あなたへ言いたいことがある

あなたへ、言いたいことがある。

手相を見始めて、幾多の年が過ぎ、あまたの人の手相を見て来た。チラ見から、代価をいただいた人、拝見した数だけの生き方があった。

迷いや悲しみ、苦しみを手相の向こうから、私は見て来た。

あなたは、私の見立てには満足できなかったかもしれない。

私も、もっと踏み込んで話をしたほうが良かったのかも、と思うこともある。

私は、前向きな言葉を選んできた。見たての時期、イベントの起こりそうな時期は、曖昧にしないように答えて来た。

さすがに、何月何日何時、出会って、〇〇します!なんてことは言わないけれど。

私の手相見は、抗いがたい運命を予言するものではなく、あなたの内面の奥底から浮かび上がる運気を読み取るもの。

手相見が見た運勢は、可能性の一片だと思う。

手相を見せた段階で、あなたの内面の奥底には、「選択済の決心」があるのだ。

私の言葉で、決心に確証を得て一歩進むか、退くか、それはもうあなたの心の奥底で決まっていたに違いない。

それでも、 私が手相を見ているのは、希望を見出したいからだ。

あなたは「見てもらって、すっきりした」と言ってくれた。

暗闇を歩いているような気持ちのとき、立ち止まるか、引き返すか、不安になったとき、「希望」という灯を掲げて少しでも進むために、私は手相を見ている。

今でも、あなたのことが、気になっています。

けれど、手相見であるかぎり、こちらからは連絡はできません。

ただ、祈っているだけです。

変わりなく元気でありますように。
幸せでありますように。
世界が平和でありますように。




プロバイダのメアドはそのまま

先のブログにメールアドレスを変更します、と記しましたが、来年の1月末から、携帯のアドレスが変わる予定です。パソコン宛てのアドレスは、プロバイダを変更しないので、使えます。よろしくお願いします。

この3連休は、家の紙ゴミを整理するのに費やしてしまいました。本来ならばマメにすれば良いのだろうが…。反省。

その中から、数十年前にエッセー賞に応募した原稿が出て来た。

もう雑誌は廃刊されている。エッセー賞に投稿したのは、文章を無料添削してくれる、ということだったから。

当時、私は本屋のパート店員だった。

今とは、書店の内情もかなり違う。1995年頃の書店の雰囲気を、備忘録なので、記しておこうと思う。

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「本屋な気持ち」

夏休みのワイドショーとかけて、盆過ぎの本屋と解く。そのココロは。

「すでにネタ切れ」

問屋が夏休みの間は、当然ながら本の入荷はない。背表紙が斜めに並ぶ本棚をつぶやいた。私の仕事は本屋の店員。身分はパートだ。

普通の小売業と違って商品のPRはほとんどしないし、サービスで特色も出しづらいうえ、バーゲンもできない。ついでに言うと利益も少ない。

ただ、品物を置く空間を提供する。

店の広さに比例する取扱品目の数が頼りな商売のように思える。パートの時給が最低線ギリギリというのも納得する。

一見、ラクそうに見える。この仕事に就く前は私もそう思っていた。が、本は数多く持つと重い。そして。「予約したのに本がこない」「注文して一ヶ月以上経っているぞ!どーなってんだ、バカヤロー」とお客様に詰め寄られたりする。

本は、二大問屋(日販、東販)いずれかを通して、店頭に並ぶ。納期は本屋の店員にはどうにもならない。

本屋で働くようになって、思い知った。

出版って、首都圏中心主義なんだなって。

発売日、発売日前に本を手にできるのは、首都圏在住者の特権のようにさえ思えるのだ。

北海道なんて最低3日は遅れる。「フライデー」が「マンデー」と化す。新刊で発行部数の少ない書籍になると、首都圏で売れまくっているうちは、なかなか地方には出荷されないらしい。

新刊の売れ線を見極め、発注する社員は、「株や投機をやっているものだ」という。

私はこの仕事が好きだ。それは本を買ってもらって、怒る子供は見たことがないからだ。本を買う。それは知識を得ると同時に、友を師を恋人を得ると同じなのかもしれない。

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講評論

「書店の特殊性、また北海道という地域性からくる問題、流通事情をなどについて、事情を知らない人にも十分説得力のある内容です。結論部であと、ひと工夫を」

内容の新鮮さ B

基本的な文章力 A

表現力 A

アピール度 B

総合評価 B

☆彡☆彡

原稿用紙の各部分に丁寧に赤を入れてもらっていた。

思い出深い。

最後の3行は、「きれいごとをまとめたという印象です」と記されていた。

文章力はあるが、ネタまとめ方に難ありというところかぁ。

手相見も、天然石も そこを乗り越えるのが大事ということか。

あの頃に比べると、欲しい本はAmazonで手に入るし、地元の図書館も充実しているし、ネットでも書評も読めるし、いい時代になりましたね。私の勤めた居たころに、「本屋大賞」があればな。

私の担当は、文庫でした。

地元を舞台にした書籍を企画して、それなりに売ったと思う。

天職だと思って働いていたけど、売り上げ減でリストラされて、気がついたら、手相見しているなんて。当時は売上グラフも手書きしていたんでございます。10色ボールペンを使いました。

 

ああ~あ。近所に書店もなくなって、立ち読みができずに寂しいです。立ち読みして、ズキューンとくる本に出会える醍醐味がなくなりましたね。

手書きの文字に昔の自分を見て、内容に進歩していない自分を感じて、ちょっと恥ずかしい気持ちでした。

 

10月を越えていく

早いもので、気がついたら10月で、連休に突入。

9月末日に、ポケモンGo、レベル34に到達しました。

運氣の流れをつかめ
1年間、こつこつゲットしましたよ!

先日、念願の「ラッキー」も卵から孵りました。

8月に、愛猫ぐれこが逝ってから、私の睡眠は妨げられることもなくなり、毎朝、4時半に目が覚めます。

それから、1時間ほど、iPad mini でネットを見たり、メールの返信をします。

ぐれこは高齢猫でしたが、6月末に病が発覚してあれよあれよと病院通いし、7月中頃から寝たきりになって1ヶ月、意識を無くす前日は、私の喉に両手を置いて眠りました。

私の喉は十数年前、甲状腺の右葉の腫瘍を摘出しています。

その傷口にそっと手を添えて眠りました。

ぐれこが息を引き取る前日に見た夢は不思議な夢で、見知らぬ男の子との会話でした。ぐれこは人間でいうと90過ぎのおじいちゃん猫でしたが、あれはぐれこの守護霊(ガイド)みたいなものかもしれないと思っています。

なんとなく、覚悟をしていたつもりでしたが、この数か月は心の深いところに、空虚感とか、寂しさが残っていたんだと思います。

体調も今一つでした。でもそこは、抗わずに、不調に浸ってしまおうと思っていました。

今年の前半は、手相見の新規の依頼主がどっと増えて、慌ただしくなりました。

「手相見は天然石とセットにします」と見料+天然石代を頂戴することにしたのです。それはそれで問い合わせも多く戴いたのですが、思惑通り、多忙さからは遠のきました。

ようやく一区切りになりましたので、このブログからは手相見の見料について、つづった記事は削除しました。

セットではなく、手相見には手相見、天然石には天然石の依頼主が存在していたようです。セットだと、どちらも頼みづらいというお話でした。

ご興味がありましたら、まずは問い合わせていただく、というのが一番かもしれません。

それから、気の早い話ですが、来年の1月頃に、携帯電話会社を変更する予定です。キャリアのメールアドレスは使えなくなるので、Gmailアドレスや、紹介者の方から、ドメインのメールアドレスにてご連絡くださるようお願い申し上げます。

落ち込んでいるときは、ちょうどいい機会なので、スマホのアドレス帳などを整理しました。

今はもう繋がっていないご縁を大事にしているより、新しくつながるご縁を導く場の確保、とでもいいますか。

とりあえず、連絡の途絶えている方々のアドレスは整理いたしましたので、何年も間を開けていらっしゃる方、ご連絡くださるときは、お名前を忘れずにお知らせください。

私の手相見料

 

本人は「つい、この間」と思っていても、世間からすると、遠い昔の話っていうのがあります。

今回の話もそうです。10数年前に手相を見始めて数年目、まだ無料で興味本位で見ていたころ、バイト仲間にとても強烈な個性の持ち主の女性(以下、仮名子…かめこ-さんとします)が居ました。

私から見ると、よく言えば積極的でおおらか、悪く言えば傍若無人、自己中心的という性格で、バイト仲間からは遠巻きにされていました。

その積極的すぎる性格は、バイト先で今でも伝説になっています。

かめこさんは手相を見る私に興味津々で、一度さらっと拝見したのですが、そのうち仕事中にも、いきなり両手を顔面に差し出してきたりして、自分の運気を聞いてきます。他のバイト仲間や上司がいる前ででもです。

こういうのが続いて、困った私は「私は手相を無料で見ていますが、なぜ無料で見ているかというと、私が相手を選ぶからです」と言いました。

かめこさんは、「たいしたタマね。何様?」とお怒りになりましたが、それからも何度か、「手相見て」というアピールがありました。最後には「バイト先に文句を言ってやる」とも言われましたが、二度と拝見しませんでした。有期のバイトが終わってからは、かめこさんとは、もうお会いすることもありません。

あれから十数年!(綾小路き〇まろ風)。

手相見は 無料から、お菓子、食事…という流れになり。

いつの間にか、手相見に対してお代をいただくようになっていました。

もしも今、かめこさんに会い、「手相を見て」と迫られたら、見料をいただきます、と話しますが、かめこさんは、「お金をとるの?何様なの?無料で見てよ!!」と言うかもしれません。

私の手相見は、お代を頂戴している以上、私の経験に依頼者の経験も加わっている、価値のあるものだと信じています。

信じていないと、他人様の悩みに通りすがりの手相見が、色々言えるわけもない。それなりのお代をいただいているのには、理由があります。

無料で見ていた頃も、今と変わらぬ内容の相談が多くあり、真剣に見て、アドバイスしても「無料だ」ということで、すぐ忘れる、何度も同じ相談を繰り返す、何人か集まると、手をさし示されて、気が休まらない…こともありました。

無料だと、真剣に話を聞いてもらえなかったほうが多かったように思います。

お代を払っている以上は、「もと」をとりたいと思うわけで、私はそれに応じて、依頼主の運気の流れを読んでいるのです。

無料は、エネルギーの循環の関係で、応じることもないとは言い切りませんが、初見の依頼主には、まず、いたしません。

何回か拝見している、お世話になっている方には、サービスすることもあります。

「ちょっと見てよ~」とか「余興で見てよ」という軽い話もありますが、今まで私に手相見を依頼してくださった数百人の方々の、気持ちと合わせても、それはもう「それなり」です。

さて、仮にかめこさんが「見料をきちんと払うから見て」と話されたとしても、きっと私はお断りすると思います。オラクルカードをお勧めするかもしれません。

今までも一度見料をお支払いいただいた後は、その後もいろいろと(無料で)見て!と迫られることもあります。

相談内容次第では見料をいただくまでもない、という場合はメールでお返事をすることもございます。

その後を見て!という方は今まで数人いらっしゃいました。真夜中の長文メールや、電話などで、対応して当然、という態度もとられたことがあります。

仮に、紹介者から「半額で見てほしいという方がいるんだけど」と相談されたとして、最初から半額で見てほしい、と言うのは、ちょっと違うんじゃないかなと思います。

拝見させていただいた方の中には「煉に相談して損した~。金返せ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

相性というのもありますしね。

誹りも非難も、お代をいただく以上は、しかたのないことだと思っています。私と時間を共有したお代だと諦めてください。

依頼があるかぎりは、精進したいと思いますが、これからもご縁は選びます。


 

函には秘密がある


空の雲の流れ方が、すっかり秋だと知らせているようです。

最近の流れで、ブレスレットの修理のほかに、ブレスレットの浄化を依頼されることが多くなりました。

私の作成したブレスレットは、ゴムの交換も承っているので、受け取った時は、浄化函で石を浄化します。そんなことをしているとは、特に宣伝もしていなかったのですが、ゴム交換をした石が「つやつやになっている」「エネルギーがピリピリ感じる」と不思議がられることが多いので、口コミで「浄化だけしてください」というのも、手元に届くようになりました。

以前もブログで記していますが、浄化函には秘密があるのです…。

(蓋が本体とつながっているものは、「函」。別々になるのは、「箱」)

この函の中は絹張りです。

そして、石にこもった負のエネルギーを浄化するための、ダブルポイントクリスタルと、チャージするためのカテドラル水晶が納められ、運気上昇の「護符」。(どちらも本体はお見せできませんけど)

そして金運招福の詠唱を封じたオイルの香りで、満たしています。

ゴムを交換する前、交換したあと、石たちはこの中でエネルギーをチャージし、プログラミングされて、持ち主のもとへ帰るのであります。

この函自体を、小さなパワースポットにしているというわけです。

最初は、私自身も、石に対する思いやりから始めていたことですが、その石の輝きの戻りを体感してくださった依頼主の方が、口コミで私の周りに浸透してゆき、いつの間にか、浄化のみご依頼、という方も増えて来たようです。

手元に届いて見てみて、持ち主が気づかなかった、ゴムのゆるみや劣化、石の欠けなどがわかる場合もあり、その時はゴム交換や、パーツの交換に至ることもあります。

普通に、お香や太陽の光、月の光で浄化する以外に、もっと強力な浄化を希望される場合は、お手持ちのブレスレットのメンテナンスを兼ねて、お声をかけていただけたらと存じます。

あいかわらず、ポケモンGo!しています。レイドバトルは仲間がいなくて伝説のポケモンは、スクリーンショットでゲットしています。てか、スイクンって誰?って感じぃ。

 

 

魔法は自分自身にかける

早いもので、9月になりました。

風はもう秋めいています。暦の上では秋だから、当然ですが、今年の夏は、いつもの夏にへたばった感覚がなかったように感じます。

今年は、手相見としてこの数年の中で、ご新規さんが多かった年でした。いや、初年度は当然、ご新規さんばかりでしたがね。

この数年はリピーターさんが多かったので、なおさらそう感じるのかもしれません。

私は、手相見の依頼主に手相の簡単な見方をお知らせした後、「オラクルカード」をお勧めしています。自分自身の内面を自分の前に示せる、「気づき」を与えてくれるのは、オラクルカードだと思うからです。

ムシャクシャしたとき、落ち込んだ時、悲しいとき、タロットカードで比較的悪いカードが出ると、がっくりきますね。オラクルカードは基本、前向きなメッセージですので、落ち込みすぎずに冷静に見ることができるからです。

今年の相談事のテーマは恋愛と対人関係が多かったです。

家族を含めた対人関係は、普遍のテーマですが、「上手くいきません」とおっしゃる方々は、相手をどうこうすることを考えている場合が多いのです。自分を振り返って考えるに、他人にどうこう変えられるというよりは、自分の中の自覚がなければ、人間そう簡単には変わらないもんですよね?

相手がいるのに、相手をどうこうする(=変える)には、それはそれはエネルギーを要するんですよ。

私自身、一人っ子育ちで、兄弟もおらず、両親ともコミュニケーション不全者だったから、対人スキルは全くなく。

私が小中高生の時、友人関係で躓いた時には、アドバイスが全く役に立たなかったです。

小学生に「苛められたら、知らんふりしていろ」なんて。相手が図に乗るだけですよね?この対処は大人同士にはまだ、使えるかもしれないが。

さすがに、高校生になった時に、「違うな」と察して、そういう「人との付き合い方」に関する本を読みました。もう知らないことばっかりでしたよ。

社会人になってからは、同僚や周辺の人の素敵な方々のスキルを真似することもしました。

でも、結局は、自分の中の心理というか、心の持ち方に原因があるのではないか?と思うに至り、心理学の本を雑学として読みました。

今は、「イライラした時に読む本」や「成功への心理学」などいろんな本が出ていて良いですね。

結局のところ、上手くっていないのは、相手にも原因はあるだろうが、自分自身にも原因があると、思って、自分の心理をうまく、良い方に向けるほうが、ずっとずっと楽なワケですよ。

どう頑張ったって、自分自身は、相手になれない。相手を羨んだって、嫌ったとしても。変えることなんて無理無理無理無理。

そうしたら、自分の考え方を違うように変えていく方が、格段にたやすいです。

嫌な同僚、腹立つ上司、思い通りにならない恋人。

言っても、押しても引いても、聞かない相手は、ブログで観察日記でもつけていて、ネタにしてしまえばいい、ぐらいの気持ちでいたほうがいいとか思うんですが。私自身、実親とは仲が決してよろしくないですが、母とのやり取りは、ネタですよ。ネタ。

アルフレッド・アドラーの「嫌われる勇気」

今年の1月に、テレビの刑事ドラマの原作。

非営利社団法人 日本アドラー心理学会から、使われ方が不本意だという抗議(注意?)受けて話題になりました。

職場でどうしても相性の合わない相手と1対1となるとき、自分が退くか相手を退かせるかという、場面もあるかと思います。私自身、20代に経験しました。

相手を変えることが無理だったので、自分比、総力戦で当たりまし、心理戦です。

今思えば、よく無事で済んだと思う。若かったんですね。

これはいよいよ最終手段です。

 

そうなると鈍感力が、必要かもしれません。

本当に強い人は、相手に何を言われても気にしないでいられる人。

自分のしたいこと、やりたいことが見えていれば、目先の対人関係に耐えられると言えます。

小学生の時いじめられっ子で、登校拒否児で、引きこもり一歩手前だった私の経験値も入っています。

周りに味方がいなかった時、親や先生も敵に思えた時、私を支えてくれたのは、アニメを見ることであり、漫画を描くことだった。

留年寸前まで行ったけど無事に小学校を卒業できたのは、そのおかげだと信じている。

同級生に侮られても、苛められても、生きていれば、好きなアニメが見られる。当時はビデオも普及していなかったので、再放送を楽しみにするしかなかったから。

なにか一つ、好きなこと、やりたいことを手にして、乗り切ってほしい。

必要なら、護符やパワーストーンだって使っていい。

ただし、相手に攻撃するのは、自分への「返し」が面倒なので、どちらもwin-win になるようにするのが良いんでしょうけど。

だれかが、言っていた。

「人生は壮大な実験場」「人生は死ぬまでの暇つぶし」同じ暇つぶしなら、色々試してみても良い。

 

紅乃煉の成分表

8月も、もうすぐ終わり。

あまり暑いという印象の無かったこの夏。

愛猫を見送ってから、頭ではわかっているのに、体調が今一つで、栄養ドリンクを飲んだりしたが、心の深いところが悲しんでいるというのが実感だ。悲しいというより、寂しい。というのかな。

そんななか、ポケモンGoはあいかわらず、しています。今年中にはレベル35に到達したい。(現在33の半ば)

手相見の拝見数が3桁を越えて久しい。

以前から、わかっていたことだが、手相見初期の「紅乃煉」と2017年8月現在の「紅乃煉」は成分(なかみ)が違う。

最初の頃の私には蓄えた知識が少しだったが、今の私には相談者に方々から得た知識も加わっている。

思うに、こんな私に、手相を拝見させてくださった方々には、感謝の言葉しかない。誰にも言えない深い部分を、提示してくださるのだ。こちらとしても真摯に受けねばならないだろう。

私は、鏡。示された情報が真摯であれば、それに応じ、読みも変わってくるだろうと思う。

そこが私の能力の限界なのかもしれない。

今までは、依存されると、よろしくない、という考えがあったが、依存するのも個人の勝手じゃない?などと思えるようなった。

時間をおかずに見て。それも無料で、見てみて~!というのは、さすがに困るが。それはお友達にしてもらうことをおすすめする。

ただ、劇的に手相が変化していなくても、お茶しながら、手相を拝見して、お話をするというスタイルも有りだと思うようになった。

手相が変わったから、運気の流れが変わっていくわけではない。「変えていこう。がんばろう」という意志が、手相を変化させていくのだ。私はその力に、ちょいと力を貸すだけだ。

昨日、iPhoneを砂利道に落ちてしまい、画面にヒビが入った!と思って大慌てして、キャリアショップに足を運んだら。

割れていたのは、ガラスの保護フィルムだけでした。ああよかった。

新しい保護フィルムを買い、貼ってもらって帰宅。

保護フィルム、貼ってて良かった。

ちょっとお高いガラスの保護フィルムだったけど、役に立ってくれました。

ついでに自分のスマホの契約内容等その他、わからない部分を質問攻めにして、答えをいただいてきました。

2年縛りが終わるのは、2018年の1月末、iPadは現在 miniなので、大きなのにして、スマホは格安会社にしたいと思っています。

今だと、スマホとタブレットふたつに解約料がかかるんですよ。

色々と計算していると、ここまできたら、更新月を待っても、金額がさほど変わらないかな~、って。

そのときは、携帯電話のメアドは使えなくなりますが、PCのはそのままですんで、よろしくお願いします。

愚者のつぶやき


私には好きな言葉が多くある。あなたにもあるだろう。
その中のひとつで好きな言葉は「しない善より、する偽善」。
善人ぶる自分を私は自覚している。

店頭の募金箱に小銭を寄付するのも。

神社でお賽銭を奉じるのも。

世界平和を祈るのも。すべての延長線上には「自分の世界」平和のため。

決して真の善人ではない。

でも善人に近づきたいが、その道は遠く険しい。ほんの、1ナノメートルでもいい。

近づきたい気持ちはあるので、形から入りたいと願っている。
まさしく偽善者だろう。
文章にしてみると、本当にちっさい人間だ。

かなり昔になるが、些細なことから、依頼相手から非難めいた言葉で、責められた時も「私はあなたに応えられる人間ではありません」と返答した。相手は「そんな、煉さん、自分を卑下しすぎです」とあわてて慰めてくれた。相手はとても素直な方だったようだ。
だが、実際、私の心の内は「”あなた”にはなんと思われようとかまわない。それは、わたしにとって、たいしたことではない」という意味だったのだ。

他人の心の中を、正確に読み取ることは、難しいのかもしれない。
ならば、想像でしか答えを得られないのであれば、自分の都合の良いとらえかたをしても良いだろうと思う。

自分にとってはそれが、「真実」であれば良い。
万人に好かれるのは、無理な話だ。
自分が無理をせずに、過ごせるのが正解。
恋愛も友情も、片思いで終わることもある。相手が自分の想うエネルギーと同じくらい、自分を想ってくれていなくてもいい、と腹をくくることだ。
見返りを必要としないことで、不満も、不安も持たずに済む。
尽くしたいから、尽くす。してあげたいから、してあげる。
その純粋なエネルギーは、きっと自分の力となる。
損得で測っていても、結局、自分のためだと思っていれば、いいんじゃないの。

またね、ぐれこ。

11日は山の日。

我が家のぐれこが虹の橋を渡りました。

15日に満で19歳になる老猫でした。

猫の老衰は、本当に突然やってくるものでした。数日前まで、ご飯を食べていたのに、瞬く間に食欲は失せ、足腰が弱り、寝たきりとなり、最後は枯れるように、穏やかに、静かに息をひきとりました。

無理な延命治療をしないほうが、楽に穏やかに虹の橋を渡れると、ネットで知りました。

必要だったのは、私の覚悟です。

6月に膀胱炎として治療していましたが、8月に入って、膀胱癌と診断され、尿道カテーテルを挿入して、オムツ生活に入っていました。今どきのペット用のオムツは高機能。朝晩に2回の交換でも、洩れませんでした。

今まで飼った猫は7匹。虹の橋を渡った猫は6匹。

看取った6匹のうち、一番、穏やかで、一番、静かな最期でした。

今はそれが、私にとっての慰めです。

ぐれこは、三兄弟で捨てられていて、拾ったときの体重が兄弟の中で一番重かった。だから長男(だと思う)。

写真は、三兄妹。右からぐれこ(260グラム)。ももこ(220グラム)、こたろう(240グラム)。()内は保護時の体重。成長したら、次男のこたろうが、7.5キロ、ぐれこ5.5キロで逆転しました。

保護時は生後2週間、目が開いたばかり。逆算して誕生日は8月15日ということになります。

それまで、成猫、幼猫を拾っていましたが、赤ちゃんは初めて。養育日記をつけながら、育てました。当時、私は大好きな書店店員の仕事を業務縮小でリストラされたばかり。暇はありましたから。

3兄妹に哺乳し、世話をしていて、当時の思い出は、記憶に残っていません。忙しすぎたんでしょうか。

写真もデジカメはなくて、「写ルンです」というインスタントカメラで撮影しているから、今一つな映りのものしか残っていません。

里親を探したけど、見つからなかった。借家で猫が増えて大家さんには迷惑をかけてしまったり、思い出もたくさんあります。

写真は、7年ほど前に撮影したものですが、左から三兄弟が虹の橋を渡った順番通りに写っています。こたろうは13歳、ももこは17歳と半年、ぐれこは18歳と11ヶ月361日。

猫と暮らし始めてから、別れは覚悟はしていましたが、喪失感は予想以上でした。自宅で猫と一緒に眠らないのは、猫と生活してから初めてです。

ぐっすり眠れるかな、と思っていたけど、意外にも眠れていなくて、やはりな、と思います。

今頃、虹の橋の向こうで、3兄妹、久しぶりに仲良くしているかな。

まだ、ちいこ(15歳)が残っていますけど、ちいこも老化で、目も見えず、耳も聞こえていないので、介護生活中です。

今はまだ、寂しいけれど、たくさんの思い出をありがとう。

それはずっと大切な宝物です。

わたしがそちらへ行ったら、また、会おうね。

またね、ぐれこ。

 

終活、始めます


暑かったり、寒かったり、振れ幅の大きい夏です。
昔の話ですが、父が亡くなった年に、私自身の大小手術が続き、野良猫の保護のまねごとをしていた母はご近所さんから責められて、それが家周りのもめ事を呼び、私の気分はよろしくありませんでした。
何事も、母が発端ですが、直接の話し合いの場には出てくれません。「耳が不自由だから」というのがいつもの言い訳です。

あれから十数年を経て、高齢猫のぐれこが老猫のうえに病を罹患しました。介護が必要な身になり、オムツ着用となりました。
闘病生活の始まりです。

この介護猫のオムツ交換も母は逃げ腰です、っていうかする気はまったくないようです。私も期待はしていません。

老猫のぐれこは8月15日で満19歳。そして数か月の命です。
もう一匹のちいこもすでに目も耳も不自由になりました。

遠からず虹の橋を渡るでしょう。
そうこうしていると、長い間住んできた借家を出ていかなくてはならない話も現実味を帯びてきました。引っ越しをしぶる母を説得して、私も年齢が年齢ですから母と一緒に終活を始めます。
この数年のうちに気長に団地住まいを目指すことにします。

あの世に持っていけるものは、経験と思い出だけです。

田舎の地元に、ポケモンGoの伝説のモンスターが登場中。

一人でポケモンしている私には、チームで戦えない。

悔しいのでスクリーンショットでコレクションしかできません。

私のペン習字講座も今は、足踏み中。長年身に着いた、癖字はなかなか美しくなりません。

人生にはそういう時期があるという縮図です。結局のところ、自分の「やるぞ」という気概がないと、変化は来ないわけで。

自分で字を書くたびに、小さなストレスを感じていたので、それを解消するためにはじめたペン習字です。「か」「せ」など、なんとなく書きづらかった文字を美しく書き表すために、続けています。

根性の無い私ですが、停滞する運気を変えるには、手っ取り早く、小さなことを始めたのです。

そして、身の回りで起きる、イベントを糧にできる気迫が必要になるのです。

「いやだ」という気分を受け入れて、かつ「わくわく」に転換していく。これが現在の私のテーマです。

今、ツイテいますか。気持ち落ちていますか。

「だれも、わたしに感謝してくれない」とか考えていますか。

感謝が欲しいなら感謝を。愛が欲しいなら愛を、与えることから始めてみてはどうでしょう。

欲しがっているモノがある人は案外、自分からは与えていないことがあるんですよ。

与えたって戻ってこない?それは裏徳として積まれています。

その徳が役に立つのは、来世になるかもしれませんがね。

見返りを気にせずに「したいから、する」と何か違う風景が見えるかもしれません。