押してダメならば

140111 ren2

力いっぱい押しても開かない扉が、引くと開く。人生において、処世術というのは必要だと思う。それは偽善や欺瞞ではなくて、生きていくための技術だから。ブログにも何度も書いているが、私はたいした人間ではないのに、人様から望まれて手相を見る。人は自分で自分の運命を願うことができるが、見通すときには私情がはいるので、的確に見通すことは難しい。私自身、定期的に自分の方向性をほかの人に見てもらう。

普通の生き方をしていれば、まず接点がないであろう方々と言葉を交わし、人生を垣間見る機会を得られているのは、手相見だからだ。数が増えれば、実生活ではまず、お近づきになれない、なれないだろう方の相談もある。

単に、私を愚痴のゴミ箱にしていると思われる方や、懐疑的な言葉を投げかける方もいらっしゃる。実際たいした人間ではないので、今さら取り繕ってもしょうがない。人間である以上は、合う合わないというのもある。ただ、私は背後霊。。。。それは誰かは不明だが。。。。に縁の必要な方とつないでくださいと願いをかけているので、必要な出会いだと信じている。

信じること、信じて仰ぎ見ること、これをさして信仰というのなら、信じる自分を信じるのも、信仰のひとつだろうか。面倒くさい言い回しだけども。

自分の感じるものを信じることしか、他人様に提供できる部分がないのだ。

小学生低学年のころ、下校途中に二人の上級生に呼び止められ、学年を尋ねられた。上級生が怖かった私はとっさに学年を偽った。上級生は偽ったことに理由をつけ一人は私を押さえ込み、一人はこぶしで腹を2回殴り「うそをついた罰だ」と言い捨てて去っていった。

その痛みと恐怖は私に長いことトラウマとなっていた。それを黙って見ていた同級生を責めて泣いた。親に訴えても親はわが身が忙しくて頼りにならない。誰も味方がいない。

現代なら大騒ぎになったかもしれない。

恐怖で嘘をついた私も悪いだろうが、下級生に理由をつけて暴力を振るった上級生のことを思うと彼なりの正義でそうしたのだろう。その子の正義が私にとっては災厄だったということだ。

正義は立場によっていかようにも変容する。

長いこと思い出したくもない出来事だったのだが、この数年、何らかのはずみで思い出すと

傍で見ていた同級生にも、もしかしたら心の傷になっていたかもしれない。

上級生も、下級生相手に憂さを晴らすというか、そういう鬱屈した事情があったのかもしれない。

等々思えるのは、年齢を重ねて、あらゆる角度から見えてきたからだ。

天網恢恢 粗にしてもらさず。

幸い大怪我にもならなかったし、あれは意味あることだったのかも、と数十年経って思えるようになった。意味あることだったと思わないと救われない。

人生には、人間の目や感覚には及ばない大きな歯車(のようなイメージ)が動いていると思う。

それは一見関係のない事象のように見えるが、はるかな時をこえて、意味あることだったとつながって現れる。

理不尽な暴力や、中傷や出来事を、上辺だけで見るとわからないこと、時間が経ってわかること、糧にすること、忘れること。これが年を重ねるということだ。

今、ネット社会の普及で、ブログが炎上ということを目にするが、必要とされているのは「スルー力(りょく)」らしい。

真っ向から責められたときに、まっこうから迎え撃つより、流す力が必要ということか。

悩んでいることがある、つらいことがある、そんなときは、考え方を押してより引いて、違う視点で見てみると、誰かの悪意も、自分にとっては糧になる。

一番の復讐、報復は「相手に影響されない」「うんと幸せになる」 それが一番。

費やす時間は個人差があるので、焦らなくてもいい。

相手を責める気持ちが湧いて来たら、私は脳内に浮かんだ映像を消しゴムで消すというイメージやホウキで叩く イメージで祓っていました。実際すると暴力ざたですが、イメージですので気分転換を意識的することに意味があるのです。

スピリチュアルをかじった今は、光に包んで消すというイメージを使ってます。

小学生時代のいじめっ子や理不尽な教師など、私の人生においては、気づき、今の道へ進ませる守護天使の化身、配役だったのではないかとも思うことにしています。

いいんです。自分が思うことが「自分の世界平和」につながるのなら。



 

愛があるから譲歩する?

最近、時間の流れが速く感じます。5月、6月は自分史上天然石依頼最多。それにともなう仕入れで多くの天然石と会えました。手相見は、依頼者とのタイミングが合わずに休業。これが運気の流れというものでしょう。まさに昔、手相を見てもらったときに予言されていた「裏の仕事」が上昇中か?

もう、やりつくしたかな、悔いはない。と思ったら、天然石の在庫が増えていました。せめてこれらの石たちを新しい持ち主のもとへ届けるまでは続けていよう…なんて。こうやって毎年この時期は手相見よりも天然石関連のほうが多いのです。

やめる時期を考えてると、こうやってエンドレスになります。

その一方、手相見のブログのほうが閲覧者数が多くなっているという不思議。では、不思議ついでにちょっと語ってしまいましょう。それは、男女の恋愛運の違いについてです。

手相見の相談で多いのは、進路、恋愛、結婚、離婚、です。

進路は夢や希望にそって運気の流れを読んで、タイミングを計ります。恋愛関連も、未来に待ち受けているイベントを見ながら対応策を読みます。イベント=波 ですから、波が来るとあらかじめわかっていれば、波を避けるか、踏ん張るか、受け入れるか 覚悟することで、運気の流れは変えられます。

恋愛でも、カップル双方から別々に依頼されて、拝見することもあります。男女の間の気持ちに温度差がある場合も少なくありません。

依頼主の立場に視点を移して、最善の選択肢を選ぶのが理想ですが、依頼主によっては、最善が最善にならずという場合があるのも事実です。

男性が望む、恋愛と出会いが、かならず相手の女性の希望に沿っているわけでもないからです。

男性は、恋愛には刺激、結婚には包容力、安定を求めているし

女性は、恋愛には包容力、結婚には安定と刺激を求めている。

同じものを見ているようで、見えている色が違っている。

完全な理解は難しい。お互い、相手に対する愛情があって、どこまで譲歩できるかというところにかかっているのではないでしょうか。

よく「私と仕事、どっちが大切?」とか「俺の言うことを聞いてくれるのが、愛情だろ」という選択を迫るケースもありますが、これは「相手のためにどれだけ自分が譲歩できるか」が重要なのではないかと思うのです。

○○だけど、それを上回る■■があるからしょうがない。■■なところもあるけど、○○だから、まぁいいか。 的な。

注意して欲しいのは、「我慢」することじゃないです。「ココは譲っても良い」ということが大切なのです。

よく条件で結婚相手も選ぶ人がいますが、条件至上主義であっても、気持ちに添っていなければ、そのズレはやがて体の不調となって現れます。人間の心はそれほど、パワフルなのです。

不調となって現れてしまうと、回復には時間も体力も必要です。

女性は、良い人と出会って結婚したい。

男性は自分を受け入れてくれる良い人を探している。

結婚は継続するものなので、我慢していたら続かないのです。

この「良い人」とは何を示すか。それを得るためにはどこまで「我慢」できるかではなくて、妥協あるいはどこまで譲歩できるか。または、どうしても譲れないのはどこか。

また自分にはどんな人が合っているのか。

私は結婚というのは、ひとつの修行と考えています。

恋愛と結婚の年齢を当てるのが得意(と、依頼主からは言われている)な私ですが

チャンスをチャンスとして掴み取るには、手相を通じて自分の内面を知るというのも

方法として有効でしょう。

手相を見ていると、運命の人に出会う時期も、別れる時期も、またそれによって何を失い、何を得ているのか。手相は刻んでいるように思えます。手相、それは自分の深いところに在る「自分からメッセージ」です。

 



 

ひさしぶりの晴れ

今日は、久しぶりに太陽が顔を出し、日射ざしも強くて、暖かい一日でした。本日、満月。それもスーパームーンと言われる、月が地球に一番接近する日だとか。窓辺で石たちを月光浴させるには良い日です。

私はずっと、FireFoxというブラウザを使用していたのですが、いつの間にかブラウザで備忘録のカテゴリが反映されていない。

そこで、OSをWindows7にしたのを機に、Explorerにしてみたら、今度はブログに写真をアップロードしたところ、写真が反映されない。どちらも使い勝手が、よろしくないので、ブログを更新するときはchromeを使うことにしました。

どこか開運に通じるなと思い当たったのは、「方法はいくらでもある」「試してみないとわからない」「とりあえず、試してみる」ことは大切、ってところかな。

自分の限界がどこかなんて、限界までやってみないとわからない。やる前に失敗する理由、できない理由を探しているうちは、まだまだ余裕があるってことではないか。

やるしかない、というところまで自分が行ってみて、初めて見えるものもある気がします。

昔、私は本屋で働いていまして、売れない本を発行元に返却するという業務をしたことがあります。書店では裏方の、大切な業務だけど箱詰め中心の面白みのない作業でした。

あるとき、面白くない作業をなんとかならないかと思いたち「体力の限界に挑戦する」と大げさに宣言して、励みました。設定時間内に何箱、箱詰めができるか、自分で目標設定して励みました。

面白くない仕事をいかに面白く思えるか、いかに自分の暮らしに面白くつなげていくか、小さいことだけれど、そういう気の持ちようが大切だと、そのとき学びました。

なんのつながりもないことが、何年かを経て、意外な展開を見せるということもあります。

私の場合は失業中に覚えた水引作りの内職が、今の天然石関連につながっています。

手相見の経験もその時代にたくさん機会をいただきました。

そのときに知り合った同僚は、今でも大切な友人です。

本屋で覚えたPOP書きも、役に立ってます。

先日、読んだ本に自分に危機が迫りそうになったときは「ゲームが盛り上がってきました」という言葉で奮い立たせると良い書いてありました。

仕事が忙しくてつらいときは「わたしはモテモテ」などと前向きな言葉で受け止める。

できない理由を探す時間に、出来る方法を探すのに費やす。

そういうことに気がつくには、一度、大なり小なり人生のピンチ(と思われる)に遭遇することが必要なのかもしれません。というより、ピンチをも糧とする、ご都合主義が必要。

 



 

掴みはOK?

すみません、ちょっと天然石関係の作業が忙しいので、手相見は休業状態です。

天然石関連の仕事で嬉しいのは、依頼者の方が皆様、口を揃えて「急ぎません」「暇なときで良いです」と申し出てくださることです。なんと寛容な依頼者の皆様に恵まれていることか。ありがたいです。

正直に言うと、大まかでも希望を言ってくださるほうが、作業としては計画が立てやすいので、皆様、大雑把でもよろしいので目安として、いついつまでぐらいと、「来月中」「遅くとも○月までくらい」等々お知らせください。

運は運ばれてくるもの、とは言いますが、掴みに行く勢いというものも必要だと思うのです。とくに、開運アイテムは「いつでもいいです」と言ってくださっていると、現在のように依頼が続いたり、合間に修理、手相見など飛び込んで参りますと、ズルズル後ろに回されてしまうかも、かもです。

運を掴みに行く積極的な気持ちが必要です。

比較的に「早いですね~」と言われることが多い出来上がりですが、それは、依頼者のお気持ちが変わらないうちに、という考えもあります。それ以上に、頭上から降ってきたモノが消えないうちに作る、からでもあります。

依頼者に必要な存在を欲する、今、がその時だからです。

モノを作るとき、その人の魂は異次元につながっていると思っています。

 

皆様のお気遣いには深く感謝しつつも、目安として締め切りがあると、作業の見通しが立ちやすいのです。

ただし、今日の依頼で3日の納品…というのは、石の在庫があれば応じられますが、最短納品のめやすは1週間以降にしてくださいませ。

 

よろしくお願いします。



 

職業欄に書けるように

ren130613
(クリックすると拡大します)徳島県在住の書家・kooさんは観じて、メッセージを添えてくださる作家さんです。数年前にネットを通じて知り、石印を作っていただきました。手相見のときお渡しするメモに押している「紅乃 煉」の印は、kooさん作のものです。いつか、メッセージ絵書というのをお願いしたい、そしてブログに載せたいと切望していました。

あるとき、天から「今でしょ!」という流行のフレーズが降ってきて(笑)、お願いしました。

ある方からこの6月から私の手相見の運気が変わり目に入ります。単独では無理な場合でも、気持ちだけでも「本業」とされたほうが良いですよ、と言われていたのもありました。お願いした文字に「煉」にkooさんが添えてくださった言葉、私にはもったいないような言葉ばかりですが、言霊が成就して、依頼者のお役に立てるように精進したいと思います。

絵書を保護していた厚紙にも、すてきな言葉が記されていました。

130613koo 文字
ご丁寧に、お手紙も添えられており、その細やかな気配りに感激です。

「この度は、ご依頼くださりありがとうございました。水面が、清く静かでなければ、空の月はゆがんで映ります。人をそのまま、映し出すことが出来る煉さんは澄んだ心の方だと観じます。ありがとうございます。」

月が映る水面になれるように、自分を律して生きたいと思います。

Kooさん、素敵なメッセージ絵書をありがとうございました。

職業欄に書いて恥じないよう、これからの励み、宝物として大切にします。

言うなら、試してから

130607花

あの、つい先日まで、「寒いわ」と言って朝晩ストーブを点けていたのですが。

一転、暑くなりました。オホーツクの天候は油断がなりません。

寒くなったら眠たいし、暑くなったら動きたくない、人間というものは勝手なものです。

この陽気に空き地ではたんぽぽといっしょに黄金色の花が満開です。先週は、桜並木を眺めつつパソコンを抱えて歩いた道を、桜の花が散って葉桜となった樹をながめながら買い物に行ってまいりました。

古いハードディスクから無事に全データを新しいHDに移行できて、快適です。

こんなに良いならダウングレードせずに、最初から7で使えば良かったなぁ。試してみないとダメですね。なにごとも試してみてから文句を言え!ということを体感しました。

この次、パソコンを買うなら、Windows8ではなくて、Macにしたいと考えてます。MacでもWindowsのソフトが使えるようなのです。

そのときはデスクトップではなくて、ノートを購入したいです。7を使っていると、Macを使っても良いと思えます。私の場合、データベースソフトのACCESSが使えれば、Macでも良いのです。でも、さすがというか、Macはお高い。Windowsなら5万円ほどで手に入るノートPCもMacなら10万円弱はする。10万円を出しても、Macは美しい。今はiMac Flatpanel、OSはPanther を大事に使ってます。もっともジュークボックスメインに使用しているのですが。。。。。

手相を拝見していて、思うのですが、私自身、たいした人間ではないのは承知しています。どちらかというと不足だらけな人間です。不足だらけなので、幸福とはなにかと探査し続けています。そして依頼者の良い点がたくさん見えるのだと思います。

年齢を重ねるということは、その分、経験を積んでいるということで、若い人から見えないことが、見えてくるというのが亀の甲より年の功。

ある意味、タイムトラベラー。

依頼者は私の意見を聴いてくださっても、その意見が全てではないと知っているはずです。

人は自分の時間軸で生きているからです。多くの人が経験について語ってくれ、そのデータの蓄積が私の財産です。その中で得た答えは試さずにいるより、試してみるほうが価値がある。

もう、良い年齢になっているのに、いつまでも「落ち込んでます」と気持ちを引きずるのはもったいないです。気分転換のひとつやふたつ、あるはずです。それで発散してしまいましょう。なにか夢中になれることをするのが一番。

私の場合は、パソコンをメンテナンスすることもそのひとつ。

あなたは夢中になれることがありますか。

試してみましたか。

 

それでもまだすっきりしないのなら、

お声をかけてください。あなたの見えなかったものが私には見えるかもしれません。

試してみて、うまくいかない場合は、ダメなのではなくて

別の方法あるということが、わかったということです。

とりあえず試してみる、そういう方ならば、きっとご縁がつながるはず。

メールデータ移行できました

Windows 7 pro  になりました。

週末は、多くのメールを頂戴し、ありがとうございます。

無事にメールデータを移行できました。

しかし、一難さって、また、一難。バックアップを取り忘れたデータが古いハードディスク(以下、HD)にあることに気がつきまして。

パソコン内蔵ハードディスクからデータを移行するのに、業者に頼むとお高いし、もう一度交換するのも面倒くさい。かといってファイルを諦めるには未練が残る。データベースファイルやエクセルで蓄積したデータが…。

いろいろ探しましたところ、今は便利なツールがあるんですね。「ハードディスクカバー」や「HD-USBケーブル」というものがあるのですな。これを試してみることにします。

そいで、10年以上使用していたレーザープリンタが動作しないんです。今はこれが悩ましい。

トラブルが起こったら、解決方法を模索して、知識を蓄積することができる。人生もそんなものですかね。トラブルはスキルアップのきっかけとして、受け止めたいと思います。

先日、夜、受け取ったメールに「新しい職場で中傷されたり、つぶされたりしそうです。どうしたらよいですか」という手相見の依頼というわけでもない、つぶやきのような内容です。送信者は数年前に手相を拝見した方からでした。

友達ならば、気安く返信できますが、そうもいきません。以前、真夜中にメールをいただいたこともあるし、お茶して「ちょっと見てよ」と言われたこともある方でした。

その時は、「手相見としてなら、お茶をしながら、軽く見るというのも無理な話で、知人だからいいでしょう、と思っていたら、知人には真夜中にメールは送りませんよね?」と答えました。

「中傷」も「つぶされそう」と思うのも、自分自身です。相手があなたを中傷している(と思っても)のなら、ソレをそうと受け取らなければ良い。中傷は自分への氣づきへのメッセージ。つぶされそうな出来事は見方を変えれば、変わるチャンス、にしてしまえ!

極端なことを言えば、正面きって相手しなければ良い。他人の口に戸は建てられない。他人の考え方を変えることはできない。だいたい、言われるうちが花ということもあるのです。

本当に、嫌な人間には、相手する気も起きません。無視、無視。

誰かに中傷されても、誰かが「あの人はすごい」と認めてくれるように、過ごす。それでいいんじゃないでしょうか。本当に忙しい、努力している人は、他人のことは気にしません。自分も、周りもうまくいくことに、気を利かせるのだと思います。

でも、心身に危険が及ぶ、と察知したら、逃げるか、反撃に転ずるか、腹をくくります。

精神的に参りそうと思ったら、逃げるという選択肢が無難です。