今月は、手相見としてよりは、天然石関連の依頼が多く、すでにこのブログのタイトルは「偽りアリ」です。閲覧者数も、ずっと天然石のブログが多かったです。
この時期はなにかと雑用も多いので、拝見数も控えました。
手相見の時は緊張するので、少し安堵している自分があります。
手相を見るということは、他人の人生を垣間見ることです。
たくさんの悩み、苦しみが透かして見える。
その中には身内にも言えないことが、あります。
手相を見ているわずかの時間に、その悩みや苦しみを共有するのです。
私は手相見の相談内容は、意識的にすぐに忘れてしまうので
2度目に拝見するときも、まっさらな状態で読むことになります。
考え方を変えた人には、全く違う線が延びていることも多いのです。
手相は未来予知というより、自分の進む道への羅針盤かもしれません。
先日いただいたメールは
数年前に拝見した方からで
「色んな悩みの只中に居るときは、考えもしなかった安定や幸せを得ています」
記されていました。
嵐の中に居ると、不安です。
でも不安の先に、希望の光が見えたら、もう少しは踏ん張って、頑張れる。
手相を見るということは、そんなことなのかも。
そんなわけで、最近は自分の手相を眺めています。