charm!チャーム!!

すっかり、日没が早くなりました。

今日は、チャームを二つ、作りました。

名札に付ける、お守り用。

宝石質のアメシストやピンクトパーズ、シトリンでまとめた、魔法陣です。

次は、名札よりも大きい、バッグ用。

オニキスでかたどった、花の中心には白メノウ。左には、赤メノウとミルキークォーツ、右にはガーデンクォーツ、ディープローズクォーツ。

二つのエネルギーをまとめるのは、ラピスラズリ、とターコイズ。そして

11月の誕生石のブルートパーズです。

今回も依頼品ですが、作るにあたって、確信したことがあります。

これは、信じていただかなくて構わないのですが。

石を扱うとき、「降りてくるもの」がないと石を組めない。石のエネルギーを通して、「出現するもの」がなければ、私は石を組めないのです。

石を前にして「石の聲(こえ)が聞こえてくる」あるいは「降りてくる」なにかがなければ、チャームもブレスレットもそのほかも、形になってこないということです。

今までは石のエネルギーを追いかけてきたけれど、石がもたらすエネルギー、聲を総合して組んでいくことになるようです。

商いに向かない人間です。今さらか…。

この身体とともに

多くの方にご心配いただきまして、メールやご連絡をいただき、感謝申し上げます。

先日、体調が悪いので、行きつけの内科から、総合病院に紹介状をいただいて、診察してもらうことにした。

数値上は、確かに持病の数値を示しているが、私の訴える体調を完治させることはできないということだ。

私的には、数年前から体調が悪いので、ドキドキしていたのだが。考えてみれば、最初に診断された時から、波はあったが絶好調ではなかった。

結果、対症療法しか残っていない、と告げられた。

筋肉に痛みが出たら痛み止め。

倦怠感には、市販の栄養剤で対処し、ストレスを貯めないようにするしかない。

今の総合病院でできるのは、治療ではなくて、癌検査くらいしかない。ということで、終了。

内科的も気になる数値はあるので、これからは内科クリニックで診察を受け、今回の老母のように「異常値」が出たら、改めて総合病院で診てもらうこととした。

そして、将来的には治療を必要としないならば、地元の病院で養生することにする。

 (空に低空飛行のヘリコプターが周回していたので撮影)

私の体の不調は回復しない。

不調な体も私自身。

私の個性の一部、体の一部と考えれば、調子を見ながら、労わりながら暮らしていける。

それはそれでありがたいことだと思える。

実は私、数年前に知り合ったヒーラーから、ヒーラーエネルギーを伝授されている。

ヒーラーは自分自身を癒せないと聞いたので、今回は、もう亡くなられた有名なヒーラーさんにのエネルギーにすがってみた。宗教がらみではない。念のため。

その甲斐があったのか、甲状腺の半径ピンポン玉大の腫れはひいて、周辺の人も驚いた。

私も驚いた。医師にも原因はわからないという。推察だけ告げられた。「大きくなったり、小さくなったりするんですよ」

エコーの検査の結果。甲状腺は少し大きくなっていたが、血液検査は異状なし。

腫れの半径はピンポン玉大ではなくなった。

あの腫れはどこに消えたのか。

確かに、周辺を驚かせた腫れはひいた。エネルギーの一部が溜まっていて、抜けたように。

オラクルカードで受け取ったメッセージの通りになった。

今回の老母の入院、私の体調不良。それはブログでも良く伝えている「運気の変わり目」を表していたのだろうと思う。

もっと、自分自身のエネルギーに目を向け、自分のエネルギーを体感する。

この身体と生きていく。

覚悟をもつときが来たのだ。

 

私の話

備忘録なので、記録しておきます。

8月末に、母の血液定期検査の結果、貧血の数値が出て、念のため、ということで再検査を受けることになりました。

同じ頃私は持病のせいか、体調がいまいちで、クリニックに数年ぶりに足を運んでいました。

待合室で、診察に呼ばれたその時、ちょうど母のかかりつけ医院からスマホに連絡がありました。

再検査結果に異状が見られ、専門病院に紹介してくれるという内容でした。検査結果は、ただならぬことを告げていたようです。

いっぽう、私は、十年以上前に甲状腺腫瘍で右葉を切除しており、残る左葉にも腫瘍が残っていて、年に1~2度検診を受けています。

その腫瘍なのか、甲状腺の左葉が急に大きくなってきて、わずかな痛みも感じたたため、母の検査をする総合病院で、診察を受けることにしました。

定期検診は3ケ月前に済ませていましたが、甲状腺にピンポン玉くらいの腫れが見られたからです。

検査の科は予約に空きがなく、診察は3週間後の予約となりました。

母が手術当日、私は病棟で手術が終わるのを待っていたころ、受診予定の耳鼻咽喉科の看護師から、病状についての確認の電話がありました。

私が受診予定の時は、母の、母の手術時には、立ち会っていた私に自分自身の病状の電話が、絶好のタイミングでかかってくるなんて。

そういうめぐり合わせなんだと思いました。

母の手術の後日、私自身の腫瘍の診察があり、念のため、エコー検査することになりました。

甲状腺の腫れに、私は、右葉の腫瘍のため、切除手術を受けた時の経験から、全摘を覚悟しました。 母の退院の後、私が入院となるかも。

また、老母の術後の容態次第では、要介護となるかもしれない。

その時はどうする?

心配事は考えるとキリがありません。

母の例もありますから、即入院といわれた場合も想定して、自分の入院用バッグも用意しておきました。

エコー検査の後、検査結果を聴くのも、科の予約が混んでいるので、1週間後となりました。

ところが! その1週間の間にですね、ピンポン玉の大きさだった甲状腺の腫れが、シュルシュルと縮んでいたのです。驚きました。小さくなるというより、しぼんだという感じ。

違和感を感じてからちょうど2ケ月ほど経っていました。

担当医も、「もともと腫瘍内部は液状なので、大きくなったり、小さくなったりするんです。血液検査も異常がないので、痛みは内出血していたからかもしれませんね」

「これから、大きくなった場合は、しばらくようすを見て、小さくならなかったら、針を刺して調べましょう! 」ということで、要経過観察となりました。手術も入院も、ひとまず無しとなりました。

安堵しました。

9月は母と私両方の病の検査、診察で、有休の半分を消化してしまいました。(汗)有休があってよかった!

この運の良さ(個人の感想です)、生かしていきたいと思っています。

ブログや、人様には言えなかったこと、それは神様(背後霊)への感謝や御礼は、神=紙 専用のノートにいろいろと記しておこうと思います。

あ、まだ持病の診察が1件残っているんだけども。

それは、後日。

母の入院 後編

母の入院について、最初に記したのは、先月の26日。

母の手術は24日、腹腔鏡手術で、行われました。

亡父も、大腸癌による腸閉塞が原因で横行結腸穿孔となり、緊急手術をしたことがあります。当時、父は60代後半。今回母は、四捨五入すると90。

母も開腹手術だったら、体力が~とか認知機能が~とかいろいろと不安です。

年齢も年齢ですし。

しかしながら 手術は予定時間よりも早く終了。術後も好調、ということで、予定より早く、術後1週間で退院となりました。盲腸なみか?

医学の進歩と最新治療技術の恩恵に浴して、老母は6日目から常食となり、帰宅後、シャワーを浴び、食事をし、今はテレビを見ています。

高齢なので、短期記憶はかなり怪しいのですが、それは年相応ということです。

びっくりだワ。

Youtubeで、直腸癌の手術を体験された方々の講演会を聴いておいて、いろいろと心構えとか、準備ができたことは、ありがたかったです。

これも文明の利器の発達のおかげですね。

退院前に、癌の再発率などの説明もされましたが、腸閉塞の危機から、一転、普通の食事が摂れるようになったことが本当に良かった。

5年後の再発の可能性よりも、1日、1日が天からの贈り物に思えます。

食欲も戻りつつあります。

けれど、手術前の健康状態には完全に戻ることは難しいかもしれません。

母の天寿も少しだけ先延ばしになった感も拭えないですが。

けれども、生きていてくれてよかったです。

異変に気づいてくれた主治医の医師、消化器内科、外科手術の担当医師の皆さん、看護師の皆さん、案じてくれ、サポートしてくれた友人たち、職場の皆さん、背後霊の皆さん、私や母に関わってくれたすべての皆さんには、感謝しかありません。ありがとうを100万回でも言っても足りません。

当たり前なことが、当たり前ではない日常であることを再認識できた、今回のできごとでした。

もちろん、ブログを読みに来てくださった皆様、本当にありがとうございます。ブログの更新もどうしようとかドメインの更新もどうしよう、とか考えていましたが、とりあえず、ドメインは更新しました。

母の入院が長くなりそう、と思って表題に1 とつけたけど。

2を持って退院となりました。よってタイトルも、前後編に改題しました。

ありがとうございます。

あと、不思議なことに、私の右腕で育てていた、福毛(8センチくらいあった)のも、母の退院の日に抜けていました。

私の運気、使い果たしたのかも。運は自分用に少し残しておきたかったです。(汗)まだ、あるのか??明日はどっちだ?