天使の現れ方1


長いこと、ブログ記事を書いているので、もしかしたらば、過去の記事と重複する部分があるかもしれません。

でもまとめとして書いてこうと思いました。

思い立ったら、記しておかないと、すぐ忘れてしまう、そんなお年頃なので、ご容赦ください。

この世に神様、天使が存在すると信じている、と言ったら、私の頭が変になったとか、ヤバイやつだと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

私が、見た(感じた)天使、神様と言っていいかも、という存在を感じた時の話です。

私は人生に一度、まさしく天使が現れたのを感じたことがあります。

話は長くなりますので、数回に分けます。

今から18年ほど前です。(月日の流れるのは早いわ~)

亡父は若いころから関節リウマチを患い、近所の病院に長い間通院していました。今ほど良い薬もなく、治療といえば、痛みや炎症を抑える薬を投薬されるだけです。

また、亡父自身も、病に対して己自身を労わるというか、節制もしない性格でした。

今から思い返すと、すでに、糖尿病も始まっていたと思います。

父は早朝に出た庭先で転倒し、伏していたところを、幸い、ご近所の方に助け起こされ、玄関に運ばれてきました。

意識はありましたが、動けません。足を骨折しているようです。

人生初の救急車要請。救急サイレンにご近所の方も出てきます。

救急隊員の話では、右大腿骨を骨折したようでした。

何年もお世話になっている近所のかかりつけの整形外科病院に、救急隊員の方が連絡してくれました。

院長からは、

「大腿骨を骨折していた場合は、看護者が必要になる。当院は完全看護ではないので、総合病院に行った方がいい」との返答でした。

しかし、母が近所の病院でないとダメだと譲らず、無理を言って病院に運んでもらい入院となりました。

けれども、入院してから面倒なことになるとは、

神ならぬ身の知る由もなかったのです。

「天使の現れ方2」へ続く

天使の現れ方2

今日の話は、天使の現れ方1」からの続きです。

無理を言って、近所の病院に入院した父ですが、右大腿骨骨折で、自然治癒には時間がかかるとの診察結果。

高齢者(当時65歳)だったことから、股関節の部分を人工関節に置換する手術を受けることになりました。

主治医の先生は、自分のほかに院外に応援の医師を依頼してくれました。手術までの数日間、骨折した父は、当然、寝たきりです。

母が介護に付き添いました。しかし、父の性格や、介護に不慣れな母は、排せつの介助がうまくできず、喧嘩してしまったのです。

母はすぐに、お手上げとなり、「総合病院に転院させてもらいたい。もう介護はできない」と私に言います。 母の介護がなければ、長期になるであろう入院生活は、無理です。

私は院長に、転院をお願いしました。

当然ながら院長は激怒しました。

そうですよね。救急車からの依頼に「完全看護は無理」と言って、断ったのに、無理を言って入院させてもらったのは当方です。

ですが、しかたありません。「お願いします」と頭を下げました。

「応援の医者も頼んだのに。転院の書類も書かない。手も貸さない。今すぐうちの病院を出ていけ」と言われたのです。

父は大腿骨骨折で、歩けません。それでも

「転院に救急車は使えないぞ。すぐに出ていけ」と院長は繰り返します。

母は「父の介護はできない」と繰り返し、父は「院長先生に謝れ」とこれまた激怒して私を責めます。

そのうえ、院長から指示された看護師さんからも「早く出て行ってください」の四重奏です。

仕方ないので、院長に再び、頭を下げました。

「先ほどは申し訳ありませんでした。父が先生にお願いしたいというので、手術してくださいませんか」

個人病院の院長は、王様です。一度怒った気持ちを収めるのはかないませんでした。

医師「病院を出ていけ」看護師「早く退院してください」父「院長に謝れ」母「もうお父さんの介護は無理」という声。

気分は四面楚歌です。

今なら、地元の役所に電話して相談するところですが、当時はそんな知恵も知識もありません。

困り果てた私は、地元の総合病院に足を向けたのです。

天使の現れ方3

まだ続行中

昨日、気温が36度近くまで上がったと思ったら、翌日は20度くらいまで下がってたり、寒暖差が激しい。暑い日を経験したら、翌日は寒くて、ついストーブを数時間つけたりしました。

前日比で寒く感じるんですよね。

人生もこんなものかも。相対比か。

明日、7月23日で、ワタクシ、ポケモンGo!開始丸一年でございます。昨日、7月21日にレベル33になりました。写真は、1周年記念のイベントにて出現中のピカチュウサトシ帽子バージョンで、ございます。

レベルがあがるごとに、必要なポイント数が上がるのですが、レベル33までには75万ポイント。次の34までは、100万ポイント必要なわけです。で、開始から今までの獲得ポイントは、377万ポイント。1ヶ月平均31万。一日1万ポイントをゲットしています。

目標があるからコツコツ歩いているワケです。人生には、目標が必要。ハードルを低くして、達成経験を積むことが、次の目標への達成への力となるということですね。私がレベル34になるのは3ヶ月以上先ですが、たぶん、ポケモン拾っていると思うわ。

で、スマホ(iPhone6)本体が熱くなるので、そろそろバッテリーが寿命かしら?とか思って、appleサポートのアプリを使用して、チャットで問い合わせてみました。遠隔でバッテリー動作を確認してくれた結果、バッテリーが寿命のわけではなくて、ポケモンGoのやりすぎだったという…。(苦笑)そうじゃないかと思ってました。

もうすぐ19歳になる我が家の老猫ぐれこが、体調よろしくないので、通院中、私も歯科医院に通院中、そのうえペン習字もやってます。時間の使い方が上手な人間ではないので、なんとなく気ぜわしい日を送ってます。

そのうえ暑さに弱くて。

手相見も辛うじて、続行中。

ごめんなさい。

天使の現れ方3

この記事は

天使の現れ方1

天使の現れ方2

の続きです。

転院を希望して、入院先の院長、入院当事者の父に責められてしまった私は、地元の総合病院に行きました。

当日は、総合病院の受付時間が過ぎていて、急患用の受付応対の職員の方がいらっしゃるだけで、閑散としていました。

総合病院の整形外科は、主治医の紹介状がなければ、診察もしてもらえません。

どうしたものか…と受付窓口前をうろうろしていたところ、受付の女性が声をかけてくださいました。

私は正直に、いきさつを説明しました。

受付当事者の立場になって考えると、面倒くさい話だと思います。

でも、彼女は担当科に連絡をしてくださり、言いました。

「救急の新患として、来てくだされば、対応いたします」と。

四面楚歌な気分だった私にとって、それはまさに天の声でした。

さっそく父の入院している病院に戻りました。

戻ったとたん、再び院長から「いつ出ていく?早く出ていけ」と言われ「父からは「早く謝れ謝れ」と責め立てられます。

私は、「わかりました。先生、退院します」と頭を下げ荷物をまとめることにしました。

そして、タクシーの後部座席に父を寝かせて、総合病院へ連れて行くことにしました。

いざ、退院する、と告げ、タクシーを呼ぶと看護師さんは「これで、転院するのですか。大丈夫ですか」と不安げな表情です。

その時の私の心の声

「しかたないだろう!私は免許ないし、出ていけと責め立てているのは、院長だし」

父には、「多少、移動中に痛みが出るかもしれない。我慢してね」と伝えました。普通、ここまできたら返事は「うん」とか「任せる」って言うと思うじゃないですか。そこが大事でしょ。ここまできたらさ。

でも父は一言「ばかやろう」と罵声を浴びせてきました。事情の知らない傍から見たら「鬼娘が、父を無理に転院させている図」ですよ。(遠い目)

まぁ、父に感謝の言葉は期待するのは無駄。亡くなる間際も「私になにかいうことはある?」と尋ねたら「ない」と言い切った男です。

タクシーの運転手さんに心づけを渡して、手伝ってもらい、父を後部座席に乗せました。母は座らず、足もとに屈み、私は助手席へ…。

いざ、出発するという時、院長先生から、診察室に呼びつけられました。

院長先生は、転院に必要な書類をまとめて、渡してくださいました。

私は、「ありがとうございます」と言うのが精一杯でしたが、院長は「ここでいうのはお礼じゃない。ご迷惑をおかけしました、だろ!」と吐き捨てるように言いました。確かにそうです。院長先生。ごめんなさい。

そうして、父は、総合病院に移り、手術しました。

次は最終です。

天使の現れ方4(最終)

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この記事は、天使の現れ方3の続きです。

その他の記事はこちら。

天使の現れ方1

天使の現れ方2

父は総合病院に受け入れてもらい、無事、人工股関節の置換手術をしました。

検査の結果、糖尿病を罹患していました。整形外科を退院後は、内科に入院加療となりました。長期間の過量の投薬の後遺症も出ていたので、薬を減量するためです。

内科を退院後、1年後に突然、腹部の痛みを訴えて、受診しました。

主治医はレントゲンに写る、わずかな白い影から、腸に穴が開いていると判断して、CT検査に回され、結果、即日、緊急手術となりました。

この時も、担当内科医の眼で、腹膜炎を起こす寸前で、父は助かりました。

この診察時、処置室で横たわる父の手相を見たことがあります。

あらゆる線がしっかりしていて、枝線がない。運命線と生命線の流れから今すぐ亡くならないと判断しましたが、手相の線が、直線で、構成され、なにものにも煩わされないことを表している相でした。

思わず吹き出してしまったほどです。

外科手術の後、腹痛の結果は、大腸癌による腸閉塞が原因の腸穿孔でした。薬の副作用で、痛みを感じにくくなっていたため、自覚症状がなかったようです。その手術から数日後、縫合部分と別の部分に穿孔があり、再手術。父は人工肛門となりました。

父はお酒も煙草を辞めなかったので、3年後大腸癌が肝臓に転移して再発、2年の闘病を経て70歳で亡くなりました。

緊急手術をしてくださった外科医には、父が亡くなるまで、大変お世話になりました。

幼いころから病弱でしたが、特に60歳以降は手術が多く、闘病の晩年でしたが、父は自分の好きなように生きた人だと思います。

本人は、自分より不幸な人間はいない、と思っていたようですが、私から見れば、誰の言うことも聞かずに自分の人生を全うした、運のいい人です。

父はあの時、転院して、その後、大腸癌の治療のために人工肛門(ストーマ)装着となったときに私に対して「あの時、死んでいればよかった。余計なことをしやがって」と散々責められましたよ。

今回、ピンチな私=父 を救ってくれたのは、総合病院の受付にいた女性です。

彼女が、声をかけてくれなかったら、どんなことになっていたか、想像もできません。責められていたのは2日間ほどでしたが、心配事で食事が喉を通らないという経験をしました。

最初に救急車で運ばれた病院の院長は、地元では頑固で知られていた方でした。今は、院長の高齢で廃業されています。

うかつなことに余裕のなかった私は受付の方の名前も、覚えていません。

このことを思い返すとき、天使、天の御使いは、人の姿を借りて現れたと思えるのです。

天の意志や慈悲は、神々しい光、荘厳な音楽に包まれて、仰仰しく現れるわけではなくて、周りの人の行為や心に現れるのだと。

それは、私や誰かの中にも現れて、自分でも思いもよらなかった行動や言葉を告げるときにも、天の力が働いているときがあると知るに至るのです。

父の亡くなった同じ年に、今度は私の手術が続いて、気持ち的には「ああ~(嘆き、驚き、ため息)」っという感じでしたが、今思うと、手相見に自信を持つきっかけになり、また今いる道に導かれていたような気がします。

やはり、私の周りにいる人々の中にも、天の働きがあったような気がするのです。

「天使の現れ方」終

 

暑くて思考停止

ワタクシの住んでいる土地は盆地なので、暑いです。

寒いか、暑いかで、中間がない。体が暑さに慣れる間もなく、昨日20℃前後でも今日は35℃に迫るか?なくらい、寒暖差が激しい。
近所の空き地に変わった花が咲いていました。つぼみの形状から芥子の花系?
暑いと、職場の非常扉を痛風のため、少し開けているのですが。

発作的に、飛び降りたい衝動にかられることがあります。

ワタクシ、高所恐怖症なのですが、高いところに立たされたら恐怖のあまり、飛び降りてしまうと思うのです。

あの、すべてのしがらみを、振り切って飛び降りたい衝動というのは、なんなのでしょう。幼少時に階段から、飛び降りて怪我したこともあります。

そんな衝動を抱えているので、扉の前には近寄りません。昔、観光地の大岩の上に登った時も、絶対、下を覗きにいかなかったです。

夢では、「落ちる」というのではなくて、「飛び降りる」という展開をよく見ます。夢の中では冷静に「夢だ」と自覚しているので、あたりまえですが、怪我もしなければ、痛みも感じません。

さて、手相見を長く続けていますが、長いのは年数だけと思っています。ご紹介くださる方がいらっしゃればこそ、手相見を続けて参りました。こんなに長いこと、拝見することができて、驚きで、また感謝でもあります。ご紹介くださるときは、ぜひとも、ブログからご紹介いただいて、「こんな人でもいいか」と納得されてから、ご依頼くださるようお願い申し上げます。

ブログも、長く続けておりますので、検索サイトで「煉瓦(れんが)の煉に備忘録。煉の備忘録」と検索していただければ、たどり着けると思います。時々、初見で明日、と直接電話で来られる方もいらっしゃいますが、すみませんが応じることはできません。

連休中や年末年始はバイトも休みなので、そこらへんは臨機応変に受けることもございます。

ただ、見始めると長いのが欠点なので、夜は睡魔もあるので、集中が続きません。本当は、30分から最長1時間にすればいいんでしょうが。すみません。

ピンポイントで伝えれば、可能なのか?

長ければ良いってもんでもないですしね。考えておきます。