見えないが必要なもの

 読んだ書籍に書かれていた一文。「好きなことを仕事にすると、働くことは苦にならないが、好きではない仕事をしていると働くストレスを他で解消するために、お金を使ってしまう。結果いつまでも豊かになれない」(意訳)

 別の日、某番組のドキュメンタリーで、好きなことをしている、「人形作家」の方を特集していた。その人は朝から晩まで人形を作っていて、家には寝に帰るだけ、でも楽しいです、と語っているのが印象深かった。好きなことを生業にしているかたは、脳内物質の関係だろうか、あまり老化していないような印象を受ける。年齢を重ねても若々しい人は、好きなこと、つまり気分のイイコトをしているのだろう。

 現代では、「目に見えないもの」を否定するむきもあるが、目に見えない心のありようが、体の調子を左右することがあるのは事実だ。人間は、「イヤだ」「辛い」と仕事に対して思うと、朝、起きられないとか、涙が出てくるとか、いろいろと体調に表れる。見えないけれど、「想い」の力は強い。

 私も年を重ねると、自分の嫌なことは避ける思考術が身についてきたと思っている。もう、残り少ない余命を考えると、自分の欠点を正している時間はないのだ。

 手相見も天然石で作ることも、好きだからしている。

 その中でも一番苦手なことがある。それは石の説明書をまとめる時だ。天然石愛好家が長いと、「書くまでもないのでは」と思ってしまう。パワーストーンブームになって久しいけれど「石のことよくわからない」という方も少なくない。

 また、身に着けてくださっているが石の名前を忘れられていたりすることもあるので、説明書は必要なのかもしれない、不必要なのかもしれない。

 依頼主の希望をたずねて、石を選び、探し、発注し、受け取り、浄化し作成、要約、発送という流れである。

 完成してからの作業が、微細だが負担になっているのは自覚している。

作ることは楽しいが、発送作業は一仕事なので、週に一度まとめて行っている。

けれども、そんな気持ちを、吹き飛ばすのは、作ったものに対する感想をいただいたときだ。

作成代を戴いているが、作ったモノ、選んだ石が、相手にどんな受け取られ方をしているかは気になる。

 先日、依頼者の方が受け取ってすぐに「備忘録で見るより、石の色がとてもきれいで、気分がよくなりました」と感想を送ってくださった。その喜びのお言葉をいただけて、私の作業はひとつ終了となり、次への作業の意欲へつながる。

 その「ありがとう」という言葉をひとつ戴くたびに、手相見や天然石の作業が続けていける氣になる。

 自分も、良いサービス、良い品に出会ったときは、「ありがとう」の意志を相手に伝えることを忘れないようにしよう。

 先日、購入した自費出版書籍の梱包や手書きの宛名、差出人名のひとつひとつにも、作者の方の購入者に対する「愛」を感じた。

発送の資材全てに愛がこめられている。

私も、依頼主への「愛」をきちんと伝えていられるよう努めたい。