
本日、手相見有り。今まで手相を拝見するのは、紹介されてということにこだわっていた。
それは、きっと自分の手相見について懐疑的な部分があったからだと思う。
私は手相を見て、他人の運気を見ているが、そのことに対して自分にそういう資格があるのか。見ていいのか。心のどこかでずっと問い続ける聲を聴いていた。
このままのスタイルでいこうか、それとも。そんなことをつらつら考えていたときに、ブログを読んでくださっている方から依頼のメールが届いた。
今までも、数度、依頼者が遠方在住の場合があったりして、実現は難しかった。
また、男性の方からの依頼も、紹介者がいない場合はお断りしていた。
今回は同じ街に住まわれている女性の方で、「ダメもとで」問い合わせてくださったその行動力に感じることがあり、思い切ってお受けした。
紹介で見ている手相見に、メールをすることに勇気も必要だっただろうと想像する。
私も、そろそろ自分なりに制限していた枠から、外れてみることにした。外れてみて、見えたものが依頼者の希望と違うのなら、そのときは、手相見を続けるかどうかを考えれば良いと考えたからだ。
これは、背後霊に聴いたというか「やってみれば」というお膳立てがされたと解釈している。
必要な「お告げ」は、他人の口からやってくるのだ。
自分の行動や思考に限界を設けているのは、自分自身なのだ。
そういう意味では、自分の世界を作っているのは自分の心だと言える。
私のブログを読んで、どこかしら共鳴してくださっているのなら、紹介者はなくともご依頼を受けて拝見しても良いのではないか。もう、一歩前に踏み出す日が来ているのではと判断した。
今日、依頼者にお会いするとき、私は緊張していた。なんとも小心者な神経である。
結果、ブログを読んで、受け入れてくださった方の手相は拝見していけると思うに至った。
でも、男性の場合は紹介者が必要だというのは変わりない。
とりあえず、半歩ながら前に行動してみた。
ダメもと、これが開運のキーワード。
ダメでもともと。断られることを恐れない。
私も、ダメでもともと、相手に受け入れられなくても、なんら変わりない。ただの手相見である。
今日は、そう自覚した記念日。