今年のゴールデンウィークは寒いまま過ぎてしまった。
お隣の庭の桜の木は葉もつけていない。昨年の今頃は、通勤路の桜の写真を撮影していたと思ったのだが。
4月から、手相見の依頼も、天然石の依頼も続いており、ブログの更新はカメとなっている中、御訪問くださった皆様、ありがとうございます。
私への手相見の依頼は紹介制なので、初回の拝見するとき、どういうきっかけで御連絡くださったのか、たずねてみると、面白いことに「話を聞いてすぐ」という方は少ない。
だいたい、初めは 話を聞いたときは「ふ~ん」、「へ~」という感じらしい。数ヵ月後、転機(問題発生?)が来たとき、ふと心の中の声が「今だ」と聞こえて連絡してくださるという。
これは、背後霊の導きではないかと思っている。
悩みも様々だが、共通していえることがあるのだ。
それは、人間は、自分に無いもの、得られないものには敏感であるが、持っているもの、得ているものには鈍感である。
以前、読んだ経済の本に
「貧乏人には貧乏人なりの悩みが、金持ちには金持ちなりの悩みがある」とあった。
悩んでいて、苦しい。苦しいから、変えよう、と思わない限り、人間はそのままである。
意識的に意識を変えるというのが、必要な時期に来ている時、私は拝見した相手からも必要な学びを得ているのだと思う。
本人が他人より優れていることには、自覚していないことが多い。
私は、手相を見るが、手相を見ることは誰にでもできると思っているのだが、そうでもないらしい。
天然石でモノを作ることも、誰でもできると思っているが、そうでもないらしいとか。
だから、私から見ると、優れている点が多くある人が、悩んでいるのを見ると、ちょっと視点を換えれば、ずっとずっと活かせるものを持っているのに。
自分の姿を自分自身の目で見ることができないの。そこで私が見つける役割が回ってくるような気がしている。
変わること、希望を得たい人にご縁がありますように。
そして、見つけたきっかけを、依頼主が活かして開運できますように。
手相を拝見するとき、私はいつもそう、祈っている。