先日、かなり以前、手相見を始めて間もなくの頃に拝見した依頼主から、数年ぶりに電話をいただいた。
「まだ、手相を見ていますか?知り合いの知り合いが手相を見て欲しいと言っているようなんです」 その方は、「手相見も天然石にも、もう頼らない」と明言されていらした方だったので、電話を頂いて正直なところ、意外だったが嬉しくもあった。
ご紹介していただく方には、まずブログ(このブログね)の記事を数件読んでいただいて、これを書く人間を直感的に判断してもらうのが一番良いと思っていた。
文章には、その人の人となりがにじみ出る。くどい人はくどい文章を書くし、自分勝手な人間は自分勝手な文章を書くという。
私は手相見にこだわらず、あらゆる方法で幸運を探査している。
お茶碗に5円玉も試してみるし、風水も取り入れてしまうし、天然石だって用いてしまう。
護符だって書いてみた。
やれることは、試してみるのが、私の主義。
とはいえ、このところはネットもされない方の依頼も年に数件ある。
今まで、あまりしょっちゅう手相を見ても、その人の未来は激変していないかぎり
半年から1年の間をあけて拝見していたが、必要に応じてその間隔を3ヶ月以上とすることにした。
詳しくは「手相見の流れ」をご覧ください。
世の中の空気は今、急速に変わりつつある。自分自身の思いが周りの運気を形作りやすいと感じているから。
それは、聲ならぬ声というか「お導き」の感覚を受けた。
私の手相見は、予言ではなくて、運気の流れを読むものだ。
必要な人には自然に縁がつながるようになっている。
不思議なことに、見た瞬間に未来への「意識」が変われば、未来も変容する。
一番大切なことは、運と自分をもっと信じることだろう。
そうして、私はこの数年間に得た人間関係の細かい分を、切捨て、切り捨てられたような
「力」の存在を感じざるを得ない。