紅乃煉の成分表

8月も、もうすぐ終わり。

あまり暑いという印象の無かったこの夏。

愛猫を見送ってから、頭ではわかっているのに、体調が今一つで、栄養ドリンクを飲んだりしたが、心の深いところが悲しんでいるというのが実感だ。悲しいというより、寂しい。というのかな。

そんななか、ポケモンGoはあいかわらず、しています。今年中にはレベル35に到達したい。(現在33の半ば)

手相見の拝見数が3桁を越えて久しい。

以前から、わかっていたことだが、手相見初期の「紅乃煉」と2017年8月現在の「紅乃煉」は成分(なかみ)が違う。

最初の頃の私には蓄えた知識が少しだったが、今の私には相談者に方々から得た知識も加わっている。

思うに、こんな私に、手相を拝見させてくださった方々には、感謝の言葉しかない。誰にも言えない深い部分を、提示してくださるのだ。こちらとしても真摯に受けねばならないだろう。

私は、鏡。示された情報が真摯であれば、それに応じ、読みも変わってくるだろうと思う。

そこが私の能力の限界なのかもしれない。

今までは、依存されると、よろしくない、という考えがあったが、依存するのも個人の勝手じゃない?などと思えるようなった。

時間をおかずに見て。それも無料で、見てみて~!というのは、さすがに困るが。それはお友達にしてもらうことをおすすめする。

ただ、劇的に手相が変化していなくても、お茶しながら、手相を拝見して、お話をするというスタイルも有りだと思うようになった。

手相が変わったから、運気の流れが変わっていくわけではない。「変えていこう。がんばろう」という意志が、手相を変化させていくのだ。私はその力に、ちょいと力を貸すだけだ。

昨日、iPhoneを砂利道に落ちてしまい、画面にヒビが入った!と思って大慌てして、キャリアショップに足を運んだら。

割れていたのは、ガラスの保護フィルムだけでした。ああよかった。

新しい保護フィルムを買い、貼ってもらって帰宅。

保護フィルム、貼ってて良かった。

ちょっとお高いガラスの保護フィルムだったけど、役に立ってくれました。

ついでに自分のスマホの契約内容等その他、わからない部分を質問攻めにして、答えをいただいてきました。

2年縛りが終わるのは、2018年の1月末、iPadは現在 miniなので、大きなのにして、スマホは格安会社にしたいと思っています。

今だと、スマホとタブレットふたつに解約料がかかるんですよ。

色々と計算していると、ここまできたら、更新月を待っても、金額がさほど変わらないかな~、って。

そのときは、携帯電話のメアドは使えなくなりますが、PCのはそのままですんで、よろしくお願いします。

愚者のつぶやき


私には好きな言葉が多くある。あなたにもあるだろう。
その中のひとつで好きな言葉は「しない善より、する偽善」。
善人ぶる自分を私は自覚している。

店頭の募金箱に小銭を寄付するのも。

神社でお賽銭を奉じるのも。

世界平和を祈るのも。すべての延長線上には「自分の世界」平和のため。

決して真の善人ではない。

でも善人に近づきたいが、その道は遠く険しい。ほんの、1ナノメートルでもいい。

近づきたい気持ちはあるので、形から入りたいと願っている。
まさしく偽善者だろう。
文章にしてみると、本当にちっさい人間だ。

かなり昔になるが、些細なことから、依頼相手から非難めいた言葉で、責められた時も「私はあなたに応えられる人間ではありません」と返答した。相手は「そんな、煉さん、自分を卑下しすぎです」とあわてて慰めてくれた。相手はとても素直な方だったようだ。
だが、実際、私の心の内は「”あなた”にはなんと思われようとかまわない。それは、わたしにとって、たいしたことではない」という意味だったのだ。

他人の心の中を、正確に読み取ることは、難しいのかもしれない。
ならば、想像でしか答えを得られないのであれば、自分の都合の良いとらえかたをしても良いだろうと思う。

自分にとってはそれが、「真実」であれば良い。
万人に好かれるのは、無理な話だ。
自分が無理をせずに、過ごせるのが正解。
恋愛も友情も、片思いで終わることもある。相手が自分の想うエネルギーと同じくらい、自分を想ってくれていなくてもいい、と腹をくくることだ。
見返りを必要としないことで、不満も、不安も持たずに済む。
尽くしたいから、尽くす。してあげたいから、してあげる。
その純粋なエネルギーは、きっと自分の力となる。
損得で測っていても、結局、自分のためだと思っていれば、いいんじゃないの。

またね、ぐれこ。

11日は山の日。

我が家のぐれこが虹の橋を渡りました。

15日に満で19歳になる老猫でした。

猫の老衰は、本当に突然やってくるものでした。数日前まで、ご飯を食べていたのに、瞬く間に食欲は失せ、足腰が弱り、寝たきりとなり、最後は枯れるように、穏やかに、静かに息をひきとりました。

無理な延命治療をしないほうが、楽に穏やかに虹の橋を渡れると、ネットで知りました。

必要だったのは、私の覚悟です。

6月に膀胱炎として治療していましたが、8月に入って、膀胱癌と診断され、尿道カテーテルを挿入して、オムツ生活に入っていました。今どきのペット用のオムツは高機能。朝晩に2回の交換でも、洩れませんでした。

今まで飼った猫は7匹。虹の橋を渡った猫は6匹。

看取った6匹のうち、一番、穏やかで、一番、静かな最期でした。

今はそれが、私にとっての慰めです。

ぐれこは、三兄弟で捨てられていて、拾ったときの体重が兄弟の中で一番重かった。だから長男(だと思う)。

写真は、三兄妹。右からぐれこ(260グラム)。ももこ(220グラム)、こたろう(240グラム)。()内は保護時の体重。成長したら、次男のこたろうが、7.5キロ、ぐれこ5.5キロで逆転しました。

保護時は生後2週間、目が開いたばかり。逆算して誕生日は8月15日ということになります。

それまで、成猫、幼猫を拾っていましたが、赤ちゃんは初めて。養育日記をつけながら、育てました。当時、私は大好きな書店店員の仕事を業務縮小でリストラされたばかり。暇はありましたから。

3兄妹に哺乳し、世話をしていて、当時の思い出は、記憶に残っていません。忙しすぎたんでしょうか。

写真もデジカメはなくて、「写ルンです」というインスタントカメラで撮影しているから、今一つな映りのものしか残っていません。

里親を探したけど、見つからなかった。借家で猫が増えて大家さんには迷惑をかけてしまったり、思い出もたくさんあります。

写真は、7年ほど前に撮影したものですが、左から三兄弟が虹の橋を渡った順番通りに写っています。こたろうは13歳、ももこは17歳と半年、ぐれこは18歳と11ヶ月361日。

猫と暮らし始めてから、別れは覚悟はしていましたが、喪失感は予想以上でした。自宅で猫と一緒に眠らないのは、猫と生活してから初めてです。

ぐっすり眠れるかな、と思っていたけど、意外にも眠れていなくて、やはりな、と思います。

今頃、虹の橋の向こうで、3兄妹、久しぶりに仲良くしているかな。

まだ、ちいこ(15歳)が残っていますけど、ちいこも老化で、目も見えず、耳も聞こえていないので、介護生活中です。

今はまだ、寂しいけれど、たくさんの思い出をありがとう。

それはずっと大切な宝物です。

わたしがそちらへ行ったら、また、会おうね。

またね、ぐれこ。

 

終活、始めます


暑かったり、寒かったり、振れ幅の大きい夏です。
昔の話ですが、父が亡くなった年に、私自身の大小手術が続き、野良猫の保護のまねごとをしていた母はご近所さんから責められて、それが家周りのもめ事を呼び、私の気分はよろしくありませんでした。
何事も、母が発端ですが、直接の話し合いの場には出てくれません。「耳が不自由だから」というのがいつもの言い訳です。

あれから十数年を経て、高齢猫のぐれこが老猫のうえに病を罹患しました。介護が必要な身になり、オムツ着用となりました。
闘病生活の始まりです。

この介護猫のオムツ交換も母は逃げ腰です、っていうかする気はまったくないようです。私も期待はしていません。

老猫のぐれこは8月15日で満19歳。そして数か月の命です。
もう一匹のちいこもすでに目も耳も不自由になりました。

遠からず虹の橋を渡るでしょう。
そうこうしていると、長い間住んできた借家を出ていかなくてはならない話も現実味を帯びてきました。引っ越しをしぶる母を説得して、私も年齢が年齢ですから母と一緒に終活を始めます。
この数年のうちに気長に団地住まいを目指すことにします。

あの世に持っていけるものは、経験と思い出だけです。

田舎の地元に、ポケモンGoの伝説のモンスターが登場中。

一人でポケモンしている私には、チームで戦えない。

悔しいのでスクリーンショットでコレクションしかできません。

私のペン習字講座も今は、足踏み中。長年身に着いた、癖字はなかなか美しくなりません。

人生にはそういう時期があるという縮図です。結局のところ、自分の「やるぞ」という気概がないと、変化は来ないわけで。

自分で字を書くたびに、小さなストレスを感じていたので、それを解消するためにはじめたペン習字です。「か」「せ」など、なんとなく書きづらかった文字を美しく書き表すために、続けています。

根性の無い私ですが、停滞する運気を変えるには、手っ取り早く、小さなことを始めたのです。

そして、身の回りで起きる、イベントを糧にできる気迫が必要になるのです。

「いやだ」という気分を受け入れて、かつ「わくわく」に転換していく。これが現在の私のテーマです。

今、ツイテいますか。気持ち落ちていますか。

「だれも、わたしに感謝してくれない」とか考えていますか。

感謝が欲しいなら感謝を。愛が欲しいなら愛を、与えることから始めてみてはどうでしょう。

欲しがっているモノがある人は案外、自分からは与えていないことがあるんですよ。

与えたって戻ってこない?それは裏徳として積まれています。

その徳が役に立つのは、来世になるかもしれませんがね。

見返りを気にせずに「したいから、する」と何か違う風景が見えるかもしれません。