職業欄は×××

今更だが、私は、いろいろと仕事を掛け持ちして暮らしている身。メインのバイト中心に、単発の仕事を請けて暮らしている。手相見も天然石も趣味の延長ではあるが、そのうちのひとつ。

体の調子に加え年齢の関係で、正社員の採用は叶わない。世の中、新卒の子も苦戦するほど厳しいのだ。

フルタイム働きたいところだが、地域がら雇用側は短時間中心の募集が多い。

この春、短時間のバイトをひとつ増やそう!と思いたち、履歴書を書き、応募した。面接も途中までは良い感じであるが、続けて不採用通知を受け取った。

バイトの声はかけていただくことが多いが、自分から応募したバイトに対しては即採用されたことは少ない。

先日、スーパーの早朝品出しのバイトに応募したところ、適性検査を2つして、その後面接があり、1時間以上拘束されたが、不採用。お茶も出なかったうえに今のメインのバイトを辞めないと、難しそうな話だった。

それと、氣になったのは適性検査のときの消しゴムが、古くて劣化しており、消せない消しゴムだったのが印象的。あの古さはびっくり。消しゴムが使えないのは参った。

これからも気長にバイトを探すことにしているが、私の場合 職業欄はすでに「手相見」を本業のつもりで居たほうが良いと、ある方から言われていた。

しかし、職業は、と尋ねられて「手相見」と答えられるほどには、稼げていない。

手相見 よりも情報サービス業?のほうが相手には印象が良いかも。

開運探査人を英訳してみたり、運気ナビゲーター等 いろいろクリエィティブな造語を思案したがまとまらず。

ハイパーライフクリエーター とか?(苦笑)

職業欄は 占い師? 占いしている氣はないのだが。

「煉さん、占いするんですってね」と言われることも増えているが

職業欄は 自称 自由業 ということにしておこう。

背後霊はわかっていらっしゃる。私が「安定」を手にしたら「手相見」も「天然石」も、他人様にも関わらなくなることを。

昔は、不採用=世間に受け入れられない、世の中から必要とされていない と思って落ち込んだけれど、いいかげん今は

天の思し召しと受け入れることにした。

春は人事異動の季節である。数ヶ月前には係長だった人が、昇進して課長になり数ヶ月を経ると、歩き方から、話し方まで、それなりに洗練されてくるのを見ていると、地位が人を作るのだと実感した。そうなると、自分で自分の地位を決めてもいいのではないか。心理学でも振舞い方から入ると、それらしくなっていくということを聞いた。

私に必要なのは、「普通の人」の、ではなくて、「普通ではない人」の、オーラかもしれない。

今回、天然石関連で、自分史上最高額 単価の石 ゴールドルチルクォーツを仕入れたことで、ちょっと度胸がついたと思う。

 



 

御礼 -自分史上最高額-

先日の備忘録でゴールドルチルはいかがでしょうかと募りましたところ、おかげさまで仕入れの9割分はお申し込みいただけました。

御賛同ありがとうございます。趣味の延長で作っているモノですが、一度の購入で、こんなに単価のお高い品を仕入れるのは初めてでした。ドキドキしました。

写真は手元に届きたてのゴールドルチルクォーツです。上部分の6ミリ球、下部分は12ミリ玉です。直径は倍違いますが、質量はすごい違いなのを御確認いただけると思います。

ネットで調べても普通に12ミリ玉は7000円前後しますが、それは店舗販売だからですね。私のはその金額に及びませんが、まとめて買わないとこの値段は実現しなかったので、ドキドキしました。小心者です。しかし、実物を見て、「お値段以上」を感じました。卸さま、ありがとうございます。

エネルギーの流れ方が半端じゃないの、実感できました。

恥ずかしながら、こんなに高価な石、手にするの初めてで、配達業者さんが

「代引きの品が届いているのですが、うかがってもよろしいですか」と確認のお電話を頂戴したのも初めてでした。小市民なヤツです。

これから浄化しながら、アイテム作成します。

クリックすると大きな画像が見られます。

ゴールドルチル12ミリ珠、あと1点在庫あります。ショップで購入するよりお安いと思うので、お問い合わせください。

 

春分の日

 

No.215

シルバーはピカピカに輝いているのも美しいが、空気に触れて酸化して黒ずんだ色になってもなかなか味がある。写真のブレスレットは、 #215 で

2011年11月に作成したモノ。留め金具をマグネットクラスプに変更したモノ。ルビーは勝利者の石。光がよく合う。

現在、少々、立て込んでおりまして、しばらく心の旅に出ます。

文にするとカッコいいですが、あれです、読みたい本が溜まっているので…。

ブログの更新も滞りがちになるかもしれないが、思い出したように記す可能性も否めない。

今日は春分の日、西洋占星術のうえでの新年。運気の流れの切り替わる時期。

道が雪融け水で歩きづらいが、これを越えれば春を実感できることだろう。あっという間に夏が来るのか。

 



 

雑感いろいろ

先日、帰宅途中にちょっと目つきの怪しい男性とすれ違いそうになった。妄想力のたくましい私、昨今のニュースを見ていて「いきなり殴られたらどうしよう」と目線を合わせないように、そらしたのであるが。

はたして、彼は私の頭上を見て、ひどく驚いた(あるいは怯えた)表情となり、私の横を駆け去って行ったのだ。驚いた私は、すぐに振り返ったのだが…広い道路のどこにも、男の姿はなかった。

そういや、彼の顔色、悪かったな。そういや奇抜な配色のジャージ着ていたよな…。ま、昼間でも見える存在もあるしということで。

さて、この数日前、自宅でテレビを見ていたところ、壁に貼っていたポスターのテープが外れていたのに気がついた。

テープは数枚、空間に垂れていたのだが、その一部が激しく揺れていた。とっさに私は地震が来たのかと身構えたのだが、周りのテープは揺れず、一つのテープだけが左右に激しく揺れている。風もないのに。不思議なものだと思っていた。

日を違えずに、母が、台所に吊るしているカーテンが、風もないのに揺れるので不思議だった、と語る。猫たちも寝ているし、他の部分が揺れても良いのに、まるで誰かが触れているかのように一部だけが動いたので、氣になってずっと見ていたとか。

お彼岸も近いので、亡父が帰宅しているのかもしれないと話して終わった。注意深く見ていると、物理的な動きが違うと言うか、心のどこかで違うと思えるような動きをしている存在がある。これは気がつくかつかないかという感じ。猫が変な鳴き方をするとか、耳元で変な音がするとか、「あなた病気では?」と言われることを恐れずに記しておくが、世の中は案外、不思議なことがあるものだ。

先日、お会いした依頼主から、「未来を見る人はたいてい左目の視力があまりないんだそうです」と聞いた。

私は明確に未来を見る人間ではないが、左目は弱視だ。若い時は右目より左目のほうの視力が良かったのだが…。いつからか左目は視力矯正ができない弱視と診断されたのは、手相見を始めた頃だったかな。

不思議な話といえば、過去に一度だけ立ち寄った喫茶店のコーヒーは夢のように美味しかった。

いつでも飲めると思っていたが、そのうち、喫茶店は閉店してしまった。それから、あの心のそこから美味しいと思ったコーヒーの味にめぐり合えないままだ。

いつでも、なんてこの世には存在しない。今しかないものがある。

本当の理由は

若い頃、バイトしていた職場に持病がありながら、働いているA君という男性がいた。彼は言葉の端々に「自分は持病があるから不幸だ」、「持病があるから誰にも大事されない」と言う。その持病があると確かに不利で、健康な人と比べたら、就ける仕事も限定されるだろう。だが第三者の私から見て、彼が「不幸(と自分で思っている)なのは」 病を患っているからではなくて、本人の性格に難アリだったからである。とにかく他人の会話に割って入って、相手をバカにする。マイナス思考な言葉ばかり浴びせる。そのくせ自分が非難されると、「こんな病気を持っている俺の気持ちなんて誰もわからない」と嘆く。A君は自分で自分を不幸にしているような、負のスパイラルにはまっている若者だった。傍にいて、いい気持ちでいられないから、友人も少なく、職場でも孤立していたようだ。

自分で自分を哀れんでいるのは、ある意味、傲慢であると思う。他者に「そんなことないよ」と慰められることを暗に望んでいるからだ。

人に優しくされたいのなら、待っているだけでは、なかなか叶わない。優しい人に、いっとき、慰められることがあっても、続かない。 けれども、自分が周囲に優しく接する、とかなにかを与える存在になるのが、本当は一番手っ取り早いのだ。求めるならばまず与える。「情けは人のためならず」そう、優しさは自分のためだ。

気がつきそうで、まず相手に求めてしまう。人間はそういうモノなのかもしれない。だから苦しむ。

私は、自分が負のスパイラルに陥りそうになると、A君のことを思い出す。A君には不快な思いも残念な思いもたくさんしたが、今となれば、人生の教訓を示してくれた人である。

本当はギブandテイクが理想だけれど、「優しくしてクレ」「理解してクレ」「クレ、クレ」という黒い思考が脳内に満ちてくると、自分は「クレ」という前に「シタ」か?と問うてみる。

他人様になにかをしていないのなら、自分がしてもらえなくてもしかたない。人生に、灯りをともされたいなら、灯しに行かねば。

そのとき、自分はこれだけしたのに!という速攻な見返りを要求しないこと。大きな運は放たれた後、大きな放物線を描いて戻ってくる。目に見える手ごたえになるのには、時間がかかるのだ。

私の年になると、戻ってくるのは来世になるかもであるが、しないよりは、シタほうが良い と思う。

私の現世は病ばかりの、危機一髪ばかりだが、最悪の状態を免れているのは、前世に積んだ「徳」が効いているんだそうで。

「徳」 貯金、使い果たしそうで少し不安ではある。



モリオンの取り扱い

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先日、黒水晶 -モリオン-を購入してくださった方から感想を頂戴した。

黒水晶のチャームを買って、ギャンブルをしたところ、「えっらい負けた」という。

その後、もう一度、挑戦したところ、「負けた分取り戻したよ」。

そうだ、モリオンのキーワードは「破邪好転」。困ったとき、災いを良い方向に導くことに力を発揮する。つまり、取り立てて困ったことがないときにモリオンを手にすると、いったん、毒出し という運を導いてから、開運に働きかけるのだ。

困ったときに、手にすれば、すぐに力を発揮してくれるが、とりたてて困っていないときに手にすると、パワーを発揮する前に、まず「毒出し」してから働きかけてくるらしいのだ。運気はいったん下がって見えて、それから上げに転ずる。他の石でも、そういう作用が少なからずあるのだが、黒水晶はその出方が激しいようだ。毒出しというのは、お金を得ようとすると、お金が、運気を上げるために石を手にすると、いっとき運が下がったように感じさせることだ。そういう意味で言うならば、石に限らず、開運グッズを手にするときは、いったん、運氣が下がることを予定していなければならない。

ということは、運がうんと下がったときに開運グッズを手にするよりも、運が良いときに開運グッズを手にしていたほうがダメージが少ないと言える。

運が下がっているとき、開運グッズを手にしても、「上がった」という実感は少ないかもしれない。運が良いときに手にしてもそれは同じだが、上がり幅を実感するには、運の良いときに開運グッズを手に入れるほうが、良いんである。

でも運が落ちたときに、開運グッズに目が行くのが人情と言うもの。劇的な開運を狙うなら、その前にある毒出し を覚悟していれば、開運の波を掴むのはたやすいだろう。

とくに黒水晶、モリオンは頼りになる石だから、どん底の時に手にするよりは、上がり調子のときに手にしたほうが、よりパワーを発現させるんだ~と思いあたったのでした。

 

上がり幅なんて、氣にしない。これ以上下がらないように、と手にするのも良いのであるが、石を買っても変わらない~と思うのはちょっと早い。即効性がないかもしれないが、タイムラグがあって、石の力は作用する。それだけは覚えておいて欲しい。



気持ちを少しだけ

3月だというのに、今日も天気は大荒れ。

雪降り。先日までしていた仕事は無事に終了。本当に終わったのか?疑問は少なくないが、納品の後、先様からなんの反応もいただけないので、どうなっているのかは不明。

「どうですか」と尋ねてもいいのだろうけど、反応がないのが、「答え」だと思うことにする。

実質  魂込めて作業したのは3日間ぐらい。でも、報酬をはじめ細かい打ち合わせもなにもないまま始めた作業。「好きだから」、長時間できた作業だと思っている。

好きなことができて、相手が喜んでくれるのが、一番良いのだろうが、反応がないので、好きなことができただけで良しとしよう。

生きていると、仕事で扱うモノや作業の過程に、「気持ち」がこもっているかどうかが見えて、それに気づくか気づかないかで、結果が違ってくるというのが、解ってくる。

私の主な作業は提出書類の確認。重要作業の入り口で、本作業の前に必要な項目が、記入されているかを確認する。

細かい作業の苦手な私には、何年していても苦行のように感じる。

そのうち、書類のチェックだけでも、見えてくるものがある。

印刷の不備をそのまま提出してくる会社や、細かいところに配慮して提出してくる会社など、書類の向こう側が見えてくるようだ。

仕事に、人生に、今悩み事がある人、閉塞感がある人、少しだけで良い、周りに気持ちを込めてみてはいかがだろうか。

はじめは誰も気がつかないかもしれない。でも続けていると気がつく人は出てくる。それは、小さなことだろう。その小さな「気持ち」がやがて誰かの支えになり、時間はかかるが、めぐりめぐって自分のもとへ還ってくる。

目先の損得、現状の損得を考えていると、なかなかできないだろうが、忘れた頃に戻ってくる、運気貯金だと割り切ってしまえば、続くのではないか。

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見えないけれど、確かに存在するのは「気持ち」であるから、そこに「他者への愛」がほんの少し存在すればいい。

以前、バイトしていたリサイクル品の販売を扱うお店では、発送資材にも使用済みの資材をリサイクルしていた。当然、梱包の見た目は美しくない。

「どうせ、すぐに破って捨てちゃうものだから」と担当者は話していた。事実はそうだろうが、受け取ったお客には、リサイクル品でもお金を払ったという気持ちがある。リサイクル品を安く手に入れたとして、古びたダンボールで梱包されているのと、美しく梱包されているのとでは気分が違うのではないか。

そのバイトを辞めた後、店の売り上げが年々落ちていると風の便りに聞いたけれど、

お客を大切にする気持ちをほんの少し現していけば、もっと違う展開になったのではと思うことがある。

お客様に対するありがたい気持ちを、見える形で示す。気持ちをほんの少しだけこめる。難しいことだけども、どう現すのか、を思案するのが大切だと思っている。

誰の中にも虹がある

私は、石の中に虹を見つけるのが得意である。他人様が気づかなくても、どんな小さい石の中にも虹を見つける。

手相見と通じる部分があると思う。

宝石の世界では無傷が高品質の証であるが、天然石はその中に虹が見えると、ぐっと価値があるような氣がするのは不思議なものだ。

私は今回、久しぶりにパソコンに一日中向かい、作っていたモノがある。それは簡単なデータベース関連のファイル。

プログラマではないが、土日はそれにかかりっきりであった。でも、不思議と疲れない。眠くならない。手が痛むほど、PCの前に座り、マウスをクリックしていても、自分の実力のなさを痛感しても、結局、好きだからなのだと思う。好きなことをしているから、苦にならないし、悲しくもならないのだろう。この作っているものは、役に立たないかもしれない。しかし、私の身には経験として残る。

データベース関連のファイルを作るとき、一番重要なのは、作り手の知識ではない。必要なのは使う人間との意思疎通だと思っている。

意思が通じなければ、使い勝手の悪い出来上がりとなるのだ。

何も知らない人が簡単に使えるものこそ、一番優れていて、一番価値があるのだ。そういう意味では私の作ったのは、C級、いやD級もいい所だろう。

たとえ不採用になっても、役に立たなくてももう、良い。

この、寝食を忘れて、作り、考えることに集中した土日は、本当に楽しかった。私はオンラインゲームはしないが、ゲームをしている人もこんな高揚感を味わっているのだろうと想像する。

今年一年分の作業をしてしまったようだ。これも作り続けていないと脳みそに回路が通じないので、困った。作り続けるか、すっぱりやめるか、どうしようかなぁ。

仕事に関わらず、「あなたの話を聞く」となってもらうには、自分の中の引き出しを増やして、力をつけないとならない。どんな力をつけるかは、個人によるが…。私ももっと引き出しを増やしていかねば…。

そんなわけで もう、今回の仕事に悔いはない。今の自分に作れる知識は出し切ったから。

好きな事を仕事ですると、人間って疲れないんですね!

体感し、良い経験だった。私が今回の仕事の中に見つけた虹。虹は見ようとしている人に見えるものもある。