1月は行く、2月は逃げる。早いもので、もうすぐ2月です。
手相見のお問い合わせをくださる皆様、いつもありがとうございます。
手相を、見始めて、振り返るに、1年ごとに依頼者の相談の内容や環境などに共通なことがあるなぁと感じておりました。
ご新規さん中心、リピーターさんメイン、どちらも半々とかですね。
相談内容も、不思議と偏ります。
結婚、離婚、家族のこと、自分の進路…。
今年は、外から、が中心になりそうです。
何かというと、「依頼者が私の住む街の外から来られること」が多いのです。不思議と続きます。
手相見として、私も育てていただいていると感じます。
依頼者あっての手相見のスキル向上というのでしょうか。皆さんのおかげで、皆さんの手相を見ることができるのです。自分で自分の手相を見るとあっという間に終わってしまうし、自分のことだと迷いがあるので、詳しくは見られない。
手相見は、あくまでも通りすがり。私の見立てが全てではありません。他人様の人生をどうこうできる力もないのです。
見立てで、自分の意に沿わなければ、とりあえず流してしまうのが人間というもの。
何年かを経て「あ!」と思い当たる、気づくことができたときのために、手相を見ることに意味があると思っています。
自分で、お金を払ってまで、聴きたいことがある!なんとかしたい!と思うからこそ、見料を払っていただけるもの。
無料でちょっとだけ、見てもらえたら良いわ。と、ちらちらと手を差し出してくる方には、簡単に言う場合と「今は見る時期じゃないですね」と告げる場合があります。
聴くという、腹が決まっていないと、こちらも真剣にはお話できません。
手相は、本当はシンプルで、運気の流れを、見るものです。
私は、その先にあるものを読み解きたいと思ってます。
ある方に見ていただいたところ、普段のワタクシと手相見のワタクシ、ガイド(背後霊?)が入れ替わるそうです。
確かに、手相を見ているときは、脳裏に浮かぶ、というよりは、口をする~っと通って出てくるというか、ダウンロード画面に近い感覚はあります。
きっと、それは、私の手相見るという行為が、依頼者にとって「鏡」となっているようです。
運気の確認作業を一緒にしているということ。
依頼者あっての手相見です。