箱の中にあった

最近、記事も更新しておらず、タイトルに偽り有りの状態です。忙しい、というか気ぜわしいというのが正確なところです。

写真は、20年位前に購入した水晶です。購入したときはあまり、感慨もなく、水晶は六角柱が美しい!と思い込んでいた私には、奇異に映った品です。

なぜ、購入したかといえば、ネットが普及する前の話で、業者さんに予算内で、良い水晶を送ってください、というやりとりがあり、何点かの水晶とともに手元に届いたからです。

その当時、水晶好きの入り口に立った私には、この水晶の価値がわからなかったんですね。水晶と言えば六角柱で、透明で、虹が入っていれば良い、という意識しかなかったので。

で、この水晶は長いこと、宝箱に眠っていたのです。

先日、あるご縁をいただいて、「パワーストーンヒーリング」を受けました。石がなにを伝えたがっているか、教えてくれるという内容で、私はヒマラヤ水晶の写真を見ていただきました。

そのあと、色々と水晶のサイトを渡って見て、「そういえば」と箱に眠っていた写真の水晶を思い出したのです。

この水晶とても薄くて、サイズは40ミリ×40ミリ、厚さは6ミリです。一本の細い水晶から両端結晶化して先端を持つ、ダブルターミネーター(以下DT)で、結晶の形はタビーという、マイナスドライバーのように平べったいもの。そして折れた面が再結晶化して、群生しているセルフヒールドと言われる、水晶のあらゆる形態を体現しているような、石でした。

まさに、マスタークリスタル。

水晶の中でも特別な力を宿すと言われている石です。

「あなた、私の価値にやっと気がついたのね」と水晶に言われているような氣がしました。

ルーペで鑑賞すると、その時、その時で気づかされる部分があります。

その時期が来たら、見えるものがある。

同じ風景なのに、昨日、私が見ていた風景と、今見ている風景は意味が違う。そんな感じです。

備忘録にも記しましたが、一部の方からの御希望もあり、天然水晶のポリッシュ(研磨したもの)をキロ買いしました。現物が届くのは週明けですが、100グラム前後1000円から1500円。庭園水晶やファントム(幻影水晶)ならちょっと、お高くなりますが、御希望の方に領布させていただきたいと思います。ピンときたかたは御連絡ください。ペーパウェイトにしたり、オブジェとして机の上に飾ったり、目の保養とリラックスのためにいかがでしょうか。

 

こんな年なんだわ

今年は、元旦にプリンターが昇天した。先週は、玄関ドアを交換した。そして昨日、玄関チャイムが逝ってしまったので、本日は早々に近所の電気店で、ワイヤレスのチャイムを購入してきた。

実は、洗濯機も調子よくないし、掃除機も壊れかけている。FAXも送信はできるけど、受信は難しい。

そして、今使用しているパソコンも春に三年目を迎える。ハードディスクがいつ壊れてもおかしくない時期に入る。時々、パソコン内部から異音がするので、ドキドキする。

2012年に話題になった「アセンション=昇天」は緩やかに周辺の電化製品に進行中だ。ついでにいうなら携帯電話も何年目かだ。周りはスマホに機種変更しているが、私はメールと受信専門なので、ガラケーで不便を感じていない。

10年前は私自身の手術等が続いたけれども、今回は、私の電化製品に影響が出ているようだ。

今年は、お財布も交換予定の年だった。

ああ、悪く考えるとキリが無い。

良いことに考えると新しいモノとの出会いが待っている。

今年は「出て行くお金よりも多くのお金が手元にやってくる」というお告げなのだ!

お金が手元にやってくるというのは、働くこともだが、さらに、多くの人との出会いがあるということ。

お金を払うことは、そのお金が回って、多くの人の豊かさにつながるということ。

豊かになった人が増えれば、私も豊かになる。

豊かさは信じること。

先日、ご縁があってリーディングしてくださった方から、

「上のお方(守護霊?)から”そろそろ進みなさい」とメッセージがありました」

というお言葉が。

進む方向、そろそろ見えてくるだろうか。

それから、私の作ったアゼツライトのチャームには「天使」が宿っているらしいです。

天使さまが「任せて」と言ってくださっているらしいので、金運はお任せしたいと思います。(^。^)

 

 

 

待て、待て

本日、我が家の玄関ドアを交換しました。まだ作業中なのですが玄関が、以前より暗くなったので、サンキャッチャーを吊るして厄を除けたいと思います。

玄関なので、太陽をモチーフにして、丸いスフィアタイプのものを飾ろうと思ってます。風水では一番、目にするタイプです。

私、手相見も天然石関連も、お代を頂戴していますが、趣味の延長というか、いや、誠実に真面目に取り組んでいるつもりだったのですが、どうなんでしょう。ブレスレットなど御依頼いただいた方には半年、一年を区切りに「ゴムの調子はどうですか」や「留め具の具合はどうですか」などマメにメールを差し上げているのですが、最近、ハタと気がつきました。ウザイですよね。

私にとっては、天然石関連に関しては、私を通じて石をお渡しているのですが、石はモノにあらず、地球からの預かり物という想いがあって、石のその後の扱われ方というのに氣が向いています。せっかくご縁があった石ですから、持ち主とは仲良くすごして欲しい。そして、石が持ち主の意思を増幅して力を貸して欲しい。

時々、天然石をモノとしてしか見ていないと、『効果がない』から、『頼りたくなくなったから』、「捨てた」「譲った」「失くしてしまった」と言われてしまうと、さびしいです。

失くされて「不安です」「寂しいです」と言ってくださるのはまだ、石に対して想いをかけていただいてるので、良いのですが。

そうではない場合。

石が役に立たない、など考えていらっしゃる場合はとても残念です。石と仲良くしてみるというのに一番、効果があるのは、「石との約束」です。

石はお金と似ているというか、仲間を呼ぶ性質があるのです。

願い事をかけた石に「願い事が叶ったときは、仲間(石)を増やしてあげる」と約束してくださると、石は頑張るのだと言います。

ですから、叶ったときは、ぜひとも仲間を増やしてあげてください。人間同士と同じで、約束を反故にしたばあいは、石とは仲良くなれません。仲良くなれないからといって、災いが降りかかることもありません。そういう意味では石は、人間に対して寛容です。

もっと、ビジネスライクに考えてサービスを提供したほうが依頼主には都合が良いのかもしれません。

でも、待て待て。

私は商売に向いていないのだろう。

お代をいただいているけれど、依頼主は「お客」ではなくて、いやお客ではあるけど、仲間であるという意識もあるんですね。

おかげさまで、御紹介者様がいらっしゃるので、続けていられる幸せな趣味だわ。

待てよって…こういう中途半端さが、まだ残っていたんだ。

今更ながら自覚した。

私の作ったものに対していただく、お褒めの言葉は、私1割、石9割ではないでしょうか。

でも、「石を氣にするウザさ」が私の個性でもあるんです。

天然石関係の依頼主のメールアドレスや依頼内容は、きちんと保管してあります。メンテナンスの御案内以外には、使用しません。

また、手相見の依頼者の情報 メールアドレス、お名前などは、半年すぎましたら、消去していますので、御安心ください。

こんなウザイヤツですが、それでも良ければ、これからも御依頼のほどよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

なにもない日、輪をつないでみる

昨日、午後11時17分にこちらでは、震度4という地震がありました。私の住んでいる町は、地盤が固くて地震に強い、と聞いていました。ですがこの揺れの大きさと揺れの時間の長さに、少々恐怖を覚えました。当時、私は布団に入って読書中でしたが、棚の本もモノも落下しなかったので、とくに避難もしなかったのです。今後一週間は震度4程度の余震があるかも、と気象庁が発表していましたので、氣をひきしめて過ごしたいです。

さて、昨日は春を思わせるような暖かさで、自宅の屋根に積もった雪も落ちました。一転、今日は2月らしい寒さ。一度暖かさを感じてしまうと、普通な気温がいっそう寒く感じられます。

今日は予定がなにもない日。予定が何もない日と言うのは珍しくなりましたので、朝からチェインメイルの基本のひとつ、Turkish Round-ターキッシュ ラウンド- Turkish とはトルコ風の意味があるということで、この基本の組み方を頭ではなくて体で、感覚的に覚えるのに費やしていました。

 

習作なので、ブレスレットにしてみようと思ってます。

チェインメイルは写真を見ながら、感覚で把握するまで時間がかかります。私は空間認識能力が他の人よりも劣っているんだと思います。その分、繰り返して覚えるしかありません。

作っているときは、無心になれる。一種の瞑想状態になるからいいのかもしれません。

chainをつなげていると、きちんとつなげて輪を閉じていかないと、思わぬところでつなぎが外れてしまい、また見た目の美しさも落ちます。

つなぎながら、「人間関係もちゃんとかみ合わなかったり、無理してつなげていると、こんな感じで、壊れていくのかも」と思ったりします。チェインメイルは編み物と同じです。複雑な組み方になれば、途中でつなげる丸カンを間違えてしまい、変な形になったりします。

早く気がついたときに、思い切って外して、戻ってやり直す。

人間の輪廻転生もそうなのかもしれません。また、時間を忘れて没頭していると、「貴重な時間をなぜに、こんなことに…」と我に返ったりします。思いながらも 人間、誰もが無駄なく時間を使っていられない。無駄を無駄と知るための時間というか、「大切な無駄」というモノが人間には必要なのではないか。

だからこそ、人生はあっという間に時間を費やして、人間の進歩は少しだけ。それで、またこの世に、やり残したことをするために生まれてくるのかも。

「なにも幸せなことがない」「なにも実ることがない」と悲嘆するのも

必要な経験、必要な真理、つなぐチェインメイル(魂の旅)の丸カンのひとつ。つまり、無駄に見えても無駄なことがないってことなのかもしれません。悲しみも苦しさも、自分という存在の大切な一部なのです。

今日は2月3日節分です。明日から地球上の「氣の流れ」「運気」も少しずつ違う風を連れてくるでしょう。