けてくださるのは、現在の年齢だからあるいは老け顔だからこそと思ってます。

若い人と話が合う、合わないというのはなくて、若くても話の合う人はいるし、年が同じでも合わない人もいる。ようは人間対人間が最後に残るのです。男の人が若いお姉さんが好きなのは、本能だからかしかたないか。DNAの仕業。

若い美しさは、神様が与えてくださった大切な時間。年を重ねたとき、「この年齢でもいいか」と思えるような毎日を重ねることが理想だろう。それができないから、悩みは尽きない。

若い時は世間を知らない傲慢な態度をとっても、周りの人は許してくれる。昔、公共の場でイチャつく若い恋人同士を遠くに見て、「若いって、(知らないことが多くて)恥ずかしいことじゃないか」と思ったりしてました。

年齢相応に見られることが一番ありがたいことだろうと思ってます。

以前、霊感のある人とお話したとき、「煉さんの顔、たくさんの顔と重なっている」とか別の方に「顔の表情が次々と変わって別人に見える」などと言われたことがありました。

そう言われれば 昔から記念写真に写りにくいヤツでした。集合写真や生徒手帳用の写真も何度か撮りなおししたことがあります。

理由は「顔の部分が写っていない」という。。。

まぁ、一番厄介なのは、精神面の成長が実年齢以下、ということです。

仕事に落ち込んだとき、疲れたとき、子供の頃のアニメソングや特撮の主題歌で癒されているのです。

今はyoutubeでたくさん聞けるので。

ああ、趣味趣向も年齢相応になりたいのだが、それにはもうすこし時間が必要かな。



輪をつなぐ

この数ヶ月、チェーンメイル(チェインメイル)というものにハマっている。ワイヤーをアルミ棒に巻いて、丸カンを作り、環を開いて閉じて組んでいくというもの。

入門書は洋書なので、写真を見て、辞書をひきながら読んでいる。

編み物は苦手で、不器用な私。なのに、なぜこんな面倒なことをしているのか。

ナイロンワイヤーは切れやすい。アーティスティックワイヤーで組んでも、持ち主から石は消える。なんとかならないものかなぁと考えていてたどり着いたのが、チェーンメイルという技法だった。日本は鎖帷子(くさりかたびら)と呼ばれるのがある。クサリカタビラ、という名称は、子供の頃見たアニメ「忍法 カムイ外伝」の中で主人公が、敵の刃を防ぐために身に着けていたシロモノという印象でしかなかった。

正直言うと不器用な私。大雑把な私にとっては面倒だけど、組んでいると我を忘れる。集中することが気に入っている。集中すると念がこもる、チェーンを組んでいるときにその念が石に宿り、持ち主をサポートできると思ったから。

輪は和、輪は縁=円につながる。

ある意味、手相を拝見しているときと同じ集中力が必要になる。そこで、天然石とチェーンメイルを合わせると、もっと良いのではないかと現在練習中である。

天然石に、宝石に近いパワーを託すのに、良いかもしれないと試行錯誤している。丸カンが組み合わさっているので、カンのひとつ二つ外れてもすぐには手元から消えないのでは?と思っているのだが。

チェーンでつなぐことで、質の良い石を使うことに意識を向けていくことにしている。



さようなら 土星

今年の10月6日には、およそ3年弱、てんびん座に滞在した試練と成長の星、土星がさそり座に移動しました。心機一転、やる気がでるかと思ったら、猛烈な睡魔に襲われて、寝てばかりいます。星の動きが、人間の運勢に影響を与えていると思うのは懐疑的ですか。でも遠く離れた太陽の重力の影響を受けて地球があるように、各星の重力が、なんらかの影響を与えているのでは と思うようになったのは、人間の体を構成する原子も、遠い昔は星のかけらだったと知ってからです。

今度、土星がてんびん座に廻ってくるのは30年後。それまでは生きていないだろうから、やれやれという気分です。

これからの未来をイメージする時期に入りましたが、正直、なにをイメージするかは、まだ良くわかってません。でも私はひとつに集中するということは、不得手な人間らしいです。

占星術でも、労働の室に星が集中していて、そのわりに金運の室には星が一個もない、ということから明白でした。

今までどおり、あちこち手をかけながら、やっていくのが一番、合っているのだそう。

これって、器用貧乏(器用じゃないけど)、貧乏暇なし、な人生は変わらないってことですか。

さそり座の皆様、これから2年半、土星の影響を受けるという星周りですが、土星は試練と成長を意味する星です。

迎え撃って成長してください。



 

信じるものは

私は手相見である。

スピリチュアルをかじっているが特定の宗教を信じているわけではない。

偉い神様が降りてくることもないし、天使が囁いてくることもない。内なる声にしたがっている。

子供の頃は、キリスト教会で葬送されるのに憧れていた。

若い頃、お寺のお坊様とのお見合いの話を「牧師様ならいいですけど」と言ってお断りした。今考えると、罰当たりな人間で申し訳ない。

昔見た夢から想像するに、前世はクリスチャンであったかもしれないが、厳密に言うと神様は信じているが、特定の宗教の神様を信じているわけでもない。

けれど、この宇宙には見えざる力が働いていると信じている。それゆえ「水晶教」を自称しているが、一般の枠にはめてみると、無宗教に近いかもしれない。

信仰という文字は「信じて仰ぎ見る」と書く。自分が信じるものがあれば、他人にとやかく言われても、いいではないか。他人に教えを押し付けなければ、自分が信じているなら、いいじゃない。

人間関係を築くとき、宗教の話はタブーとされる。

宗教だけではなくて、自分の好みを他人に押し付けてはいけない。

信じる存在が何であっても、作家や歌手や映画や色、香りいろいろあるけど、相手の好みにダメだしは控えておくといい。敵意を向けられずに済む。

人には、たった一度の思い出を糧として生きていける強さもある。

ようは、自分の中に在るものを信じ続けられるかどうか、だ。

たとえば、好きな人があなたに対して秘密を持っていた。

その秘密を知ったとき、あなたは 「騙されていた」と憤るか

「(相手を)好きになったのは、自分だから、それでもいい」 と納得できるか。

あなたにとっての 信仰=宗教 ではなくて、「信じて仰ぎ見る存在」は何だろうか。

私も手相を見て、恋愛の先に待っている運気を読むけれど、依頼主の深い心の奥では、その先がもうわかっているのではないかなぁ と思えることがある。自分でなにか兆しを感じているのかも。

それを明確に今、示して欲しい、示すときが来た、という流れが、私への縁に繋がっているのかもしれない。

もっと、自分の強さを信じるということも、人生のテーマなのかもしれない。



愛には形があるか、ないか

手相見として多い相談内容は、これからの運勢や仕事運。そして全てにおいて絡んでくるのは「愛」関係。

恋愛、家族愛もこれに含まれる。恋愛で、依頼主から聞く言葉で一番多いのは「××年、付き合っている」というもの。お付き合いの年数に愛情の深さは比例するかと尋ねられれば、それは違うと言える。有名な歌の一節にあるように「恋ならばいつかは冷める」。

一瞬で恋に落ちることもあれば、一瞬で恋情が冷めてしまうこともある。

今まで拝見してきた数と同じほど、愛には、いろんな形がある。

決まった形がないというべきか。

一生かけて相手を想うのも愛で、相手の気持ちを察して「放す」ことも愛である。

不毛な愛に見切りをつけるのも、自分への愛であり、

別離を自分の人生の糧とするのも愛である。

愛に理窟は通らない。通らないから、人間は歴史を繋いできたのだ。目先の利害で考えて、損得で考えていたら、「愛」は育たないし、意味もない。電卓で計算するように割り切れない。それが「情」というものだろう。

今まで相手と過ごした時間の長さに執着するあまり、せっかくの良い運の流れが来ているのに、立ち止まっているのはもったいない。

試せるものは、試してみて、もういちど、考えてみるのもいい。

斎藤一人さんの本にもあったけど

「何万回も生まれ変わるんだから、こういう人生が1回くらいあってもいいや」という開き直りと言うか、覚悟するのもアリかもしれない。

私が読み取れる運気の流れが全てとは限らない。

選ぶのは、自分自身。

「愛」というモノの存在が自分で解るまで、時間がかかることもあるから。