携帯電話が昇天した日

131031携帯電話

131031ハロウィーン

先日、携帯電話の充電部分のカバーが外れて、ショップで無償で直してもらった。それが22日。ついでに充電ホルダーも壊れたので、新しいのをポイントで購入。それは28日。

ついでに、減りの激しい電池パックを交換してもらった。それが30日。

携帯電話の充電時には、写真のようなエレメントが季節に合わせて表示される。

私はこの携帯電話がお気に入りだ。今日はハロウィン。充電時には上記の写真のように楽しい画面が。

その数時間後、携帯電話の画面は突然、7色の光を放って、沈黙したのだった。携帯電話の液晶部分が壊れたのは、本日31日である。欧米人ではないけれど、空に向かって「オー・マイ・ガー!!」な気分だ。

もう5年近く愛用してきた。私はヘビーユーザーではないのでまだまだ大丈夫だったと思っていたのだが。

携帯電話が息を引き取る場面を始めて見た。

これを機にスマートフォンへ…とも考えたが、普段は待ち受け専用だし、メールが打てればいい。現在のプランでいくと、1ヶ月の通信費は1000円ちょっと。

これをスマホにするとして、実質無料の機種を選んだとしても、通信費は7000円前後となる。ネットはパソコンで間に合っているし、スマホは不具合もまだ多いと聴く。なによりも、スマホ…特にiPhoneの液晶の美しさに魅入られてしまったら、ずっとスマホを触ってしまうかもしれない。私は意志が弱いのだ。

思案した結果、今回はスマホは見送ることにした。

今、在庫のある中で一番、手っ取り早いものを選んで機種変更。

右が壊れた携帯電話。左が新しい携帯電話である。

どっちもSH製。

唯一、困ったことが。

携帯電話の液晶画面がまったく起動しないため、データの移行ができなかったのだ。

バックアップはパソコンでとってあるが、データは8月末日のものだったので、9月以降の電話帳アドレスが消失したことになる。

ブログをご覧の皆様の中で、9月から10月にかけて、私にアドレス変更のお知らせを下さった方々にお願いします。

お手数ですが、空メールでご連絡をくださると、助かります。

また、本日、31日の朝から、携帯宛にメールを下さった方、携帯電話の不具合で届いていない可能性もありますので、

私宛にメールをくださって、2日以内に返信が無い場合は、念のためもう一度、メールを再送信してくださるよう、お願い申し上げます。

つい先日も、左目のコンタクトレンズをいつの間にか紛失してしまい、最近、次々とモノが壊れ、失せ、心身ともに動揺しております。

運気の変わり目、実体にダメージがなくて良かったです。

モノで済むなら、それにこしたことは無いですからね。

よろしくお願いします。



UVレジン始めました

UVレジン
以前、このブログ内でもちらりと触れたと思いますが、巷で流行しているUVレジン液を使ったクラフトを始めてみました。
きっかけは近所のお店でレジン関係のパーツの品揃えが充実していることに加え、先日、UVレジン液のセールがあったので、ものは試しにと購入しました。
硬化に使用するUVランプは持っていないので、休日、太陽の光が出ている間だけを狙って作業します。今日は手始めに、以前から持っていたパーツに、接着剤代わりに使用してみました。
太陽の光が足りないとなかなか液は硬化しませんね~。数時間経っても液が台紙に付いたりします。
上はイヤリングパーツにUVレジン液を流し込んで、天然石を配置したもの。
下は、透かしパーツにターコイズを配置して、接着剤としてレジン液を使用しました。
レジン作成部分パーツ
これからまたレジン液を加えたり、パーツを付けたりして完成となります。
始めたばかりで、先は長いですが、とりあえず、レジン液を使い切るまでボチボチ作ってみたいと思ってます。
今まで編み紐やあれだこれだと手を出しています。
自分に向いていないとわかったら、手をひくのも早い私です。
レジン作成ピアス
そのうち、ミール皿を買って色々してみたいと
気長に考えてます。



理想の手相道具との出会い

手相見を始めた頃は、道具は使用していませんでした。

お話する過程で「運命線が…」「生命線が…」と話すとたいていの方は「どの線?」「どこですか」とお尋ねになります。私にとっては、見分けられるのが当たり前の手のひらの線ですが、知らない人はまったく知らない。

説明するのに、いいものはないかなぁ…と思案し始めたとき、最初に用いたのはガラスの棒、これは本来、手相用ではなくて、何年も前に購入していたガラス工芸の(つまようじ)として購入したものです。説明するときに、線を指し示して使用します。

ある日、ガラス棒はうっかり破損してしまい、しばらく次の手相棒を探していました。

かんざし、ガラスペンなど試しましたが、どれもしっくり来ません。

そんなとき、書店で「手相棒」を見つけて、それを使用しました。さすが手相を変えるために考案されただけあって、悪くは有りません。

これもしばらく使用していましたが、先日立ち寄ったお店で、ぶどうつるで作った鉛筆のオブジェと出会いました。

えんぴつの形をしていますが、オブジェなので、文字は書けません。

書けないので、手相棒に使えるかも!と思ったのです。

そのうえ、刻まれた模様が四葉のクローバー!私がよく使う幸運のシンボルです。

運命を感じて(大げさかな)、お店の方に「これに名前を入れることができますか」とたずねましたら快諾していただき、「Ren」と入れていただきました。ぶどうつるというのは思った以上に硬いようで、作業は少々たいへんだったようです。

ガラス棒より重くなくて、落としても割れる心配がない。そして、手のひらの手相の線をなぞって示しても、ぬくもりが伝わるようです。

なにより名前も入れていただいて、一点もの。手相見のモチベーションも上がるというもの。

このお店、「Q太郎」という店名。店名の由来はご主人のニックネームだそうです。

大きなものから小さなものまで木製品はもちろんのこと奥様が木工の品に施されている絵付けが、それがとてもセンスが良くてかわいらしいので、ずっとファンでした。

お店に並んでいるアイテムには名前を入れてくださるサービスもありますので、木のぬくもりにほっこりしたい方はぜひとも、お立ち寄りください。定休日は月曜火曜だそうです。

[北見市 木工 Q太郎] で検索してください。

大切な方に贈りたい、優しくてかわいい、素敵な木製品と出会えるかもしれません。



 

自分自身への覚書

 

ヘミシンクを初めてから2ヶ月ほど経過。ヘミシンクの体験ブログを読み歩くと、「ヘミシンク」らしい体験ができるよう脳が慣れるまでに2年前後必要らしい。それまで私はヘミシンクを眠りのお供にしようと思っている。

眠りのお供に、「過去世の探求」を聴きながらのとき、夢を見た。衝撃的な夢だった。夢は夢で前世とは言い切れないが、あまりにリアルだったので、私のグループソウルが体験したものかもしれない。

時代は江戸時代くらい。僧侶同士の内紛から、一人は陥れられ、座敷牢に幽閉される。その幽閉される際には、拷問もされて、かなりな目に合うのだ。私は陥れたほうか、陥れられたほうかはわからない。が、夢の内容はリアルで目が覚めたとき、夢でよかったと心底思った。
私の過去世は、覗いてはならない扉の向こうにあるのかもしれない。

先日、ある方からうかがった話だと、厳密にいうと、人間には「罪」は存在しない。
過去世の過ちはリセットされるが、贖罪を望んだときに、魂の大きな成長が期待できる場合のみ、そういう人生設計がされるのだという。

ということは、どんなに悪事を働いても、その魂が氣にもしなければ、ありていに申せば「憎まれっ子世にはばかる」のだろうか。

しかしながら、現世にもまれて、荒んだ悪人でも、人間としては人生の経験値で行動しているとして、その魂は純粋で美しい部分があるとしたら、その部分=魂の美しい部分 が自分の行いを悔いて、自分自身に贖罪を課すのだろうか。

よく、「誰が見ていなくても、お天道様が見ている」という言い方をするが、お天道様、すなわち自分自身の深い部分、魂がすべて見ていることになる。自分自身の善も悪も。自分自身を偽りきれても、魂までは偽れない。

神様はいない、と言われればそうかもしれない。
神様は自分自身の魂のなかに存在するのだ。どこにも逃れられない。
たとえ、この世を去っても。

そう考えると、世の中の不思議な力を感じずにはいられない。

手相の相談の中に、「○○は××をしてくれないんですよね」「△△を■■してほしいのに、氣がきかない」という文言を聴くことがある。
自分自身に対する戒めの言葉として
相手にしてほしいことがあるなら、自分から先にするしかないと思う。

優しくして欲しいのなら、優しくすることから。

信じて欲しいのなら、信じることから。

お金が欲しいのなら、お金を使うことから。

仕事で認められたいのなら、他人の仕事を認めることから。

自分から行動しないとずっと

不満を言っているだけ。くれない族、くれくれ族のまま。

欲しければ、与えることから。

本日、見た夢は

その1

道に迷う夢。目的地に向かって歩いていると、途中、老人に会い現在地を訪ねたら、目的地と違う方向に来ていた。自分としては間違えようのない道を歩いていたはずなのに。ショック。

この夢、私はもしかして違う道に入り込んでいるという警告?

その2

行きつけの道に、新しいお店がオープンしていた。おしゃれ雑貨を取り扱う店。立派なお店の中もリアルに見えた。

新しいお店、これは自分のセールスポイントが増えたということか???

ヘミシンクをしてから、夢はくっきりしているような氣がします。。。



今は語れず

手相見です、と声を大にして言えない状態の手相見です。ヘミシンクを始めてから、眠りの質が良くなったような氣がします。肩こりも解消されたような氣がします。

氣がする、というのは、本人は「軽くなった」と思っていたら、行きつけのヘアサロンにて、マッサージされたとき「凝っていますね~」と言われたからです。氣のせい?

あちこちで、関連書籍を読んで知識を得ましたところ、ヘミシンクというのは、バイノーラルビートという手法を活用して商用にしたものだそうです。技術の詳しい内容は、ネットや書籍で得られますので省きます。

砕けて言うと、古い脳からの情報を引き出すとか。深い瞑想状態に導いてくれるというのですが、慣れていないと、すぐに寝オチする。人によっては2年から3年も寝オチするというから、続けることに意味があるというか、続けることが大事らしいのです。

すぐに劇的な体験ができると期待せずに、続けるのが大切。

ヘミシンクでは、自分のイメージ力を要求されます。

これだけで、普段使っていない脳細胞を一部活性化できそうな氣がしてくるから不思議。

ヘミシンクを同じ頃始めた、ヘミシンク仲間がイメージするものと自分のイメージ(体験?)が微妙に違うというのも、比較していて面白いと思います。

精神世界では、この世は、自分の考えが現れた世界と、よく言います。

長いこと生きていると、それは正しいと思えます。

幸福な人は、周りを幸福な視点で捉えますし、悲観的な人は悲劇的に捉えます。

常に怒っている人は、自分が虐げられているとどこかで感じているのです。

自分が虐げられているから、相手を攻撃してしまう。どこかに溜まった不満が出口を求めているのでしょう。

先日、ある一文に『「鍛えられていると思うか、いじめられていると受け取るか」それは本人の気持ち次第である』とありました。

私自身、もう人生に未来を考えるより、終焉を考えねばならない年齢ですから、残りの人生は、周囲から責められても、都合の良い考えでいくつもりです。

人生、もう終わりのほうが近いのだから、嫌なものはイヤだけど、せめてこの世は、苦しみや辛さまでも自分のために存在しているのだと、ご都合主義よろしく思うことにしました。

この世には、昨日の正義は今日の嘘ということもあるので、自分だけが正しいということは、ないと理解して過ごしていますが、自分は自分以外になれないので、なんとか折り合いをつけて生きていくしかないのです。

そう、願っています。



SIGN-サイン-

先日、空に浮かんでいた雲。白い羽に見えませんか。

ヘミシンクの、「創造性開発(クリエイティヴ・ウェイ」を購入しました。CD4枚組です。

私は基本、モノ書きなのですが、書いているときに、我に返るというか、自分で自分にブロックをかけてしまうところがあり、これを打破するためにいろいろ試しました。自己催眠にも挑戦したことがあります。

でも、あまり効果を感じられなかったです。

モノを作る人なら経験があると思いますが、 脳裏に浮かんだ妄想(アイディア)を3次元で表現するのには、見えないエネルギーが必要なのです。私には行動するとどうしても、ダメな部分に引っ張られる傾向があるので、何とかしたいと思っていました。私のガイド(守護霊)さんは姿を見せません。なにか意味があるのでしょうが、直感では指示してくれます。その直感のおかげで、過去、病を患ったときに、私は医師を変え、病院を変えて無事に済んだ経緯があります。

内側から、衝動があれば、それを信じて進むのが良いようです。迷って選択したもの…つまり、理性を働かせて手にしたものは、ババをひくのも思考癖のひとつです。

CDを購入すると、決めたとき、夢に見たのは、とても美しい満月の姿です。それは現実世界よりも大きく光が強い、見とれる月の姿でした。これを内面の「OK」と捉えています。

先日、美しい夕焼けが、西方浄土を思わせるように見られました。

美しい、とコンデジのシャッターを切りましたが、この美しさはあっという間に、夜のとばりに溶け込んでしまいました。

このタイミングというか、今示されているあらゆることを、自分へのサインとして、受け止めることにしています。

手相見をしていた頃、「当たっている」「当たりました」と言われても、自分は手相の線を見ているだけなので、不思議な感覚でした。読み取るだけではなくて、もっとよりよい方向へ、物事が流れたら良いのでは、と見続けて、御代を頂くようになってあっという間に5年以上過ぎていました。

こういうと、語弊があるかもしれませんが、手相見としての自信があるか、と問われれば、「普通」としか答えられませんでした。

紹介制で拝見しているということは、紹介してくださる方々の「見て欲しい」「見てもらいたい」と思いがあればこそです。

はじめから「信じられない」「怪しい」という気持ちがあり、開示される情報…「聞きたいこと」「悩みの内容」が明示されなければ、私の受け取る「内容」にもブレが出てくるのだと思います。

私に、相談をしてくださった方々に、恥じることのないように、これからも精進していきたいと思っています。

手相見でも、天然石でも、あなたと私の、出会いはきっと、必然だと思うから。